仙台人の覚醒

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 常連の皆さま、初めて書き込んでくださる方々、レスが盛況でうれしい限りです。
 とはいうものの返事をまともにできておらず、申し訳ありません。

 今、仙台から帰京しました。
 仙台吉野作造研究会は、杜の都・仙台の知識人を結集しようという会です。
 で、120分中講師(私)が105分しゃべった中で、吉野作造は、2分くらい。。。
 この会は、吉野作造を研究しようというのではなく、吉野作造の精神に基づいて研究しようという会です。

 吉野は、『中央公論』をはじめ、いくつかの「同人誌」を持っていたのですが(笑)、
その内の一つが『新女界』という婦人啓蒙雑誌です。
 で、吉野がしゃべったことをそのまま文章に起こして毎号掲載していたのですが、
 その中身はと言うと?

「普通選挙を導入が必要である。婦人の覚醒が求められる。」
「民本主義の発展が必要である。婦人の覚醒が求められる。」
「政界の腐敗は一掃されるべきである。婦人の覚醒が求められる。」
「大陸動乱への対処が必要である。婦人の覚醒が求められる。」
「バルカン情勢が緊迫している。婦人の覚醒が求められる。」
以下略。

 要するに、言いたいことをしゃべって、最後に
「婦人の覚醒が求められる。」
の一言で締めれば許されるという姿勢だったのです。
 この雑誌、あっという間につぶれましたが。泣
 婦人の覚醒が足りなかった?

 ちなみに、仙台吉野作造研究会では、ドイツの専門家の大学の先生と
「なぜゲッベルスと久米宏は顔が似ているのだろう?」
「なぜローザ・ルクセンブルクと浜四津敏子は髪型が似ているのだろう?」
などという難問に挑んでいました。

 実に知的な集まりでした。
 仙台人の覚醒が求められる。

「仙台人の覚醒」への12件のフィードバック

  1. 猛烈に感動した。今日、日本の女子バレーがアメリカに勝って、3位になったからだ。僕のサオリン(日本バレー代表、ご存知レフトアタッカー木村沙織のこと)良くやった!
    だいたい、ここらのサイトを見に来る人は、フェンシング団体(銀メダリスト太田)世界3位がうれしく、「日本の剣道は、やっぱし西洋にも通用した。」とか歓喜していたんだろう!?
    ところで、天皇制において、男子長系だけでなく、明治まではいちおう女系も保たれていたことは当たり前の常識である。
    外戚を許さないだけでなく、天皇の血筋を引いていない奥方との子は、(少しの例外はある)外子として、天皇になれなかったの(明治天皇の外子は多かった)である。
    と、いうことは、なんらかの天皇家の女系の血筋も、何らかの形で引き継がれていたと言わざるを得ない。(しかし、美智子様は、純民間人である。今日はそのことに触れることはしたくない。)
    それから、長兄長子継続についても、以外と知られていない部分が多い。
    天皇は継承すべき人間が元服するまで、その位を継承することはできない。
    すなわち、いくら直系長子であろうとも、3歳の子供が天皇になってしまったら、いくらでも国家転覆ができてしまう(藤原道長を除く)。
    例えば、天皇から摂政として施政を引き継いでいた皇太子が若く崩御されたとき、その皇太子の長男が元服していないときなどである。
    10歳を超えていれば、ふつうその時点で元服を行えばいい。
    しかし、3歳とか5歳とかなら、無理だろう(七五三は、いわゆる元服のプロセスである)。
    そこで、皇太子の次弟(もし、いれば)が天皇になるのだが、そのとき、天皇(次弟)の息子はいわゆる(天皇家の跡取りとなることの関係のない世界)へ出家させらてしまっていた(はづだ)のである。
    皇族を離脱された旧紀宮さまなどの例と同じである。
    すなわち、天皇の唯一の血統として、ただ1つのものとし、次弟と長兄長子との跡取り合戦にならないための組みが存在するのである(その辺りのことは竹田先生に教えてもらいたい)。
    そうでもしないと、「ラオウとケンシロウ」のような、大変な争いになってしまうのである。
    応仁の乱とか壬申の乱とか見ると、「十七条憲法」から僕は何を学んでいたんだ!と言いたくなる(そんなことは書いていないが、、、)。
    結局、日本は女が「すごい」から治まっているのである。
    ということは、かなり、別のコラムのコメントにすべきか悩んだのだが、、、

  2. >SAI様
    経験者の感想ですが、剣道とフェンシングは全くの別物ですよ。そりゃ確かにフェンシング日本勢の活躍は嬉しいですが、「だから剣道は世界に通用した」と考えてる人はあんまりいないと思います。
    >明治まではいちおう女系も保たれていた
    これは継体天皇皇后や欽明天皇皇后の例を指してのご発言ですか?それだったら、竹田先生も「血の伴走者」という表現で発言されてますので、そちらを参考にされてはいかがでしょうか。なお、その意味で言えば「明治まで」ではなく、香淳皇后もこの例に含まれると思います。
    >3歳とか5歳
    そうかなぁ。前例をたどれば幼帝の例はいくらでもありますし、仲恭天皇などは生後数日でのご即位という例もあります。これは私が以前ここで書いたことでもあるのですが、親子承継という形式が標準化したのはかなり新しいことで、古代中世ではむしろ兄弟承継がスタンダードでした(そういう時代に桓武天皇はあえて親子承継を断行せられたから、早良親王の祟りが起きた)。
    とある漫画家は「親子承継でなければ皇室祭祀の伝統が途絶える」とか言ってますが、何も分かっていないか、或いは全くのウソかのどちらかです。

    >ラオウとケンシロウ
    あれは実力勝負の話なので、皇室の例としては不適切です!まぁ、話の進展で明らかになりますが、むしろケンシロウが正統で、ラオウとトキが傍流だったようですが。

    >仙台様
    ご自分の地元での開催ですから、喜びも一入かとお察しします。
    ところで、先日のレスですが、USBフラッシュメモリーって、海保の備品だったのですかね?だとすると器物損壊罪には該当しますが、そもそもあれは親告罪なので海保が刑事告訴しなければ犯罪にはならないと思います。でもUSBなんて秋葉原や日本橋に行けば格安で手に入るものなので、そんなもののためにわざわざ告訴なんかするかなぁ…機密情報漏示については、「機密というほどのものだったのか」が詰められていなければ現時点で犯罪に問うのは難しいでしょうね。

  3. 昔は寿命が短かったからな、30代での崩御も当たり前のことだった(そうすると、親子継承の前に兄弟継承が入るのが自然)。
    人生50年ぐらいになって、初めてやっと親子継承、長兄長子継承が安定してできるようになってきます(天皇の弟より子を優先、…長子(男)の孫を優先)。今は人生80年!孫、曾孫の顔まで見れる時代。たぶん、異例のこと(皇室だけでなく、歴史的に日本が初めて経験している高齢化)でしょう。
    昔は天皇と叔母との結婚もあったくらいだから(もちろん近親婚の弊害とか科学的にわかっていない時代)、より天皇に近い『血筋争いで起きたのが「壬申の乱」でしたっけ、(↓参照、)、
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1
    いろいろ正統性を巡って、「長子であるかより、天皇になってからの子の方が、皇太子時代に生まれた子(当然、長男はこっち)より優先権がある。」とか、わけのわからない理屈も作り上げて、その椅位を奪い合った過去もあったということです。
    今は皇室も少子化の時代、天皇陛下の御子が何十人もいた時代と違って、「家督継承で争うことは少なくなっても、「正統な継承者がいなくなる』という機器の方が恐ろしいですね…

  4. よく似非右翼の人が、「北方領土を奪還するには平和憲法のままじゃ、ダメだ。」とか、似非平和主義者の人が、「戦後できた日本国憲法は、世界で始めての平和憲法だから誇れる。」とか言っている人が、2つとも「ハァアー?!」なのである。
    日本の憲法はそれが最初できた十七条憲法のときから、平和憲法だったのである。十七条憲法のときは、朝鮮から日本に船で渡るにしても、1ヶ月かかり、下手すると3回に1回は台風や冬の嵐で、沈んでいたのである。
    そんな状況で、本質的な対外脅威皆無だったと言った方がよろしい。まあ、難民の流入とか、盗賊の不法滞在はあったが、それは今でも続いていることである。
    今の日本国憲法に足りないものは、対外的な「国際法」としての交戦条約であり、それは平和憲法と相容れないものではないのであって、今後の日本にできるべき憲法も、「国内法的には、平和憲法」なのである。

    当然、似非平和主義者の言う「戦後初めて平和憲法ができた。」というのは、間違いであり、1300年の昔から、日本では平和憲法を採用してきたのである。
    ヨーロッパにそれができたのは500年ぐらい遅れている話であって、ヨーロッパ主義の「憲法は西欧で初めてできた。」というのは、吻飯ものである。

    また、凱旋カーに乗って、「北方領土を返せー」と叫んでいるのは、反右翼の第三国人のバイトで、わざと騒さく、嫌がるように叫ぶことで、日本人に反戦気分にさせようとしているのだ。平和主義者の言う、「戦争へんたーい」も、「戦争をしたがる」のは、「変態だ!」と叫んでいるのである。

    十七条憲法の前の日本国内の戦いについては、よく知らないが、少なくとも「銃で撃たれて死ぬ方が、10回棒で殴られて死ぬよりマシである。」その頃は、弓矢もほとんどなく、投石、棍棒、グーが戦いの道具であったのだろう・・・
    「グーだけで、死ぬまで殴ることを想像すればいい。」古代の戦争が、どれだけ悲惨で、辛苦のあったものかを、、、
    「平和を愛する。」というのは、「戦争の痛みを知る。」ことで、初めてわかり、抱くのである。

  5. NAO様
    >そんな状況で、本質的な対外脅威皆無だったと言った方がよろしい
    この辺面白い指摘ですね。そういわれると日本は攻勢限界線の外にいました。

  6. 叔父さんの息子様

    あえて名前は伏せますが、当日訳あって私宅に泊まった者の鼾の五月蠅いこと五月蠅いこと。一体普段どれだけ寝不足なのかと思案した次第です。

    あと新発見だったのは、「雲隠」
    ああ、そうだったのか!まさかそうなっていたとは!

  7. NAO様
    そうなんですよねえ。戦争法(戦時国際法)が無いと、平和法(平時国際法)が機能しませんよね。

    >500年ぐらい遅れている話・・・1300−500=800年前
    マグナカルタのことですか?
    早すぎませんか?
    実は、欧州に人権だの文明国の法としての国際法が根付いたのは、ようやく19世紀という説も。

    ちなみに、日本の戦争は古代から遠戦主体、つまり弓の戦いだったとか。

    それにつけても、鋭敏で密度の濃い書き込み、ありがとうございます。
    今後ともお願いします。

  8. SAI様。お初です。新田と申します。
    あなたのさおりんだかなんだか知りませんがまず最初にこの砦を見る人に別物の競技をナショナリズムでごっちゃに考える人はいないと思いますよ。まして、相手がそう考えているだろうと思いこみでバカにするなんて人はいないと思います。
    ところで、何を証明に明治まで女系で保たれていたというのでしょうか。
    それと、一七条憲法が応仁の乱と壬申の乱の何処に関係があるのでしょうか。
    無知な私に教えてください。

  9. 倉山先生、お褒め頂いて、照れるなあ…
    ところで、鋭敏なコメントより、『議論が行き着くまで何もコメントせず」、尽くされるのを待つ」ということの方が、遥かに難しい(普通の人にはできないニャロな)です。
    たぶん、何のことか先生はまだ気付いていないはづなんだよなー・・・(ヒント:煩悩の数)

  10. >無知な私に教えてください。
    自分を無知(「SCさんのように)と自認する方に、「教えている時間は全くありません。せめて、勉強する意志があります。』から、とかない限り、、、

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