どうしたものかとしばらくほったらかしにしているうちに、参議院のほうで江口克彦先生が少しマトモなことを言っていたような気がする。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/elex/snk20111129104.html
【みんなの党・江口克彦氏】
現行憲法が占領軍による日本弱体化という意図で作成されたことは明らかだ。
3〜5年ごとに一度検討し、時代に合ったものにすべきだ。
前半はその通り!
後半は、邪道です。まあ、今の体制を見ていると言いたくなる気持ちはわかりますが。
いきなり難しい言葉で反論すると、「硬性憲法の簡文主義」をどう捉えるつもりか。
それの解説も含めて、衆議院のほうの寸評。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111117/plc11111723240019-n1.htm
【みんなの党】
憲法公布から65年を経て、これまでの国の形を見直すべき時期にきている。
道州制、一院制、首相公選制、憲法改正の発議要件を3分の2から過半数に改めるなど、
実務的観点から憲法改正論議を前に進めるべきだ。
さて、一行目と三行目には異論がない。問題は二行目の四つの論点。
一、改正要件緩和
「硬性憲法」とは、憲法はタダの法律よりも重みがなければならない、コロコロ変えられたら困る、だから、改正手続きを普通の法律よりも厳しくしよう、という考えです。
憲法と法律が同格な場合、権力者の命令が憲法の上位に来たりするのですね。
「憲法とはそもそも権力者を縛る法」であって、権力者の上位の存在なので、それがなくなると、憲法も法律も命令も名前以外は違いがなくなるのです。
例をあげると、今のベネズエラの大統領は「憲法マニア」なので、普通の命令ですむことを「憲法改正」という形で押し付けたりします。
こういう危険をわかっているのだろうか。
逆に法律が憲法典並みに強力になることもあります。
例)日銀法!
これはみんなの党が苦しんでいるところです。
これ、たかが法律なのですが。
※以下、マニアのためのおまけ。もしくは信者への挑発!
無効論者がまず言い出すであろう「日本国憲法の改正など恥の上塗りだ」という批判をどう捉えているのだろう。
これへの反駁を考えていなければ議論として即死。
「だってそうはいっても現実はしかたないじゃない?」だったら、憲法論をする資格なし。
それは法律の議論であって、法(哲学)の議論ではない。
ちなみに、南出信者は仰天するだろうけど、「96条改正」による「日本国憲法の無効」を
宣言する方法はあります。「国会による無効宣言」などという粗雑な方法は不要。
そのうち暇になったら「議会による無効」を「単なる宣言」という非合法手段ではなく、合法手続きにのっとってやる方法を公開しようかな(笑かつ挑発)。
二、首相公選制
勉強不足!
政治学の基礎を学べば恥ずかしくて言えない議論。
ただでさえ衆参ねじれで大変なのに、さらに立法府と行政府をねじれさせてどうする?
三、一院制
二院のあり方が問題なのは認めるし、参議院のように無益か有害でしかない存在なら一院制もないではない。以上、有名な「シェイエスの話」。
しかし、そのシェイエスのフランス革命が一院制だったせいでどんな過激になったか。
「国王を死刑にするかどうか、投票で決めます。僅差で死刑。執行!」
「次に王妃を死刑にするかどうか、投票で決めます。僅差で死刑。執行!」
とか、そういう暴走を止める装置をどう考えているのだろうか。
四、道州制
そもそも憲法典をどう捉えているのだろうか。
必要なことを書き込むべきだ、と考えているなら日本国憲法に毒されている。
それが侮辱なら大陸法の繁文主義に染まりすぎ。
わたしは「国の形を必要最小限だけ書き込むべき」との簡文にしておくべきで、
それならば「不磨の大典」で問題ないはずなのですが。
地方行政に関して、明治政府は今の地方分権改革とは比較にならないほど必要性がありました。幕藩体制の否定、すなわち府県制の導入です。
しかし、帝国憲法には地方行政の項目がありません。なぜか。
必要に応じて変わることが想定されるからです。
広すぎるけど開発が急務だった北海道庁をどうするか、
沖縄をどうするか(補助金を増やすための台湾編入論もあった)、
あるいは戦時体制で東京を府から都にするとか、
日本の場合「くにのかたち」とはあまり関係ないのですね。
江口さんで少し救われたけど、期待していただけにあまりの勉強不足にがっかり。
憲法は普通の法律とはまるで違うと言う基礎がわかっていないから変なことを言い出すのだと思う。
憲法論議で「何をどう書くか」より大事なことは「何を書かないか」です。