近代日本政治思想史を四分割する(2)―緒方洪庵

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 緒方洪庵は、第四の立場です。
 日本を好きで、政府を批判しないで生きられた日本最後の知識人でしょうか。
 そもそも時の政府を批判するというのが、民主政治以前には許されないのですから、第四の立場になるしかないでしょう。
 封建時代ですと、「国家全体よりも政府権力が好き」という方々が売国奴になります。それは日本でこそ少ないだけで、異朝の歴史に多くあります。日本はその意味で驚異の国です。ということは今の日本は凡百の国々と同じに転がり落ちたということでしょうか。

 さて、幕末の知識人を概説書で一人選ぶとしたら、普通は吉田松陰でしょうね。他にも、頼三樹三郎とか栗山潜鋒とか、幕末ではない人を持ってくるというやり方もなくはないのですが、奇をてらいたくないので、緒方洪庵を選びました。
 もちろん、「江戸の知識人」との関連もありますが、幕末動乱という未曾有の危機を乗り切った維新の原動力として、日本史最高水準の教育者を描きたかった、というのが最大の動機です。コラム「江戸の知識人」では小野先生が、藩校を丁寧に解説してくれています。
 特に、適塾はその中身において、日本最後にして最高のUniversityだった、ということが一番伝えたかったことです。
 ではその後の大学は?専門学校です。と、第三章の「夏目漱石」の項で言い切ってますが、特に専門学校を貶めるつもりはありません。
 大学が上で、専門学校が下、という発想自体が戦後教育の病気ですから。
 戦前は大学と専門学校は別物として住み分けていました。その点、健全です。
 ただ問題は、専門学校はきちんと専門学校なのに、大学の方が大学ではなく専門学校の真似事をしていたから問題だ、ということです。

 素人さんはハーバード「政経塾」を崇め奉るのでしょうが、玄人の世界ではコラム「緒方洪庵」で定義した意味でのUniversityの最高峰はオックスブリッジとパリ大学と考えられています。
 政治家を多数輩出した松下村塾がハーバードだとしたら、「技術者にして文化人」を多数輩出した適塾は日本のオックスブリッジ、との対比もしました。
 コラムで緒方の弟子をつらつら並べましたが、筆頭は大村益次郎でなければならないでしょう。筆頭に福沢諭吉とか持ってくるのは、ミーちゃんハーちゃんがやることなので不可。で、最後は手塚治虫のおじいさんで締めるというこのセンス。笑。

 さて、洪庵先生自身は幕府に招かれるくらいだから、決して反政府的な人物ではないです。
 しかし、幕末には、幕府官僚の失政は明らかになります。彼らはそれでも「お上のやることに口を出すな」「優秀な官僚を信じろ」などと言いだすのですが、本を読んでモノを考えていた知識人は「ハイそうですか」などとは従わなかったのですね。何せ、洪庵先生の最優秀弟子の大村益次郎が幕府を倒すのですから。第二次長州征伐から戊辰戦争まで、大村が指揮した戦いで、幕府軍は全敗です。

 自分の頭でモノを考えた人たちの強さです。
 
史実としての緒方洪庵は第四の立場「日本を好きで政府を批判しない」だったのですが、もう少し長生きして当事者性が強くなれば、第三の立場「日本を好きで政府を批判する」になったでしょうね。

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