ルールと投了の美学

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 チャンネルくららの方針。
 今年は日本文化に関する番組をつくるぞ!
 オー!

 前回の記事に関し、倉山塾掲示板ではまじめな議論白熱。
 多士済々の倉山塾には、大学時代某強豪校の主将だった塾生さんからコメントを二点いただいたので紹介。

投了の美学
 どのくらい不利な状況になれば投了するかは本人にとってその勝負がどのくらい重要かで大きく変わるのでは?
 運営の問題だと思う。
 二日制にするとかしないと、無限大の体力・演算力・記憶力を持つCPUと戦う森下先生に失礼。
 「人間は技術力でCPUに劣るのか」という今回のテーマそのものが薄れる。

 その通りですね。

 ではコンピューターにプログラミングするときに、
「どのくらい不利な状況」
「その勝負がどのくらい重要か」
をプログラミングできるか。

 おそらく不可能だと思います。

 森下VS.ツツカナ戦は、
「もう決着がついた。これ以上やるのは意味がない」
とCPUには判断できないのは仕方なかったでしょう。
(こういうのは人間がやるしかない)

 

今回のルールに関して
 依然、人間にとって圧倒的に不利なルールの中で完勝した森下先生は偉い。

 この件に関して、愚見を追加する。
 将棋は、人類が発明したありとあらゆるゲームの中で、最も完成されたゲームと言われている。

 一つは、いまだに先手と後手のどちらが有利かわかっていないゲームであること。※注1

※注1
 たとえば、お互いに最善手を打ち続けた場合、囲碁は先手有利、チェスは引き分け。

 もう一つは、ルールに不備がないこと。※注2

※注2
 谷川八段対米長九段の伝説の千日手でルール改正されたのが唯一の例か。

 とはいうものの、人間対人間を前提にしているので、人間対CPUになった場合、不備があるのは当然。
 詳しくは前回書いたので略すが、要するに
「ミサイル60発VS.素手」はいくらなんでもなんで、
「ミサイル60発VS.ライフル2丁」くらいにした、ということ。

 素手の人間にライフルを持てば卑怯な行為だが、相手はそもそもミサイルを60発撃てるのだから、
こちらが素手で戦わなくても良いだろう、と理解されたし。

 これが「依然、人間にとって圧倒的に不利なルール」の意味。

 以上、将棋のルールを知らない人に伝わったかなあ。