自衛隊はクーデターを起こす意思も能力も無い。だから軍隊ではない。

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まず、単なる事実を述べる。

自衛隊はクーデターを起こす意思も能力も無い。だから軍隊ではない。

これを過激だと思った? 国際標準の議論なのだが。

憲法に「軍」を明記すべきと主張するのは結構。ならば、その場合の「軍」には、クーデターを起こす意思と能力はあるのか?

憲法に「自衛隊」を明記すべきと主張するのは結構。ならば、その場合の「自衛隊」には、クーデターを起こす意思と能力はあるのか?

名称はどちらでも良いが、改憲派は国民に対し、「クーデターを起こす意思と能力のある実力組織を持つ」と説得する気か?

私はそうすべきだと考えている。

そもそも、軍隊とは何か。国家秩序を守る実力組織である。

対外的には外敵から実力で以て国家秩序を守る。

もう一つ、国内の秩序が崩壊したとき、すなわち政府機能が麻痺した時に、政府機能を回復する役割がある。だから、政府の命令がない場合に、動けないのでは困るのだ。

この点が、警察とは全く異なる。警察の仕事は捜査と逮捕である。無実かもしれない人間の権利を侵害するのが仕事である。だから、「許可事項列挙型」と言って、「許可されたことだけやってよい」。結果、「捜査と逮捕以外はやるな」という雁字搦めの組織となっている。雁字搦めにしていないと困るので。

一方、軍隊は「禁止されたこと以外はやってよい」という禁止事項列挙型の組織となっている。戦いに負けても国が滅んでも困るし、むしろ戦いに負けたり国が滅んだりして政府機能が麻痺した時でも、動けなければ困る。むしろ、そのような国家秩序が崩壊した時のために存在すると言っても過言ではない。

軍の指導者とは、自分の頭で考えて動けなければ困るのだ。政府に指図されなくても。
その能力は、裏を返せばクーデターができるということである。

たとえば。第一次大戦後のハンガリー。敗戦の大混乱で、ハプスブルク帝国から独立したは良いが、無政府状態となった。無軍隊どころか、無警察状態になった。そこを共産主義者に付け込まれ、クン・ベラに乗っ取られた。国中が阿鼻叫喚の地獄と化し、一説には13歳以上の女子の9割が梅毒にかかったとも。この数字をそのまま信じるつもりは無いが、いかなる地獄絵図であったかは想像できる。
そこに国外にいた陸戦隊のホルティー提督が軍を率いて帰還し、クン・ベラの政府を打倒して秩序を回復した。
これ、典型的なクーデターである。法的には違法である。しかし、軍隊とは時に違法行為を以てしても、国家秩序を守らねばならない時がある。

普通の国では、これを承知している。だから、普通の国は「政軍関係」を重視している。すなわち、「軍隊とはクーデターを起こす能力がある存在である。だからこそ政治が起こさせないように強くなければならない」との考えであり、「政軍関係」とは一つの学問体系でもある。

日本の自衛隊の「クーデターを起こさせないようにする」とは真逆の思考だとわかろうか。

安倍内閣は憲法改正で自衛隊を明記すると主張している。ならば野党は聞けばよい。「その場合の自衛隊は、クーデターを起こす意思と能力があるのか」と。あると答えれば私は賛成するし、ないと答えれば私は反対する。

自衛隊に名誉ある地位を与えるのは結構。名誉ある地位とは、軍隊であること。自衛隊を軍隊にするならば、クーデターを起こす意思と能力を付与する、国民全体がそれを認めるということだ。

私は、自衛隊がクーデターを起こせと言っているのではない。クーデターを起こせないほどに縛り付けているのが異常であり、これでは軍隊ではないと言っている。

私は憲法改正を主張するなら、護憲派に対し「日本国は軍隊を持つべきだ。クーデターを起こす意思と能力のある軍隊を」と訴える。相手に足る論争なら、どこへでも出向く。

改憲派に対しては、護憲派に対し「日本国は軍隊を持つべきだ。クーデターを起こす意思と能力のある軍隊を」と主張する覚悟があるかと問う。その覚悟がないならば、無意味だからやめた方が良いと諭そう。

最後に改めて問う。

日本国は軍隊を持つべきか?

クーデターを起こす意思と能力のある軍隊を?