予算は国家の意思であり、最強の拒否権!

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 基本的に「帝国憲法講義」でやる内容は載せないつもりですが、あまりにも重要な話で、この話を前提として抑えているかどうかで日本近現代史の見方がまったく変わってきますので、あえて解説します。「寺内対原」の予告編であり、「伊藤対山縣」の補足でもありますし。まあ、これらに限りませんが。

 

 大日本帝国憲法第六十五条 「予算ハ前ニ衆議院ニ提出スヘシ」

 これだけである。「予算先議権」と呼ばれる。

 ちなみに、日本国憲法第六十条第一項に「予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。」とある。内容はまったく同じである。

 同条第二項には「予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。」とわざわざ解説的につけてくれている。

 一言で要約すれば、「予算は衆議院が決める」と言うことである。もっと詳しく書けば、「国家の意思を示す予算は、納税者の代表である衆議院が決める」と言うことである。井上毅は特に「代表なければ課税なし」の原則に拘ったのだが、この条文を見せられた当時の欧米憲法学の泰斗は全員驚愕した。

「こんな民主的な条文を認めて大丈夫か?」と。

 制度的な解説をすると、先に衆議院に提出しなければならないとは、貴族院(参議院)には修正権しかないのである。しかも修正したら衆議院に認めてもらわねばならない。つまり、予算の最終決定権は衆議院にあるのである。

 

 帝国憲法では「衆議院には予算先議権しか認められなかった」などという愚かな解説がまかり通っている。当時の外国の憲法学者にわかることが現代日本の歴史学者や憲法学者にわからないとはどういうことか。憲法六十五条「予算先議権」がどれだけ明治・大正期に猛威をふるったか、『歴史読本」をお楽しみに。直前にまた告知します。(ちなみに昭和期はまた別の話になります。憲法が変わっても、予算をめぐる統治構造、大正から昭和への変動に比べればあんまり変わっていないのですが、長くなるのでまたの機会に。)

 ちなみに前回の「帝国憲法講義」に来られた方は、第一章「天皇」の十七の条文(あの憲法を思い出す構成ですねえ)が、国民の権利保護と議会主義の理念に満ち溢れていることに驚かれましたね。当時の欧米の泰斗たちも「こんなに権利のばら撒きをして、国民の代表である衆議院に強大な権限を与えて大丈夫か?」と心配やら、「お前達有色人種にこんな立派な条文を運用できるのか」と嘲笑をしてくれたのです。

 少なくとも、「戦前の衆議院(の権限)は弱かった」などという教科書の既述は大嘘です。どこを見てそう言っているのか?建前は普通選挙と政党内閣制が実現しなかったこと、本音は人民戦線=革命政権が成立しなかったことです。

 最近の若い人は、人民戦線とか革命政権とかわからないでしょうから解説します。(普通に生きていくのにまったく知る必要のない知識ではありますが)

 日本近代史家って、民衆の暴力によって政府を倒して、その過程で血が流れるのが良いことで、最終的には彼らが嫌いな天皇とか周りの高官が倒されるのを望んでいる人が多いのです。なぜそうなのか、と聞かれると、そういう趣味の人たちの嗜好はわかりません、としか答えようがないのですが。

 対政府高官だと、政党とか議会って民衆の味方になるのですが、対民衆だと財閥(金持ち)とつるんで私服を肥やす悪い政治家の集まり、という実は単細胞な思考になってしまうのです。

 こういう事実を聞いて何が生活に関係があるか。大いにあるのです。「選挙に行っても世の中変わらない」と思っている人が多いのですが、逆です。「選挙がすべてを決める」のです。これは憲法の勉強をすればすぐわかることなのですが。国民が選挙に行かないことで、政治に無関心でいてくれると嬉しい人たちが居るのです。ちなみにこの立場が東大憲法学です。政府の特定の官僚に都合が良いのです。憲法など、わからなくても許可書に書いてあることを丸暗記して、試験でそれを書いて忘れてくれればそれで良いのです。何となくそういうものだという印象さえ残ってくれれば。

 もうひとつ。私、かつてある憲法学者に「選挙に行くことは自民党政権を倒す事だ」と真顔で説教されたことがあります。こういう日本国憲法の人権や民主主義の理念を本気で信じている、主流ではない憲法学者もいるのですが、要するに日本共産党の支持者です。今は民主党に期待しているようですが。どういう文脈でそういう話になったかと言うと、「憲政の常道を守らない政治家に、投票を棄権する国民を否定する資格はない」と主張したのです。それがどうしてこういう話の展開になったかはわかりません。学者であれ誰であれ、人の話と関係なく、日頃の自分の主張を訴える人は居ますから。

 

 「国民は、よらしむべし、しらしむべからず」

 東大憲法学の本音です。その東大憲法学に基づいた現代日本の構造、特定の人たちにとてつもなく都合が良いようにできているのです。それを大多数の国民に知られること、非常に都合が悪いのですね。

 現代の話ですが、納税者の税金の使い道である予算、民主党がどのように配分するのか、公約をどこまで守るのか、国民全体が監視すべきでしょう。

 大正初期には、怒れる国民はことあるごとに集まったほどですから。今はそんなことをしなくても、「次の選挙で落選させるぞ」と思わせるだけで充分なのですから。

 室町時代、日本人全体が拝金主義に走り、力と陰謀に優れたものが勝つ、と信じていましたし、実際にそうなった訳です。だから、都の外にいるはずの征夷大将軍が京都に常駐していても、誰も問題にしませんでした。最後は、その将軍が「京都で死ねない」という大混乱になりましたが。

 江戸時代、日本人全体の教養が高まりました。将軍がなぜ天皇に代わって政治を行うのか、「夷」すなわち外国から日本を守る役割を仰せつかっているからである、という知識が広まりました。ところがロシアの脅威が迫る、世界最強の大英帝国も迫る、小国の米国にすら軟弱な対応しかできない。では何の為の「征夷大将軍」か?となった訳です。そういう言語空間が成立していました。当時の特定の官僚にとっては、日本人のかなりの人たち、身分を越えて少なくない人々がそのように幕府を見ているというのは脅威だったのです。

 あえて、どうしろとは申しません。考えるための材料を提供し続けるのが私の仕事です。