売れ行き絶好調!だそう
これからの時代に生き残るための経済学 (PHP新書)
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沖縄で行方不明となっている
陸上自衛隊のヘリコプター。
「撃墜だ!」とか決めつけて、
さも「これが真相です」と商売している人。
「なんで、そんなこと言えるの?」と
不思議で仕方がない。
私なんか、わからないことだらけ。
世の中、
「わからないけど決断しなければいけない」
場面だらけ。
「正解があるから見つけてみな」
なんて楽な局面、滅多にない。
歴史学は、事実を特定する方法論を学ぶ学問。
「これが正解です」と誰かに決めてもらった
「事実」を頭にいれるだけなら、単なるオタク。
「絶対確実な事実」なんて極少数で、
「わからないこと」だらけ。
手法は近現代と古代でかなり違うけど、
わからないことだらけの中で、
絶対確実な事実を基礎として、
事実を再現していく、
という手法は同じ。
問題は、近現代と古代では情報量が違う。
史料が多すぎる近現代と比べ、
古代と中世は
「残存するすべての史料を読むことが、
その時代の専門家としての最低努力」
その中でも、古代は「何もない」が普通にある。
古代史は
神話から始まり、
神話と歴史の境目の伝説を経て、
歴史に至る。
初代神武天皇からの伝説の時代は
「よくわからない」ことだらけ。
第二代綏靖天皇から、第九代開化天皇までは
事績がほとんど伝わらないので
「欠史八代」とか言われる。
「実在を疑うのが歴史学」みたいな風潮が
戦後歴史学の風潮。
では、私は神武天皇や欠史八代を
どういう風に捉えているか。
結論は
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尾崎秀実の警察での取り調べの供述調書が残っている。
刑事曰く「君は、近衛さんをレーニンにしたかったのか」
尾崎曰く「近衛は、ケレンスキーにすぎませんよ」
このやり取りは事実である。この後に近衛文麿は
吉田茂と協力して「近衛上奏文」を書き上げる。
「近衛上奏文」は現在の歴史学者から無視されている。
偽書と言う歴史学者もいる。
私は取り調べでの尾崎の供述は近衛の耳に入って
いたものと個人的に思っている。
「近衛は、ケレンスキーにすぎませんよ」
私が近衛だったとしたら利用されていたことに
気がつき、憑き物が落ちたように我に返るはずだ。
「近衛上奏文」とは天皇陛下を裏切っていた
反省文に思えるのだ。「近衛上奏文」に曰く
「所謂、右翼とは国体の衣を着けたる共産主義者なり」
今、読んでいる本に、面白い話が書かれています。倉山先生はご存知でしょうが。
※引用、漢数字⇒アラビア数字
藤原宮跡(特別史跡)および福岡市元岡遺跡から、大宝年号(701―)を記した木簡が出土している。大宝年号はこれまでに元年(3点)・二年(8点)・三年(3点)が見つかっていて、諸国官衙が日本独自年号の使用を徹底したことがわかる。大宝以前の年号とされる大化、白雉、朱鳥年号については、日本年号を記した木簡は出土していない。該当念の木簡は何点も出土しているが、干支記載のみであった。おそらく今後も大化・白雉・朱鳥年号木簡の出土はないだろう。日本が独自の年号を使用したのは事実上大宝以後であり、大宝以前には飛鳥浄御原朝(天武・持統朝)での地方機関は、おそらくは中央も含めて、中国年号を使用することがあった。高麗・朝鮮や琉球は、のちにも独自の年号は持ちえず、中国年号を奉じ続けたけれど、大宝律令以前の日本も同様だった。
※史跡で読む日本の歴史8「アジアの中の日本」p3-4より、服部英雄編/吉川弘文館2010.8.10
……私は史学が得意ではないですが、考古学は好きです。その考古学の世界には、「事実史」と「記憶史」という概念がありますけれど。
この場合、「大宝以前の年号が記されたものが出土しない」が事実として存在します。一方で、中国の年号が記された刀剣などは見つかっています(中国産or日本産の論争アリ)。
でも、「大化・白雉・朱鳥」に関しては、出土物での確認が一切とれない。言ってしまえば、後年の創作(捏造)なのでしょうが。記憶史の観点で見た場合、その創作は意味を持ちます。
「記憶史」とは、早い話が「どのように言い伝えられてきたか、考えられてきたか」です。その「記憶」が事実に反するとして。なぜ、その記憶を先祖代々、伝えたのか。単なる勘違いだったのか、目的があったのか。目的があったとして、そこにどんな意図を見い出せるか。当時の人の世界観は、心象風景はどんなものだったか。
そこを踏まえた時、嘘は嘘でも、私は気概を感じるのです。日本だけが、中華皇帝の軛から逃れようとした。今はまだ小国でも、必ず超大国と渡り合えるようになってやる!
凄いですよね。遠い古代、日本だけが現状維持に甘んじなかったんです。考えてみれば、有色人種≒奴隷だった時代も、白人支配に立ち向かったのは日本でした。日本が突破口を開いた。
何が記憶史なのかを知るためにも、事実史の探求は大事ですし、この二つは両輪だと思うのですが。記憶史を通して、当時の人の意識(魂)に触れることができる。私にとっては、無上の喜びです。