日本人は議論ができない?(倉山塾メルマガより)

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選挙による政治の正当性は何か。
「暴力による政治よりはマシ」の一点に尽きる。
だから、党派関係なく、
暴力による選挙妨害は排さなければならない。

「他の候補者が演説している時に音をかぶせる」
ってのは暴力。
物理的暴力と同じ。

つばさの党に家宅捜査が入りました。
違法スレスレの行為をやって、
警察から警告受けたのに続けた。
やむを得んでしょう。
つばさの党は
「違法行為はしてない」と言うだろうけど、
通らない。

とは言うものの、
選挙に対する無力感は多くの人が感じている。
一部には、
「暴力しかないのでは?」とすら思う人もいる。
では、そういう主張が
なぜ一定数の支持を得るのか。

この無力感の正体を考えて見るのは一考。

結局のところ、日本人は議論が苦手で、
日本には議論が無いことに尽きるのでは。

言い換えれば、「決闘」がない。

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「日本人は議論ができない?(倉山塾メルマガより)」への3件のフィードバック

  1. 日本の議論って、直ぐに人格攻撃になってしまうのですよね。で、その人の論と、その人の人格が一体化していると、批判されてる当人も論を撤回して改められなくなるというのはあるのでないでしょうか。陰謀論なんかその好例でしょう。別に「これこれの理由により論を改めます」と言えば良いだけだと思うのですが、中々そうもいかないのでしょうね。

    1. >直ぐに人格攻撃に

      ……要は、属性代用を用いて批判しているんですよね。論点の摩り替え。暫く対話していて「話しても無駄だな」と思えば、私もそれで打ち切ることはあります。勿論、相手にミスを連発させ、周囲に状況を理解させてから取る手段ですけれど。

      >その人の論と、その人の人格が一体化していると、批判されてる当人も論を撤回して改められなくなるというのはあるのでないでしょうか。

      ……この視点はありませんでした。言われてみればそうですね。批判している側も、批判されている側もそのレベルだから、どこにも成長がない。事態が発展しない。

      【ソロモンのパラドクス】
       これを考える上で、ヒントになりそうな逸話(故事)があります。古代イスラエルの王・ソロモン(ダビデの息子)の話。物凄い知恵者だったんですよね。どんな問題を持ち込まれても、その慧眼で本質を見抜き、パッと解決してしまう。
       一方で、堕落した王としても知られています。物凄い数の女性を宮殿に囲っていて、毎夜、遊興に耽っていた。自分のことは、てんでダメダメ。指摘されても改めることが出来ない。

      ……要は、「他人のことはよく見えるが」というタイプです。その頂点を極めた感じ。そういったことから、どんな賢い人間でも「自己との距離化」「問題との距離化」を図れないと、適正な判断を下せない、という教訓なんですが。

      「自己」と「問題(論争のテーマ)」が、一体化しちゃっているんでしょうね。物事を分けて考えられない。発言する時も属性代用、考える時も属性代用。意見を聴く時も属性代用。
      否、代用も何もないのか。一体化しちゃってるんだから。代えが利かない心理状態。それ一つしかない。全ての物事が「自分」に集約されていく。

      凄いな。ある意味、全能感ですよ( ̄∀ ̄;

      でも。コレって、陰謀論の思考そのものですね。全てがユダヤに帰結する。全てが一つに繋がると錯覚している。この点に関しては、左脳の研究で面白い話があるんですけど。今日はこの辺で切り上げます(←)

      特命様のご指摘が、私の(認知の)死角に入り込んで来てくれたのが、とっても嬉しくって。ウキウキしながらお返事を書いてしまいました。楽しいお話を、ありがとうございます★

  2. 侵害な暴力に対する最終的安全保障の担保も
    これもまた暴力である。互いの暴力に均衡という
    抑止が生まれて議論ができる余地ができる。
    片方が身を守る為の暴力に対しても道徳的違背を
    感じて罪悪感から抑制すれば、侵害な暴力により
    相手を屈服させようと考える者は、己の価値観を
    押し付けた全面譲歩を迫ってくる。
    よって、対等な「議論」には、互いに均衡が
    とれたパワーが必要になる。「法で治める社会」
    には、違法に対する制裁という暴力が
    抑止力になり、議論を守ることになる。
    こう考えると議論の中身の正論が勝敗を決する
    のではなく、相手に威圧的な勢力や自分達有利に
    ルールを作った者が勝敗の主導権を握れることになる。

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