我が国士舘というと、昔は
日本一の右翼大学!
みたいな感じで見られていましたが、今は良くも悪くも普通の大学です。
で、学生も普通の大学生なので、憲法九条を本気で信じていたりします。そういう学生、少なくは無いです。他の大学だともっと多いかもしれませんね。
さて、憲法九条を信じる度合いが強ければ強いほど、その人たちは
潜在的核武装論者
です。
なぜか?何年も疑問だったのが、去年くらいに解明しました。図式化すると以下の通り。
自分は殺されたくない
↓
憲法九条を信じる
↓
自分を殺しに来る奴はいない
つまり、自衛隊や在日米軍は憲法九条に反する存在だと思っていても、「実は現実的には世の中うまくできていて、いざとなれば自衛隊や在日米軍が守ってくれる」と思っているから、安心して「憲法九条の平和主義」を信じたりできるのですね。
では、その前提が崩れたとしましょう。
実は自衛隊など東アジアで
戦力外通告状態
しかも、在日米軍などいざとなれ
ば、まったく信用ならない
↓
北朝鮮とか中国とか、会話が通じ
ない連中の核ミサイルに囲まれて
いる
↓
ということは、自分が殺されるか
もしれない
↓
核武装しよう!いや、しなけれ
ば!とにかく今すぐに!
で、憲法九条を信じている立場から散々人のことを影で右翼だのウヨだの何だのと決め付けていた連中に限って、「なぜあなたは核武装論者ではないのですか?」とか言い出すから困ります。えーと、核だけ持ってもどうしろと?飛行機も軍艦も戦車も全部抜きに、核ミサイルだけ持てば国防力が完成するとでも?と説明するのに疲れるが、とにかく
憲法九条信者=核ミサイル万能論
という公式になぜ至るのかがわからなかったのですね。するってーと、何かぁ?あらゆる戦争は終末戦争であれ、と?どこまで危険思想なのだか。核しか持たないと、いったん戦争が起きると、必ず人間が大量に殺戮されてしまうということですが。
そして解答。なぜ憲法九条信者こそ、いきなり核ミサイル万能論になるのか?
軍事力とは核ミサイル!
としか想像できないからです。
つくづく思う。
左傾思想よりも恐いのは、無知!
あなかま、あなかま。