今ごろになって宮内庁書陵部の鹿内浩胤前編集課長なる人が「過去の議論で選択肢から除外された養子案が前面に出てきている。論理的に整合性を欠く拙速な議論で、強い危惧を覚える」とか東京新聞で言い出した。(有料記事なのでリンク無し)
とりあえず、感想。
あなたの方が論理的に整合性を欠く稚拙な議論」としか言いようがない。
一つ一つ論拠を潰しておく。
森暢平(過去に卑怯な振る舞いをしたので敬称無し)の要約に基づいて紹介すると・・・
①旧宮家養子案は、2005年の有識者会議で、憲法の平等原則との整合性、歴史的な類型の未確立などの理由で、選択肢から外れている。その整理もなされないまま案が復活しており、「一貫性の観点から極めて特異」。
⇒整理したから、かの内閣法制局すら合憲と認めている。
この5年間、私は言い続けたので省略。私の著作読んでから出直してきて。
②皇室典範9条(養子の禁止)の精神は、皇位という地位を「人為」から遠ざけることにあり、「当事者間の私的な合意が基盤となる養子縁組では皇位継承の客観性が揺らぎかねない」。
⇒平安から江戸まで、皇族の養子は常例だったんですけど。鹿内氏、古代史の専門らしいけど、古代の知識だけで語られても困るとしか言いようがない。
典範が作られた明治は、御一新を大化の改新(と建武の中興)と並べる風潮が強かった。そもそも王政復古の大号令で摂関と将軍を否定するところから始まっているし。
事実、典範義解も平安以降を否定するような記述が多く、実際に制度化されている。そのすべてに齟齬があるとは言わないけど、すべてに齟齬が無いとも言えない。
典範義解への史料批判が足りないのでは?
③(日本古代史の専門家の立場からの視点)旧宮家養子案を推す人が前例とする平安時代の宇多天皇(源定省)は、「当時は身分秩序の破壊とみなされていた特例」であり、「一度人身に降れば戻れない不可逆性の法理を逸脱している」
⇒誰も吉例とは言っていない。
しかし、皇籍復帰は天平宝字三年(七五九年)に岡和気が和気王に復帰して以来、四十二例ある。その内、六例が皇籍取得。さらにその内、二例が養子による皇籍取得(救国シンクタンク調べ)。
先例とできないとするのは言い過ぎ。
最大限、鹿内氏の言論を合理化しても、「旧皇族の養子による皇籍取得」は吉例ではない(先例とすべきではない)となる。
じゃあ、一度も先例が無い、一般人の男を皇族とするには、絶対反対のはず。