移民大国のアメリカ合衆国で、麻薬以上に流入を恐れているものは何か。
スペイン語である。なぜか。
東西に関係なく、フロリダ・テキサスからカリフォルニアまで、スペイン語人口が急速に増え、英語が話せない層が増えている。ブッシュ二世大統領がスペイン語で演説ができるので、南部ヒスパニックの支持を権力基盤としたのは周知の通り。それほど影響力は大きい。ただしそれ自体は深刻ではない。米国特有の原理、「先に入った移民は後から来た移民をいじめる。それにより階級ができても仕方がない。それがいやならば、自由と機会に溢れた国の建前があるので、成りあがればよい。」との「アメリカンドリーム」で、秩序を正当化するだけなので。
ちなみに米国のこの論理、中世スペインの異端審問に比べれば穏健でしょう。支配階級であるイスラムにアイデンティティーを奪われないために、イベリア半島諸国が裏切り者に対してどれほど凄まじい拷問を加えていったか。
ただ、国歌「星条旗」をスペイン語で歌うとなると話は別である。日本のサヨクが想像する「戦前の現人神信仰」などとは比べ物にならないくらい国旗国歌への忠誠が強い米国である。どこまで許容できるかで深刻な論争を引き起こしたとのことである。
先日火曜日に、武山百合子元代議士夫妻に来場していただいたのですが、ご主人の彰吾さんに倫理法人会などでいつもお世話になっていまして、本日も以上のような興味深いお話をしていただきました。
武山さん、米国在住三十年らしいのですが、当然ながら参政権はもらえない訳です。米国の論理は簡単で、「国籍をとればあげますよ」です。当然ですね。国家に忠誠を誓い、運命をともにしない人に、どうして参政権をあげねばならないのか。
参政権とは人権ではなく、特権です。特権をあげなければ差別なのであれば、その差別の何が悪いのか。それは合理的区別となぜ言えないのか。納得できる立証をしてもらいたい。
日本の国会議員の過半数が賛成していると言われる外国人参政権だが、どこまで認める気なのか。地方議員の選挙権被選挙権?知事や市長など主張の選挙権被選挙権?副知事など幹部公務員への就任権?首長・議会・議員へのリコール?住民投票や条例制定要求?
日本国の公用語は日本語だけである。この一事でもって我が国は模範的な国民国家である。このような国は幸せである。
二つ以上主要言語が存在している国では必ず深刻な民族対立が存在している。たとえば、穏健と言われるベルギーなどでもそうでもある。
植民地支配を経験した多くの国では、統治者は旧宗主国の言語を駆使し、一般市民は先祖伝来の言語を話す。そして議会で話されたり法律で書かれた文字を、旧宗主国の人間は容易に理解できるのに、一般国民の多数はさっぱりわからない。アフリカではありふれた光景である。
最初に、ヒトラーはラインラントを要求した。皆、それくらいは仕方ないと思った。
次いで、ヒトラーはオーストリアを併合した。皆、当然の権利だと押し切られた。
最後に、ヒトラーはチェコスロバキアを強奪した。皆、これが最後だと信じたかった。
そして、ヒトラーはポーランドに侵攻した。皆、遅まきながら戦う準備を始めた。
想像してみましょう。公務員試験の言語が日本語以外で受けられるような社会を。
想像してみましょう。その言語が何語かを。英語でも許せませんよ、私は。
何度も繰り返します。外国人参政権法案、許せないのは確信犯であろうが単なる無知であろうが、推進する日本人です!日本人の敵は反日的日本人です!
誇りを持って「我が国」と言える国、日本。若者達が立ち上がらなくて誰が守るのか?
今回初めて書き込まさせていただきます。
外国人参政権法案。初めて聞いたとき、ぞっとしました。
素人目線なのですが、民主党は外国に媚を売りすぎではないのかと常々思っていましたが、どう考えてもこの政策は行き過ぎているように感じます。
移民による日本人雇用の減少は目に見えています。ただでさえ日本の経済状況は悪化していくばかりなのに。
民主党のスローガンである「国民の生活が第一」の「国民」とは、はたして「日本国民」の事なのでしょうか。とても疑問です。
乱文失礼しました。
民主党を思うとかつてのアメリカの民主党にソビエトのスパイがいっぱいいました。
日本とアメリカを戦うように仕向けたのでした。
そして数百人単位でスパイがいてアメリカの対外政策を決めていたという事態。
またブラント首相の秘書のギュンターが東ドイツのスパイでした。
革命マルや中核派が専従を通じて事務所を乗っ取れるように割と少数の組織力があれば事務所の職員や秘書という形で議員に接近することはできるのです。
今の民主党は怖い。
中国や韓国からのスパイが議員に入り込んではいないかと不安である。
ただでさえ同盟国同士でもスパイを送りあうのに(イスラエルとアメリカ)
まして緊張関係にある国ですから。
今の民主党はどこの国の国益を考えているのかよくわからない。
某国が秘書や政党活動かという形で入り込んで党を操ることぐらいは実はできるのですから。(在日コリアンがやっているかも)
怖いです
想像するだけでも怖いですね。
余談ですがぐんま国際アカデミーという国語の授業以外は英語で行うというわけのわからん学校があるのですが、日本生まれ日本育ちの日本人の中でも日本語より英語のほうが得意というのが出て来るのではないかと危惧しています。
〉プロジェクトh.kさん
はじめまして。国民とはなにか?についてこのサイトで以前倉山先生がお書きになっていました。民主党の人々にも見せてやりたいですね。
こん後もろしくお願いします。
参政権が欲しいならばその国の国民になれ、別段変な事を言ってはいないと思いますが。携帯会社によっては民団に所属してしている方の家族は通常の割引プランとは比べものにならないくらい、破格のプランが存在するらしいですし。在日の方には税金を割り引いてくれる地方自治体があるそうですし。日本国籍を所持しないで参政権が欲しいと言っているのにはこういうある種の特権を手放さないでさらなる特権が欲しいということなのでしょうか。
新田様へ
私はぐんま国際アカデミーという学校を詳しく存じませんが私立学校の存在意義は公立校には無い多様な教育をすることに有ると思います。大学受験のためだけに学校生活を送らせる中堅一貫校よりもよっぽど好感を私は持てますね。新田様が危惧されているとおり幼いうちから英語を使っていると、日本語と英語の文法の違いから変な日本語を話す子供が多々いるそうです。ただ、私は日本語よりも英語が得意という子供がいてもかまわないと思います。あまりにも変な日本語しか話せないのは問題だと思いますが、英語が世界の公用語であるのも事実ですし、英語の方が得意というのも1つの個性なのではないでしょうか?
ベルギーのオランダ語圏とフランス語圏の境界線は、古代ローマ時代と殆ど変わっていないそうです。
結局民族は融合できず、国境線で棲み分けする以外に民族対立を回避する方法はないのではないでしょうか?
悪名高い南アフリカのアパルトヘイトも、白人にも黒人にも多様な民族がおり、一箇所において共存するのは不可能であるため、分離(アパルトヘイト)し、棲み分けをすることで民族対立を回避する事が本来の目的だったそうです。
実施方法こそ間違っていたでしょうが、この考え方自体は間違っていなかったのではないのでしょうか?世界各地の民族間の血で血を洗う抗争を見るにつけ、そう思わざるおえません。
文化、言語、宗教、習慣、価値観、感性、思考回路など全く異なる民族をひとまとめにして「お前ら、うまくれやれ」と言われても、衝突と摩擦しか起こらないでしょう。
現在、サヨクが「多文化共生社会」なるものを提唱していますが、これは国家解体、文化解体を促進させ、民族間対立と混乱を引き起こす原因になると思いますね。
したがって、我々は差別主義者、排外主義者と罵られようと声を大にして言わなければなりません。「平和のために多文化共生社会を拒否しよう」と。
ウミユリー様
お初にお目にかかります。今後とも宜しくお願い致します。
「多文化共生社会」とはまさにこの砦で何度も強調している、
国民国家のことだと考えています。
サヨクは国民国家を解体して何を目指しているのか知りませんが、
「多文化共生社会」などと言われなくともとっくにやっています、
と普通の日本人は言えると思います。
>志木さとしさん
このぐんま国際アカデミーは国の教育特区の認可をとって群馬県太田市が始めたものなんですよ。
そもそも私は母国語教育あっての外国語教育だと思います。
真の国際人と言うのは母国のアイデンティティを持ってこそ成り立つと思いますので。
だからこそ国語大切だと思います。
太田市のイカレっぷりは、『2004年版日本の論点』にも出ていますので、一度読まれてはいかがでしょうか。ただ、もう5年以上前の本なので、今から入手できるかどうかは分かりません。近所の図書館か、ブックオフにはあるかもしれませんが。
外国人の地方参政権についてちょっと気になったことがあったのですが、あの「ターミネーター」知事はオーストリア国籍だったはずなのに、なぜ米国州知事に就任できたのか。
更に言えば、あのターミネーター、「州法を改正して外国籍でも大統領に立候補できる制度を作る!」とかなんとか言ってたような記憶があるのですが、外国人が米国大統領に立候補なんて許されるのか、そもそも州法ごときでそんな根本的なこと規定できるのか…
米国もよく分からない国ですが、あれは一体何だったんでしょうね?
昨日のことですが、駅前にいた共産党の市議会議員を外国人参政権についてこの砦に書かれている倉山先生の知識を使って「すみません。勉強不足でした。」と言わせました。
こんな楽しいことができるのも倉山先生のおかげです。
外国人地方参政権についての通説判例は「憲法では保障されていないが、立法措置により付与することは可能」であるとは私も何度か申し上げましたが…
これ、随分と外国人をバカにした発想ですよね。「国民には人権として認められる権利(憲法事項)だが、お前らには立法で与えてやることもできるんだ(法律事項)」と言ってるようなもので、外国人が地方参政権を取得したとしても、それは国民よりランクの低い権利であるということになります。誇りある外国人なら、むしろ「バカにするな!国民より低い権利など要らんわ!」と断固拒否の声を上げるべきでしょう。
そしてもう一つ考えるべきは、法律事項である以上法律の改廃により剥奪することも可能であって、いったん与えた地方参政権を、法律の改廃により剥奪することだって有り得ないことではありません。いやむしろ、国民の大多数が外国人地方参政権に反対しているという現状を考えると、国会もその意思を無視することはできない筈で、充分ありうると言った方が良いでしょう。これは「参政権さえ云々しなければ一般国民と同等に生活できる」定住外国人の立場を不安定にするもので、むしろその権利を侵害する恐れさえあります。
外国人の参政権を云々したい人々は、むしろそれら外国人の国籍取得要件の緩和に努めるか(要は国民として認められさえすれば、地方はもちろん国政に参加することも何ら問題はない、というより一般国民ならば当然に保障される権利をすべて保障される)、国籍を取得するよう啓発活動に努めるべきではないかと思います。
もう読みました、ありがとう