なぜ大正時代は正論が通ったのか 最終話 共産主義者は事実よりも理論(実は妄想)を優先する(倉山塾メルマガより)

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次のゼミナールは東海支部でやります。

タイトル:「減税は、日本の国体!」
日時 :令和5年5月28日(日)14:00~16:30
会場 :名古屋都市センター
参加費  3,000円(現地にてお支払い)
参加希望の方は以下のURL
https://kuraratokai2023.peatix.com

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一時は猛威を振るったゼロコロナ論。
ようやく勢力が衰えましたね。
それでもコンサートでは「マスクして」って
呼びかけしてるようだけど。

この前の日本外科学会なんて
誰もマスクしてない。(笑)
誰もかはともかく、
マスク率・・・
小田和正のコンサート>日本外科学会
って話題になってた。(笑)

今ごろ政府は
「マスクをするもしないも個人の自由を尊重」
とか偽善を言っているけど、
マスク警察が猛威を振るっていた時は
そんなこと言わなかった。
時の権力者でも逆らえない空気。
そりゃ、戦争に負けるはずだわ。

コロナに関しては、
恐怖に打ち勝たねばならない時に、
恐怖をまき散らした連中の罪は重い。
検証して本にします。

大正期、ある時期までは正論が通る世の中だった。
それが、正論が通らない世の中になった。
その最大の原因は共産主義。
カルトって、恐ろしい。
正論が通らないと、大日本帝国すら亡ぶ。

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続きは倉山塾メルマガで。18時配信
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「なぜ大正時代は正論が通ったのか 最終話 共産主義者は事実よりも理論(実は妄想)を優先する(倉山塾メルマガより)」への7件のフィードバック

  1. ふわふわ氏との別のスレでのやり取りにも
    同じようなことを言ったような気がしますが、
    社会構造を新しいものに更新しようと再設計するものは
    その構造を円滑に動かす部品である人間の理性を
    買い被り過ぎてはいないだろうか?
    人間が「AI」であれば社会主義は成功したかもしれない。
    しかし、人間の本性が「性悪」なものであれば
    行き着く先は「共産主義黒書」通りになるのは
    当然の結論だろう。

  2. ツイッターで流れて来ただけなので、流石にデマだと思いたいのですが、テレビ朝日社員の玉川徹さんが、コロナなんて大したことないと言い出したとか……。散々恐怖を煽って、30%近い視聴率とってた奴が、まさかデマですよね。老人もそこまで愚かではないですよね。
    しかし、山本七平さん、「空気」とはいみじくも言ったものですねぇ……。

  3. 大正デモクラシーで吹き上がった大衆の声は
    ポーツマス講和条約反対の「日比谷焼き討ち事件」
    で鎮圧されて小さな火種になっていた大衆の声が
    大火になっただけだった。この大衆の父や兄は
    日露戦争で戦死し、あるいは傷付いた。
    「何故に満州鉄道だけなのだ?」という不満は
    政治家や軍人や識者やジャーナリストなどに
    影響を与えることになる。雑誌などで識者が
    「満蒙問題」に関して議論することが多く
    なってゆく。この対外強硬的な大衆の支持は
    国家改造を目指す過激思想家に向かう。
    吉野作造の「民本主義」は過激思想の前に
    小さくなってゆく。吉野作造が立ち上げた
    「民本主義」を広げる為の東大「新人会」も
    いつのまにか共産主義者に乗っ取られてしまう。
    石原莞爾という日本崩壊のビリヤードの第一打を
    突いた軍人も大正デモクラシーの大衆の声が
    作り出したものかもしれない。
    倉山先生、大正時代は本当に正論が通ったの
    でしょうか?

  4. 近代史研究者の筒井清忠さんが「戦時中」と同様の現象と指摘していますが、これからその二番煎じの言論が湧くのではと思っています。
    騒動の最中からこれは狂想曲だと明言した人(トンデモを除く)は少ないですが、後からウダウダ言う輩は雨後の筍の如く現れそうですね

  5. 大正デモクラシーで「日比谷焼き打ち事件」
    の鎮圧により大衆の底辺で燻っていた
    対外強硬意見はパンドラの箱を開けたように
    世に噴出した。そのことにより国家改造を目指す
    急進的な思想を持つ者達もその波に乗り動き出す
    ことになる。大正7年に「老壮会」という
    思想団体が設立される。メンバーは、北一輝、
    大川周明、満川亀太郎、堺利彦、下中彌三郎、
    大杉栄、中野正剛、高畠素之、京都にいる為に
    書簡参加として河上肇。右翼と左翼の混合ですが
    社会主義者であることと急進的国家改造を
    目指すことで一致しています。
    河上の主張する「奢侈を廃し必要な生産を行う」
    という主張は戦時中の「贅沢は敵だ」という
    スローガンになります。北と大川の思想も
    軍部の青年将校に大きな影響を与えました。
    高畠はマルクスの「資本論」を翻訳したことで
    有名です。しかし、後に国家社会主義者に
    なっています。今も高畠が翻訳した「資本論」
    が読まれてますが、翻訳した人が右翼だということを
    知っている人はいるでしょうか?
    下中彌三郎は戦後、社会党系の進歩的文化人に
    なります。つまり、戦前は過激派、戦後は平和主義者。
    戦前、国家主義者と社会主義者は矛盾を感じずに
    同居していたことになります。

  6. 筒井清忠編 「昭和史講義」(ちくま新書)から

    「植民地支配特権大国=英米」
    対「弱小隷従地域=アジア」として捉えられた
    国際的対比は、国内的には
    「親英米派的重臣・財閥等特権階級」対
    「弱小隷従階級」ということになるわけである。
    (国家改造を目指す者達から見たら)
    天皇周辺の西園寺元老や牧野内大臣が親英米派の
    代表だったわけだが、彼らは「君側の奸」として
    攻撃の対象になった。”植民地支配にあえぐ
    アジアの解放を” ”貧窮にあえぐ民衆の敵の
    特権階級を打倒”という主張は、日本を戦争に
    導く一端ともなる。日本の根本的改造とアジア解放を
    目指した北一輝を中心とした運動に従事した人々に
    とっては、中国と協力して英米と戦争するというなら
    予期出たことであろうが、中国と戦争をしながら
    英米と戦争するなど考えもしなかったであろう。
    そこに昭和超国家主義運動の皮肉な運命がある。

    (日本のアジア主義とは盲目の恋愛に似てる)

  7. 前レスの関連することを書き込みたい。

    最近にもある事件だが、愛しすぎると裏切られた
    反動は大きいもののようだ。相手を殺して
    永遠に自分のものにしようとする心理が働くらしい。
    戦前のアジア主義が内在する心理から日中戦争という
    過程を考えた場合も、愛しすぎ裏切られた反動と
    考えなければ説明がつかない。
    西郷隆盛は、勝海舟から日清朝の三国同盟で
    欧米列強に対抗という考えを聞かされ、感銘を
    受けたようだ。これが1945年8月15日の
    敗戦まで続く日本のアジア主義(大陸主義)物語の
    始まりだったと個人的に思っている。
    大陸派の西郷としては、海洋国家になろとしている
    明治新政府が許せない。ヨーロッパに岩倉使節団が
    西欧文明を学ぼうと出発したが、内心、苦々しく
    感じていたはずだ。西郷は大久保と岩倉が留守の間に
    日本を大陸主義の国にしようと動き出す。
    李氏朝鮮に国交を結ぶ為に使者を送る。しかし、
    李氏朝鮮は、洋服の使者に驚く。徳川幕府の使者は
    和装だったのに明治政府の使者は洋装になっていた。
    李氏朝鮮は「明治政府は魂を売った」として
    使者を追い返した。西郷は日清朝の三国同盟実現には
    武力しかないと悟り、そこから「征韓論」に発展する。
    その時から日本は「海洋派」と「大陸派」が
    政治的に常に対立することになる。
    海洋国家との繋がりを推進してきた安倍さんは
    海洋主義の象徴のようなところがある。
    「アベガー」「アベ死ね」と吐き捨てるように
    言葉を安倍さんに投げつけていた人達は
    本人達には自覚がないようだが、確実に
    アジア主義のDNAを受け継いでいる人達と言える。

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