平成時代の選挙は悪夢の連続でした。
衆議院の第一党が参議院で過半数を獲得できない状況が二十年間続きました。
平成元年・・・マドンナブーム。社会党の女性候補であれば当選した。
小学校の授業では、「宇野総理」はスルーしましょう。
平成4年・・・前回の大敗が響き、与野党逆転は続く。竹下派のみ勢力回復。宮沢死に体に。
平成7年・・・村山連立内閣が敗北。しかし、意味不明に辞任せず。竹下派、強し。
平成10年・・・橋本内閣、まさかの大敗。竹下派の人事異動で小渕総理に。
平成13年・・・小泉旋風。ただ、ここで衆議院も解散すべきだったと思う。加藤騒動の余波?
平成16年・・・「人生色々」選挙。小泉総理が空気を読みきれなかった唯一の事例。
平成19年・・・安倍総理への集中砲火。政争には強いが選挙に弱い青木幹雄の限界?
竹下登というあらゆる人間を手なずける能力の持ち主が、「野党対策」と称して(どんな対策だか・・・)、公明党(とついでに民社党)との政策協定を結び(どんな協定だか・・・)、大臣の椅子を与えることなく自民党に協力させるという、今から想像すればなぜそんなことができたのかわからないような力技を行使しているうちはともかく、それが効かなくなると、常に政権は不安定な運営を強いられました。
これを「ねじれ国会」と言います。
「亡国前夜」の通り、竹下に代わるキングメーカーの地位に立ったのが青木幹雄です。
青木幹雄先生、旧竹下派とか、旧竹下派参議院とか、参議院自民党が議席を減らすごとに影響力を拡大するのですね。竹下さんの場合だと、この理屈は簡単です。
自民党が負ける⇒竹下派の比率が増す。
自民党が勝つ ⇒勝利の立役者で、竹下派の数も増している。
青木さんも同じように、自派自党が負けても負けても、影響力だけは拡大しました。現に、かの小泉さんも青木さんが提出する閣僚名簿は丸呑みでしたから。というか、参議院自民党の運営そのものに口出しをしていないですね。
その辺の内幕は最近、舛添さんが暴露(というほどのものでもないですが)しましたね。青木さん、たぶん小泉さんに「俺の悪口を言って当選しろ。支持率あげろ」くらいは言ってたはずですし。
ちなみに、青木さんの時代に比例代表の名簿が非拘束式になりました。
党幹部の裁量ではなく、個人の獲得票数で順位が決まるようになりました。
平成に入り、参議院選挙の敗北で辞める総理が続出しています。
直接的に退陣・・・宇野、橋本。
時期をずらして退陣・・・村山、安倍。
勝てそうもないから退陣・・・竹下、森。⇒早めに辞めて影響力温存。
政権が死に体に・・・宮沢。他に、福田と麻生は与野党逆転を引き摺る。
以上に当てはまらないのは、
参議院選挙と関係なく政権基盤が弱かった海部、細川、羽田、
病気だった小渕になります。
つまり、参議院選挙で負けても耐え切ったのは小泉さんただ一人です。
衆議院ではなく、参議院を制するものが日本を制しているのです。
この理由は次回!
それはそうと、日銀法改悪が政界でも運命の九八年。
日本の年間自殺者三万人。自殺をしようと思う前に、日本銀行総裁が誰かを思い浮かべましょう。白川方明が何を言っているかを知らないで死ぬのはあまりにも悔しくないですか?
ということで、自殺者減少キャンペーンをします!皆さんも、職場で、学校で、聞いて回りましょう。
日本銀行総裁の名前を知っていますか?