権力と先例 第12話 「古代日本に女系天皇が存在した?」の手ごわい議論(倉山塾メルマガより)

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※塾生でなくても参加できます。
※※セミナー後、会場付近で懇親会(塾長も参加)も開催されます。

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第22代清寧天皇に
子供が無く崩御されようとした時、
共通の祖先を第16代仁徳天皇にまでさかのぼる、
第23代顕宗天皇が皇位を継承しました。
この系統は、
第24代仁賢天皇、第25代武烈天皇まで続く。

第25代武烈天皇が
子供が無く崩御された時、
共通の祖先を第15代応神天皇にまでさかのぼる、
第26代継体天皇が皇位を継承しました。

後に諡られた「継体」とは国体の継承。
古代日本には既に皇位の男系継承の掟が
確立されていました。

継体天皇は応神天皇の六世孫(数え方により五世)。
武烈天皇とは血縁が遠い。
そこで妹(姉とも)の手白香皇女が継体天皇に嫁ぎました。
仁賢天皇の娘。
結果、仁徳~武烈に至るそれまでの皇統の直系の血を
女系でつなぎました。
こういう、
「傍系継承の際に女系で男系を補完する」
は皇室史でよくある。

これが本来の意味の皇室における女系。
皇女様は好きな男と結婚して、
その子が男でも女でも天皇になれる、
なんて、一度も許されなかった。

女系天皇容認論者の笠原英彦先生は、
こういうことは当然知っている。
だからマトモな議論になる。

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