TBS版「官僚たちの夏」は来ない 第一回

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TBS版「官僚たちの夏」は来ない 第一回
すごい!高級官僚は予言者だ?!

 城山三郎作品の大ファンとの勤め人の友人が絡む、ふとしたきっかけで、TBSの「官僚たちの夏」を視聴した。(詳しくは後日に。)
番組から読み取れる主張を先に述べよう。

1)反米ナショナリズムこそ日本の進むべき道である!←反日放送局と称されるTBSらしくなく、かえって不気味なほどに愛国心が鼓吹されている。
2)目的が正しく、情熱があれば、あらゆる手段、横紙破りさえも許される!正しいことを考える官僚は手続論等考慮しなくて良い!
3)すべての権限を通産省に!政治家も、大蔵省も、財界も、つまり国民は誰も国家の将来をわかっていない!
4)通産官僚は、誰もが想像もできないときに日本の繁栄のすべてを予言し、実現した!だから日本は反米愛国官僚による国民統制国家になるべきである!

 この四点、如何に判断されるや?

この番組は、反米ナショナリズムを前面に押し出すことで、保守層を取り込み、いわゆるネット右翼をも釣ろうとしているが、実は官僚礼賛、社会主義礼賛の反日ドラマである。
反日メディアTBSが改心したわけではない。油断はできない。
しかも、内容は官僚を賛美するために史実を捻じ曲げて捏造された架空の物語である。
ほとんどパラレルワールドを形成する域に達しているのである。

本番組は、「アメリカに負けた日本が誇りを取り戻す!」との、愛国心に燃える通産官僚の物語だそうである。TBSも相当な力を入れている番組らしい。とにかく、日本が一番熱かった時代の、熱い愛国官僚達の物語だそうである。
番組の冒頭が空襲と原爆の白黒写真であり、そこから奇跡的に復興していく様子が描かれる。番組のキャッチコピーが「日本人としての誇り」であり、随所で、「戦争に負けてから何でもアメリカの言いなり」「アメリカがたちはだかっている」「このままじゃアメリカの下請けのままだ」といった反米愛国的な台詞がちりばめられる。
そして池田勇人をモデルとした与党大物政治家に「アメリカと対等になれる日まで戦争は続く」とまで言わせている。
とにかく反米ナショナリズム爆発なのである。ついでに、登場するアメリカ人はすべての場面で横柄である。
 

TBSは、いつからここまでナショナリズムを煽るようになったのだ?反米ならばナショナリズムに乗る気なのか?と疑いたくなるほど、反米ナショナリズムがこれでもかと絶叫されているのである。
 TBSと言えば、故筑紫哲也キャスターの印象が強く、一時期は「Toンデモナイ Baカヲ Shiデカス からTBS」などと揶揄されるほど、極端に反日的な報道をしていたと記憶している。あのTBSがなぜ?と、最初はあまり気乗りせずに見ていた番組なのだが、あまりのナショナリズム鼓吹ぶりに、よくよく探求したくなってみた。

国産自動車産業の振興によって、日本が欧米のような豊かな国になれるという主題の第1話であるが、第一に気になった反米ナショナリズムの他にも気になる場面がある。

 第二に、『東京経済新聞』に観測記事が載るところから物語ははじまる。国産自動車の振興である「国民車構想」に関して、大蔵省と業界の反応が鈍いので、主人公の風越信吾が観測気球をあげるかのごとく、なじみの記者にリークしたとのことである。
 瑣末なことだが、この『東京経済新聞』、明らかに『日経』のことなのだが、なぜ自局の系列の『毎日新聞』ではないのか?妙にリアルだが、テレビ東京に喧嘩を売っているのであろうか。

 風越は技術的な実行可能性を無視して、町工場らしき所に話を持ち込み、強引に国民車の開発をはじめてしまう。このあたりの描写、主人公の情熱だけは伝わってくるのだが、原作にも無い場面なので、どういう法的根拠で動いて、予算などどういう支援をしたのか、よくわからなかった。まあ、あまり手続論を丁寧に説明しすぎるとドラマとして退屈になるということか。それにしても、通産省の課長が知り合いの工場長を口説いて、泥縄式に話を進めたようにしか見えなかったのだが。

 第三に、というか最も卒倒したのが、風越と池内のやりとりである。
 池内に「理想を実現したいのなら政治家になれ」と言われ、
「政治家を通じて国家を動かすのが通産省の仕事」だから、通産省に骨をうずめる、と堂々と答える。
 これ、完全に池内が正論では?
 官僚はあくまで、国民の代表である国会と大臣に決められたことを執行するのが仕事では?もちろん、現場を知っているという意味では個々の公務員の知見は尊重されるべきである。しかし、それも程度問題である。たいていの組織を円滑にするためには、部下にも意見具申の自由が認められるべきであるが、それも最終的には上司の決断に服従する義務を伴うし、限度を越えるとどちらが上司かわからなくなる。こと、国家公務員の世界では、戦時中の陸軍において、中堅幕僚層が国策を左右した結果敗戦に至った苦い経験がある。
 ところが、上司に反論し、他省(今回は運輸省)から権限を奪取してくる官僚が称揚される。ならば、状況によっては自らの権限を手放さねばなるまい。そうでなければ自らの縄張りを広げたいだけの詭弁にしかならない。
 風越の部下は、「政府(の政治家)も大蔵省もわかっていない」という発言をしているが、では彼らはどうわかっているのか。

 第四に、あらゆる場面で描かれるのは、通産官僚の予言者ぶりである。誰も日本車がアメリカ車を席巻するなどと思っていない時代に、彼ら一部の通産官僚は「自動車産業が日本を豊かにする」とばかりに、あらゆる犠牲を顧みず、国産自動車の開発に勤しむ。躊躇する政治家や、充分な予算をつけずあまつさえ補助金を打ち切る大蔵省は国家の敵といわんばかりである。
 我が国の現在の自動車産業の繁栄に関して、通産省と民間企業の、誰にどれだけの功績を認めるかは議論の余地があろう。ただ、この番組の描き方では、ひとり特定の通産官僚だけがそれを予言し、周囲の無理解を乗り越えて実現していることになるのである。民間人たちも、主人公の課長に叱咤されてその気になっているのである。
 ここで第二点に戻るのであるが、やはり主人公の課長がどのような手続に基づいて、この仕事に関与したのかである。官僚の世界は徹頭徹尾、手続論である、第三点で池内が述べたように、国策に関する理想を実現したいのなら責任ある政治家になるべきなのである。
官僚が政治家のように結果よければそれで良し、では困るのである。もし、官僚の進めた政策が国家や国民の運命に致命傷を与えた場合、彼らは責任を取れるのか。
戦時中の軍事官僚に、成功だけ自己の手柄にして、失敗の責任を一切とらなかった輩が何と多かったか。
この番組もそのような無能な官僚がもたらした敗戦と言う未曾有の困難から回復する、というのが前提のはずである。ではここで描かれている官僚達が同じで良いのか。
 愛国心に燃える、予言者の如く有能な官僚にすべてを任せ、国民は従って黙々と働けば良い、官僚が求める知恵や技術だけ提供すれば良い、というのでは社会主義的官僚統制国家ではないか。
 結局、ここで美化される通産官僚が行動できる根拠は、国?試験に合格したキャリアである、という点に行き着くのである。

 霞ヶ関の官僚の世界には理不尽な因習が多い。個々の官僚には同情したくなる事例も多い。上司、特に一年ほどで交代する大臣など、政治に左右されるという点は大いに改善が必要であろう。国民がそのような政治家しか選んでいないというのも根本的問題である。
そして、国?官僚が政治家の代わりを長らく努めてきたのも事実である。日本の局長以上の仕事など、英国では政治家の仕事である。
 だが、政治家が官僚の仕事をわからず、高級官僚もまた政治家代行により本来の官僚の仕事をしていないことこそ、霞ヶ関の最大の問題ではないのか。
 官僚は現場に近いほど、専門的知識に通暁する。しかし、それで上司を操縦すると言う仕事形態が健全であろうか。
 本作では、自分の権限を越えて国策すなわち国民の未来を想う官僚が美化され、彼らのあらゆる横紙破りは正当化される。
 
ではあえて問おう。私は昭和初期にまったく同じことをした組織を知っている。
陸軍省軍務局である。
 結局は、官僚を使いこなせない政治家とそのような政治家しか選べない国民が悪いのであり、地道に国民がそのような政治家を育てるしか解決策はないのである。特効薬はありえないのである。
 だからといって、試験で選ばれただけの特定の官僚にすべてを委ねて良いのか。彼らが政治家の行動を妨害して良いのだろうか。
 国民全体で考えるべき問題である。

注意:別に録画して確認しているわけではないので、細かい台詞回しは違っていると思われる。

 以下は専門的知識の前提がないと、やや難解な話を。
 確かに、現役時代の池田勇人は常に報道の餌食となっており、必ずしも人気がある政治家ではなかったが、近年は戦後日本の黄金時代である高度成長期の宰相として高く評価されている。また自由主義国の一員として対米協調を基軸としながらも、自主独立を模索していた数少ない政治家でもあった。また、岸信介までの内閣は改憲と再軍備に熱心であったが、池田が経済成長一辺倒で軍事を忘却させたとの俗説は誤りである。
 以上の歴史的事実から考えると、現実的な日本の針路を模索した政治家として池田勇人を持ってくるのは適切であろう。
 ただ、池田の政治的背景は端折られていたが、ここは詳しく説明が必要であろう。敗戦の復興から高度成長にかけて、財政に関して霞ヶ関官庁には大きく二つの潮流があった。ひとつが大蔵省の省是である健全財政路線である。要約すれば、赤字国債は出さないということである。もうひとつが、通産省の高度成長路線である。この路線では、内需拡大に必要ならば赤字国債発行も辞さない。結果的にこの対立が深刻にならなかったのは、高度成長が成功したからである。ただ、この路線対立は常に底流にあり、石油ショック以降は様々に形を変えても、常に戦後日本行政の主要争点である。
 番組では池内(池田)は大蔵省出身で、通産官僚からすればいざとなれば古巣の味方をする反覆常無き政治家のように描かれていたが、池田は退官直前の数年を除き、地方勤務が多く、主流を歩むどころか省内で不遇であった。泉下の池田としてはいかがであろうか。
 確かに池田は主税局長から大蔵事務次官を経て政界入りしている。しかし、彼は京大法学部卒であり、大蔵省では主流ではない。戦後の混乱期でなければ絶対に局長・次官になれない立場であった。城山三郎原作では、大平正芳と宮沢喜一をモデルとした人物が池田側近の大蔵官僚出身政治家として特にとりあがられている。大平は現在の一橋大学出身で主流ではない。典型的なエリートと目される宮沢にしても、蔵相秘書官は経験しているが主計局には配属されていない。高度経済成長を立案した下村治にしても東大では経済学部である。実は、池田は、「官房長〜主計局長〜大蔵事務次官」という、大蔵省主流の人脈とは一線を画しているのである。
 番組の宣伝では、主人公に「立ちはだかる」政治家として描こうとしているようだが、池田の政策が大蔵省よりも通産省寄りであった点は踏まえねば酷であろう。

追記1 池田が自主独立路線を模索していたと言う点は、池田の秘書官であった伊藤昌哉の回想録が詳しい。特に、伊藤昌哉『池田勇人―その生と死―』(至誠堂、一九六六年)を参照。

追記2 池田は経済成長によって軍事を忘却したのではなく、むしろ改憲をしなくてもできる自衛隊の強化を果たしている。これに関しては、読みこなすのに高度広範な知識が要るが、樋口恒晴『「一国平和主義」の錯覚』(PHP研究所、一九九三年)をお勧めしておく。

追記3 戦後の「官房長〜主計局〜大蔵事務次官」といういわゆる東大法学部系列の人脈の中心は福田赳夫である。大蔵省をめぐる、池田(死後、大平と田中角栄が人脈を継承)と福田の対立は戦後政治の重要な軸である。