学歴秀才は政治家より偉い?

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 城山三郎は、政治家に対して居丈高であると言う一点で持って大蔵省を称揚している。ここは大蔵省を目の敵にするTBSとの違いである。

 城山は要するに「官僚は政治家に居丈高であれ」と言っているのである。

 その頂点は191頁である。通産省をあげて予算請求の最重要項目とした「工業用地の整備事業」の項目が、大臣折衝において取り下げられた際の須藤大臣(当時の自民党第二派閥の領袖、佐藤栄作がモデル)とのやりとりである。「政治判断で取り下げた」という須藤を風越局長がさんざん面罵した後の内心の台詞である。

 二度とこういうことのないよう、大臣に思い知らせておかねばならない。
 

 すごい台詞である。 風越信吾、この人何者ですか?

 公衆の面前で大臣を罵倒するなど、社会人として問題があろう。それでも、自分が数ヶ月間、家にも帰らずにそれこそ命賭けで取り組んだ仕事が上司のせいで水泡と帰したとの想いから思わず出た暴言である、というなら、大臣が許せばその場限りのこととして問題視しない、という考え方もできなくはない。
 しかし、城山が描く内心の方こそが問題である。官僚はいかに有能で情熱があっても、どこまでも立場は官僚である。試験に合格してその地位を得たにすぎない。城山が批判する戦前の陸軍官僚は学歴秀才の集まりであり、その不遜は上司を傀儡化し、幕僚統帥と呼ばれた。その弊害は敗戦に至った以上、明らかである。では、政治家より(しかも彼らは民主的に選ばれている)自分が偉いとする風越は、戦時中の幕僚統帥とどう違うのだろうか。

face="Courier New"> 官僚に思い知らされる政治家って一体…。

 大臣って、一応国民の代表なのですが。(つづく)