近代日本政治思想史を四分割する(1)―基本法則

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 日本人に一番必要なのは、思想です。日本人は、「本当のことは一体何のか」を知りたがっています。しかし、「右か左か」とか二分論で説明しようとするとよくわからなくなります。

 そこで、簡単かつ正確に説明できる四潮流を発見しました。(発明ではない。ここ重要。)

その一、日本国が嫌いで日本政府も嫌いな人たち
筋金入りの人権教とか、本物の共産主義者とか、オウム真理教とかはこれになります。
しかし、実はこの人たち少数派なのですね。
昔から、左系の人たちの主張を知るために彼らの文献を読んでいても、とても保守系の人たちが言うように、わが世の春を支配しているとは思えないほど被害者意識が強いのですね。
それは、左の人たちも一枚岩ではないからだということを発見しました。

その二、日本国は嫌いだが、日本政府が大好きな人たち
戦後日本では最大多数派です。
東大憲法学そのものです。日本政府というか、権威や権力が大好きというべきか。
国家観なきノンポリ官僚とかは、ほっておくとこうなります。そして最も有害な存在になります。あげくには、自分の保身と自分の所属する共同体の組織益を国益そのものとか本気で思い込み始めます。なお、その一とその四の人たちをいいように使います。

その三、日本国は好きだが、日本政府は嫌いな人たち
日露戦争以後、常に最少数派です。真人間だからです。
政府が嫌いというよりは、権力への監視を怠らない、というべきか。
今求められるのは、ここに属する人たちの結集ですね。
ちなみに二大政党制というのは、この中での左右で争うことです。

その四、日本国が好きで、日本政府も好きな人たち
いわゆる自称保守。というか、今の日本でこんな立場の人たちに「保守」を名乗って欲しくないので、いっしょにされたくない私は「保守」を名乗りません。
この人たちにかかれば、その一の「極左」も、その二の「左翼」も、その三の「中道」も、まとめて「左」で括られてしまいます。
そして、日本国を愛するあまり、政府のやった失敗を、木っ端役人の犯罪まで含めて正当化しなければならないという思い込みに走ります。
例えば、「大東亜戦争で死んだ人は犬死だ」などと聞くと、前後の文脈とか全部無視して烈火のごとく怒り狂います。
もちろん、特攻隊などで愛する人を守るために死んだ人は尊いですよ。安全地帯にいる人間が批評すべきではないですよ。しかし、それを命令した政府や官僚(もちろん含・軍人)まで正当化しろと?
日本を保守したければ、政府の愚劣な役人は許すべきではないのでは?

 最近、ただでさえ執筆に集中したいのに妙に小さな用事が入りまくって、砦であんまり長いのが書けそうもないので、
気軽に書けるネタとして、「近代日本政治思想史を四分割する」をやります。
素材はもちろん、

『総図解 よくわかる日本の近現代史』

(新人物往来社、税込1470円)

 思想家コラム、これでもかと筆者の好き嫌いがはっきりしていると大評判です。