国際法の実務における病院の位置づけ(倉山塾メルマガより)

LINEで送る
Pocket

3刷御礼!
噓だらけの日本古代史 (扶桑社新書)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

高級品です!
「国際法で読み解くウクライナ情勢」
https://kurayama.base.shop/items/61978400
—————————————-

またまた刺激的なタイトルを。(笑)

【元御用学者に教えたい】現代国際法のリアル

某東大教授が、明らかに
中身見ないでタイトルだけ見て、
自分に粘着している人の仲間だと思って攻撃。
「公開討論しません?」と穏やかに呼びかけたら
誹謗中傷デマの流布で返してきて以来、
わざと勘違いさせるタイトルつけてます。(微笑)

ちなみにハッシュタグに

#政府公式見解と違うけど大丈夫
#条文だけが法ですか

と親切につけている。

最近の私は、
皇位継承問題で内閣法制局と
パレスチナ問題では首相と
見解が一致している。
現御用学者?(爆)

今回のイスラエルとハマスをめぐる国際法の話、
私より岸田さんの方がはっきり踏み込んで
「ハマスが悪いのが前提」って言ってるんで、
「イスラエルだけが一方的に悪い」
っていう人は、
なぜイスラエルのやったことの責任性が阻却されないか、
しっかりと証明する義務があるのでは?

ジュネーブ条約の条文だけ出してきてもダメ。
その間違いは何度も説明した。
その当のジュネーブ条約自体に答えがあるし。

ちなみに2015年10月の
アフガニスタン文民病院施設「誤爆」事件は
まだ事実関係を確定できてないんじゃない?
少なくとも21年段階では未確定。

—————————————-

続きは倉山塾メルマガで。18時配信
https://kurayama-school.com/

—————————————-

第13回倉山塾教養ゼミナールin大阪「皇室のキソ」~皇室を守る四つの大原則~
https://kurayama.base.shop/items/78687211

倉山塾ショップです。
https://kurayama.base.shop/

—————————————-

噓だらけの日本古代史重版記念番組!『象徴天皇の源流』前編 国際日本文化研究センター名誉教授今谷明 皇室史学者倉山満【チャンネルくらら】

—————————————-

倉山満の著作一覧です。

著作

発売予定早まりました!
『決定版 皇室論 – 日本の歴史を守る方法』(オーディオ)
https://www.audible.co.jp/pd/B0BWRYGH6H

「国際法の実務における病院の位置づけ(倉山塾メルマガより)」への1件のフィードバック

  1. 「事実上の戦争」を含めた「戦争」について、
    「攻撃側と防除側のそれぞれの立証責任」という論議になりましたね。
    平時の刑事責任を問うような「疑わしきは対象者の利益に」とかでは死んでしまいかねないですからね。一応は民事訴訟のような証拠優越ではあるでしょう。
    ただ、平和な日本の警察のような警察官発砲基準を軍隊にそのまま採用したら自軍に死傷者が続出しかねないでしょうね。
    「瓜田に靴を入れず」「李下に冠を正さず」という言葉があるけど、「攻撃側と防除側のそれぞれの立証責任」について倉山氏の言葉を読む限りは「瓜田に靴を入れたり」「李下に冠を正した」だけで攻撃対象になってもやむをえないとも解釈できるように思えます。

    アメリカの警察では警察官に職務質問されている黒人男性が武器を持っていないが身分証明書を出すために手をポケットに入れた瞬間に、武器を持って撃たれると判断した警察官に発砲されて射殺されたものの刑事裁判では警察官が無罪になったと言う例がありました。これは防御側が「瓜田に靴を入れたり」「李下に冠を正した」ということが「疑われるようなことしたのが悪い」という意味が通ったということでしょう。
    倉山氏の言葉を読む限り、軍隊の戦争の場合において防御側が「疑われるようなことをするな」旨の言葉について前述のアメリカの警察以上に攻撃基準を緩く考えているように思えます。

    私としては戦争においては「攻撃側と防御側に双方の立証責任がある」という倉山氏の言葉は原則としては間違っていないように思います。ただし、防御側の立証責任には限界がある例もあるのではとも思ってます。

    なお、アメリカのドキュメンタリー番組で、警察官がやたらと発砲して死なせたりするのを問題視したリベラルな識者らがいたことについて、その識者を警察官役として模造銃を持たせて民間人から襲撃されるかもしれないシミュレーションを実施すると、「武器で襲撃されるか」「警察の発砲マニュアル(恐らくはリベラルな識者の基準に近いもの)に反する形での民間人への発砲」が続出したそうです。警察官に発砲されて被害を受ける民間人の身体も大事なのかもしれないけど、いざ自分達が警察官の立場になったら、襲撃されないにしても警察の発砲マニュアルを守って発砲することができないのであれば、自分たちができないことを現場の警察官に押し付けていると解釈されてもやむを得ないと思います。

    今回のイスラエルのパレスチナの病院問題についてどっちが正しいのか現時点ではわからないですが、イスラエル批判ありきの方々には「攻撃側と防除側のそれぞれの立証責任」について防御側がどこまで立証すべきかもしくはできるか、攻撃側の立証基準はどの程度にあるべきか、あまりにも攻撃の基準を厳しくすると自軍に死傷者が続出しかねないことは念頭に置くべきだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA