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安住思想統制事件

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 ことの重大性をわかっている人があまりいないようなので、とりあげます。

 まずは事実関係を。
防衛次官通達、安住氏が主導 政務官再考促すも耳を貸さず
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110127/plc11012701310010-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110127/stt11012723360079-n1.htm

 要するに、自衛隊の集まりで民主党政権打倒を発言した人を、締め出したり、保全隊と言う組織を使って監視したりしたということです。その主導者が安住淳防衛副大臣(当時)だったということです。

 メディアを見ると「言論統制」という批判が多いのですが、それどころではないほど深刻なのです。結論から先に言うと、

安住淳は自由の敵

です!
なぜか?単に「言論の自由」に対する「言論統制」の問題だけではないからです。

 まずは、「言論統制」とか「言論の自由」を考える上で、日本国憲法を読み直しましょう。

第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。(以下略)
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 憲法上は、安住副大臣の所業は21条1項に違反しています。これは誰でも言えます。これだけでも現職なら副大臣辞職だったでしょうね。北澤大臣は意思決定に関わっている以上、今からでも辞表を提出すべきでしょう。
小池百合子自民党総務会長が「スターリン時代を想起させる。何より憲法違反だ」
と衆議院で首相に追及されていますが、その通り。まったく正しい。ちなみに保全隊というのは、ソ連だとGRUという組織にあたります。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110126/plc11012622020162-n1.htm

 しかし、これだけでは終わりません。
そもそも自由とはどのように認められてきたのか、それを思い出せば安住副大臣の所業がいかに野蛮かわかります。
ヨーロッパにおいて近代とはいつからはじまるのでしょうか?
1648年ウェストファリア条約締結からです。
この事実を記載していない憲法の教科書など憲法学について何も語っていないということです。それくらい重要な事実です。
この時に、「心の中では何を考えていても良い。心の中で自分と違うことを考えていても殺さなくてよい!」と、スウェーデンのクリスチーナ女王が主張して、はじめて自由とか人権が認められるようになったのです。
ここで大事なのは、「殺してはならない」と合意ができるのはまだまだ先だと言うことです。
あくまで「殺さなくても良い」です。
つまり、それ以前のヨーロッパでは、自分と違うことを考えている奴は「殺さなくてはならない」だったのです。
そういう世界がどれくらい恐ろしいかは、「三十年戦争」「十字軍」「魔女狩り」「異端審問」「宗教戦争」などを調べてみてください。
心の中では何を考えていても良い(日本国憲法だと19条)から、
どんな宗教を信じても良い(同20条)、
思ったことを口にしたりするなどあらゆる表現の自由は認められる(同21条)、
と自由は認められていきます。こうして人権は拡大されました。

 大日本帝国憲法を創る時にも、こういう歴史は吟味されました。
ただ、日本国憲法20条の内容は帝国憲法28条に21条は29条にありますが、19条にあたる内容はありません。なぜでしょうか。帝国憲法が欠陥憲法だからでしょうか。違います。あまりにも当たり前の事すぎるからです。
本当にその人が何を考えているかはわからないので、裁判で問題になることはありえません。
憲法典の条文には裁判で準則となる規範だけを書くべきであって、何でもかんでもきれいごとを書くものではないと考えていたからです。だから、「信教の自由」だけはかなり神経質に条文を書いて運用しています。
逆に権力の側が、本当にその人が何を考えているかを知ろうとすれば、「監禁して拷問」とかが必要になります。「家の中に好き勝手に入っていく」とか、「24時間行動を監視する」とかにもなります。小池総務会長が引用しているスターリンは本当にそういうことをやりました。
近代国家であれば、絶対に犯してはならないのが19条の内心の自由です。
ただ19条と21条には一線があります。

 近代憲法の大原則は
「心の中は無制限に自由。行動に出したら制約されることもありうる」
です。
「完全なる自由は他人の自由を侵害する自由も認められてしまう。
だから、自由と自由が衝突したら調整し制約するのが政府の役割である」
という考え方で近代国家はなりたっています。
どこで制約するかは別にして、表現の自由は無制限ではありません。
宗教的活動もまた然りです。ただ、その人が心の中でどんな邪悪な宗教を信じていても、行動にしなければ権力が介入してはいけません。
日本国憲法19条の「思想良心の自由」など、これ以上ないほど抽象的な規定で、権力者がよほどの横暴をしない限り破りようがないような規定です。そもそも憲法典に規定すべきかどうかというような当たり前すぎる内容です。

 ところが19条は、日本国憲法の中で真っ先に、9条よりも先に破られた規定です。
レッドパージ事件でマッカーサーと言う人が破りました。
ついでに田母神騒動での麻生総理と浜田防衛大臣も破りました。
近代国家として守らなければならない一線を自民党に続いて民主党も踏み越えました。
麻生内閣は総選挙の敗北で憲法違反の制裁を受けました。
さて菅内閣は?

 我思うに、即刻、民主党国会対策委員長をはじめあらゆる役職を返上するだけでなく、
議員辞職すべきである。と言っても、やるはずがないですが。

 ただ、安住思想統制問題の重要性を、国民のほとんどが認識していないのは真の危機だと思います。