森下vs.ツツカナ戦の雑感

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 チョー久しぶりに、将棋のことを書いてみたくなった。
 実は、かなり意義がある出来事なので。

 ニコニコ生放送の年末恒例企画、
「プロ棋士vs.コンピューター将棋 リベンジマッチ」

 今年は、森下卓九段がツツカナというコンピューターソフトと対戦。

 時間無制限の勝負!と謳いながら、
「指しかけ」といって、要するに「中断」で明け方に終了。
 前日の朝10時から激闘20時間の末。

 ある程度以上、将棋がわかる人なら結果は一目瞭然なのだが、一部には
「自分で提唱したルールを変えるな」とか、
 終わった後に森下九段が
「これ、続ける意味ありますか」と発言したことを批判したりとかもあるとか。

 先に全体的な感想を言っておくと、

・私は日付が変わるころに、「これどうやってコンピューターが逆転するの?」と判断。
・そこから数時間後、人間(森下)の勝利を確信して就寝。
・朝起きて、結果を聞いて愕然。「なんでソフト開発者が負けを認めてないの?」 ※注1
・指しかけ局面(ついでに棋譜)を見て、さらに愕然。
 普通の大優勢とか勝勢ではない。「全駒」すらありうる。※注2

 棋譜の著作権とかよくわからないけど、とりあえずリンク。
 
http://hantosidegodan.seesaa.net/article/411599757.html

 だから、ソフト開発者が同行して、もっと早く「負けました」と一言いえば、何の問題もなかったのだが、それがなかったので今回の意義とは別の事ばかりが話題になっていたのは残念。

※注1
 あまりの大差でコンピューターが不利の場合、同行している開発者が投了する。
 つまり、負けを認める。
 後で知ったが、この日はたまたま同行していなかったらしい。
 これは運営の不備。泥仕合の末にコンピューターが負けを認めないなんて想定内なので。

※注2
 「全駒」というのは、相手の駒を全部とること。
 プロはもちろん、アマでも中級者ならありえない。
 それほど形勢は決定的に傾いていた。
 申し訳ないが、私が森下側、羽生名人がツツカナ側をもって指しても、勝敗は動かないレベル。
 もはや、勝敗ではなく、「全駒」が可能かどうかレベル。

 さて、本題。

 まず、最近の「プロVS.コンピューター」は、プロが押され気味。
 昨年の対抗戦では、プロの1勝4敗。現役のA級八段が敗れたりもしているので、※注3
「もはやコンピューターに勝てる人間は数人」
「人間はコンピューターに抜かれた」
と棋界雀の間で大騒ぎになったりもした。

※注3
とはいうものの、若いころ(10歳くらい)から、
「羽生の次の次の名人」と将来を嘱望されていた豊島将之七段の勝ちっぷり(1勝4敗の1勝)がすごすぎて、
「コンピューター、名人には遠いんじゃない」と思っていたのだが。
 どれくらいの勝ちっぷりかと言うと、
「人間さまに楯突くなんて50年早い!」と言わんばかりの圧勝。

http://hantosidegodan.seesaa.net/article/393033208.html

 もちろん、豊島七段がこんなことを言った訳ではなく、私の感想。
 根拠を言っておくと、この将棋83手で決着がついているのだけど、間違いなく25手目に攻めかかった時にそれを読んでいたから。
 たとえるなら、いきなり横っ面を張り飛ばして、相手のパンチをカスリはさせるが、こちらは急所に連打。最後まで連打の手を緩めず、KO勝ち、みたいな勝ち方。
 最初にこの棋譜を見た時、コンピュータのバグなのかなとか
バグじゃないと人間は勝てないのかとか思ったけど、どうやら豊島七段、事前研究でその局面に誘導したとか。
(将棋雑誌のインタビューで言ってた)

 

 この風潮に敢然と異を唱えたのが、森下九段。
「人間だって、納得できるルールで戦えば、コンピューターに勝てる」
ということで提唱したルールが以下。

 そのルールの特徴は、

一、継ぎ盤が使える
二、持ち時間3時間を使い切ったら、1手10分将棋
 (1手に10分考えることができる)

 一の「継ぎ盤」とは、検討用の盤のこと。
 普通、将棋の対局は全部、自分の頭の中だけで考えるのがルール。
 頭の中を盤の上に再現するのは反則だし、ましてやコンピューターに計算させるのは禁止。
 もちろん、人間相手に自分だけこれをやらせろ、と言い出したらハンディをもらうことになる。

 しかし、コンピューターは常時これをやっている状態なのに、人間に許されないのは如何か、ということ。
 人間にだけ凡ミスの可能性があるのは不公平ではないか、ということ。
 そもそも、コンピューターは、疲れないし、忘れないし。当たり前だが。

 二の「1手10分将棋」は、計算速度の劣る人間に有利なルールではある。
 既に詰将棋では完全にコンピューターは人間に勝っていて、1万何手詰めを数秒で解くことも可能になっている。
 これはなぜかというと、「答えがある」とわかると後は計算だけなので、絶対にコンピューターは間違えない。
 人間はそういう局面で間違えると、絶対にコンピューターには勝てない。※注4
 そこで、普通は1分将棋なのだけど、凡ミスをなくすためにせめて「10分はくれ」ということになったとか。
 最初は「15分将棋」も言われたらしいけど、運営の都合として10分で妥協したとか。
 これは運営側がよく認めたと思う。ニコ生以外では「10分将棋」でも企画として成立しない。

※注4
 これは重要な点なので解説しておくと、なぜ長らくコンピューター将棋は人間に勝てなかったか。
 それは将棋というゲームは「局面の評価が難しい」に尽きる。
 だからこそ、「最善手を指せば勝つ」とわかりやすくなれば、計算力に勝るコンピューターが100%勝つことになる。
 逆を言えば、人間側の勝機は「そうなる前に決める」という戦い方をするしかない。
 そんなギリギリの局面で、1分と10分は天地の差。

 このルールでの対局の意味は、
 疲れ、凡ミス、時間に追われての悪手などのヒューマンエラーがなければ、決して人間はコンピューターに将棋で勝てない訳ではない。
 そもそも、コンピューターの方が人間に比べて条件が良いのだから、人間側が納得する条件で戦わせろ、ということ。

 こういう理由があるルールで、いざ対局。

(以上の私の解釈が間違っていたら、プロ棋士の先生及び関係者の方々の抗議は素直に受け付ける。)
(素人さんの勝手な思い付きはすべて却下。アマ四段以上の棋力の持ち主は可)
(コンピューター将棋開発者として実績がある人も可)

 
 私の棋力での判断だけど、
 序盤は互角。
 コンピューターが先手でありながら「やや消極」かとも思うけど、優勢劣勢を左右するほどではない。

 なお、森下九段が継ぎ盤で検討しているので、プロが対局中に何を考えているかよくわかって勉強になった。
 運営の成功と思う。
 森下九段、独り言も多かったので、なお。
 私の見立てでは、抜け落ちがないかの確認を最優先しているように思えた。
 勝ちに行く、よりも絶対に負けない、という姿勢と言うのか。
 ただ、いろんな読み筋がある中で、詰み(勝ち)が見えた時は、数秒で数十手詰みとかを読んでいた時は感動した。
 (もちろん、コンピューターはその筋を回避したけど)

 中盤、コンピューターに意味不明な手が一手、さらに「悪手じゃない?」と思う手が一手出て、
 森下九段のみ飛車を成りこんで優勢に。
 ただ、こういう局面から何度もコンピューターはプロに勝っているので、まだまだ予断は許さない。

 本来の放送終了時間が、終盤の入り口。
 日付を回ったころ、コンピューターに決定的な悪手が出て、形勢に決定的な差がつく。
 人間なら投げ出したくなるところだが、コンピューターはしぶとい。
 アマ高段者でも間違うんじゃないか(少なくとも私は自信がない)という局面が続くが、森下九段は悪あがきをあしらうかのように有利を拡大する。
 このあたりの劣勢はコンピューターも認識していたよう。
 コンピューターは局面の優劣を数字で認識するのだが、どんどん数字は開いていく一方。

 ところが、コンピューターは絶対に勝ちが無くなった局面でも負けを認めようとしない。
 しかも、1手10分だから、1時間に約10手弱しか進まない。
 局面は「コンピューターは指せば指すほど惨めな負け方になるだけ」という局面に。
 まさか、「人間対コンピューターの体力勝負」とかやるわけにはいかない。
(ネットでは「自分で言い出したルールだからやれ」という非常識な意見もあったが)

 昔、ホイス・グレーシーという格闘家がいて、桜庭和志という人と戦い、劣勢のまま90分も見苦しく粘った挙句に負けたという大凡戦があった。
 あの試合の何が後味悪いかって、「ギブアップの美学」がなかったこと。
 「負けました(ギブアップ)」を自ら宣言する意味は、相手への尊敬を表すことにある。
 そのままの状態を続けたら、自分がケガをするだけで、勝ちはない。
 そういう状態の時に負けましたを言わないということは、「俺をケガさせてみろ」ということ。
 究極は相手を殺人犯にしたいということと同じ。

 将棋では、絶対に勝ちが無くなった局面で相手の力量をたたえる意味で
「負けました」と宣言するのが通例。
 将棋は相手の王様を取り合いするゲームだが、本当に取ることはない。
 あっても「王手見逃しの反則負け」という扱いになる。

 漫画『月下の棋士』のように、自分の王様が詰まされているのに、相手が心臓発作を起こすのを期待して持ち時間いっぱい待つ、などありえない。
 

 ここで冒頭の結論に戻る。
 もしここでいつものようにソフト開発者がいたら、「負けました」と一言言って、感動のフィナーレだっただろう。
 ところが、コンピューターは「まだ戦える」と判断してしまった。
 このまま続けば、10分×100手で1000分戦うこともありえるが、絶対にコンピューターに勝ちはない。
 
 たとえるなら、両足と片腕を折られ、もう一方の腕もロックされているようなもの。
 将棋の「全駒」とは格闘技の試合で言えば、「相手がギブアップしないので殺すまでやる」ようなもの。
 だから、森下九段の「続ける意味ありますか」という発言になるのは当然。

 条件が人間に納得がいくものなら、コンピューターと十分に戦える。
 決して人間はコンピューターに抜かれたわけではない。
という森下九段の主張は証明されたと思う。

 口の悪い言い方をすれば、
「コンピューターは体力勝負と時間攻めで人間の凡ミスを誘って勝ってきた」とも言える。
 つまり、将棋の技術以外のところで勝ってきた、とも言える。

 ただ、こう言い切るのもまた安直ではある。
 そもそも、「プロ棋士VS.コンピューター将棋」って、「人間VS.コンピューター」ではないので。
 実は「人間VS.人間の開発したコンピューター」なので。

 かつて、「スーパーコンピューター60台VS.女流棋士」という対局もあったけど、あれ、「ミサイル60発VS.素手」みたいな戦いだった訳だ。

 それを今回は
「ミサイル60発VS.ライフル2丁」
くらいで戦った。

 それで圧勝した。
 素直に、プロ棋士がすごい、超人だったで良いのではないか。

 今回、事前に発表された「ルール」に基づいて、
「森下は自分で決めたルールに従え」とがなっていた論者がネットで散見されたが、いかなるルールにも思想があるのだから、ルールの条文よりも思想の方が大事だと理解されたいものだ。

 ネット時代、「ルール」は誰でも検索できるが、思想は自分で学ばねば身につかない。
 実は、今日の論考、憲法の話であり、情報化社会の学び方であり、倉山塾の宣伝だったりする。