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人事の話・任命責任

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 6月末は日本一迫力のあるツイッターと化していた宮崎岳志代議士のツイッター。
http://twitter.com/#!/MIYAZAKI_Takesh

 讀賣テレビアナウンサーの野村明大さんと喧嘩になっている。
http://twitter.com/#!/nomurameidai

 あえて論争とは言わない。喧嘩。
って言うと、上から目線で批評しようと思われても困りますが、私の立場は中立ではありませんので。宮崎先輩の味方という立場から逃れられるとは思っていませんので、そういう視線で以下の話を聞いてください。

 まず、宮崎さんのことはよーーく知っているけど、この野村さんのことまったく知らないです。なんか喧嘩になったのでツイートを一読したのですけど、全否定するべき悪い人とは思えないし、時々おもしろいことを書いているのだけど、今回の喧嘩は不毛な因縁をつけて話をあっちにやったりこっちにやったりしているだけ、という気がしてならない。

 話を整理すると

宮崎:マスコミは政局ばかり報じて政策を報じてくれない。
野村:だったら政局の話を一切するな!

から始まってます。

で、野村アナ、
「政局を報じてほしくなければ、昼も夜も政策の話だけしていればよい」
とか無茶を言っている。
それを実現するには、全国会議員が政局の話を一切しなくなる、という状態になるのですが。
まあメディアの責任にも一応触れているようなので、実は振り上げた拳をどうしたらよいかに悩んでいるようにも見えるのですが。

 いつのまにか
野村:今の状況で菅おろしをやるのは無責任。一年前に選んだのは誰か。
宮崎:やっていない私に言われても。
野村:国会議員なら責任を痛感すべき。

 とりようがない責任も、痛感しなきゃいかんと言われても困るでしょ。
というか、話がずれていないか?

 あとは皆さんが読んで判断してください、としか言いようがないのだけど、一つだけ疑問。
野村アナ、どういうつもりで突っかかっていったんだろう。。。

 さて、野村アナの発言中の「選んだ人には責任がある」が気になったので別の話を。
選んだ人にはそれなりの責任があるを否定するつもりはないのですが、これを過剰に言い過ぎるとこれまた問題です。最大の例は戦前の大臣任命ですね。

 なぜ戦前の総理大臣には造反した閣僚への罷免権が無かったかというと、
実は法制官僚は「こいつ首にしたいです」という権限が首相にはあると考えていました。
でも「そんな奴を大臣として天皇陛下に推薦した責任はどうなる?」という理屈がまさって、
内閣は必ず総辞職していました。

 二回だけ、一部の(造反)閣僚の辞表だけ受け取って、総理や他の大臣の辞表は却下して内閣を存続させた例があります。
第一次加藤高明内閣→第二次加藤高明内閣
第二次近衛文麿内閣→第三次近衛文麿内閣

 その他、「大臣の任命責任」を問われて総辞職、が戦前の内閣が潰れる最大の原因でした。

 ちなみに今の規定は?
「こいつ嫌い!」
でクビにして良いです。

 それもまた問題なのですが。。。

 人事では説明責任を問われないのが普通です。

 ちなみに、総理大臣をクビにするなら衆議院を解散せよ(衆議院議員全員をクビにせよ)というのが、憲政の常道ですね。ただし今の政界で常道が通じるかどうか知りませんが。