大衆の反逆とゴンベエさん

LINEで送る
Pocket

 土曜日の帝国憲法は意外に多くの方に集まりいただき、ビックリしました。今回は数ではなく質にしか拘っていませんので。すべてにおいて。

 あと二回を予定しているのですが、たぶん本邦初公開のネタをしていくと思います。
前回の場合は、「山本権兵衛一代記」でしたが。ただし15分ダイジェスト版。

 フランコ内戦時代のスペインにオルテガという碩学がいて、『大衆の反逆』という本を書いているのですが、私も大衆かもと反省することしきり。
オルテガ先生いわく、
「大衆は少し目立つ人がいるとみんなでよってたかって潰しておいて、最近の政治家には人材がいないなどと嘆く。そして最後は自分で自分の首を絞める」と。

 今では有名な白洲次郎も、当時は「極悪非道の利権屋」「あらゆる権力に擦り寄る政治屋」
「性格最悪のキザ男」呼ばわりだったのですね。かの悪書『小説!吉田学校』ではダメ人間「黒須太郎」として登場しますが、そのイメージ、当時の人のイメージではあるそうで。

 そして山本大将。
本当に今回の震災で改めて見直してみました。

 私なんかよりよほど力を持っているのに、その力の使い道をまったく知らない人が口を揃えて言うには、「誰もが納得するような凄い力を持った人がいれば」です。
小泉以後はそんな人がいないというのが前提では?
じゃあ小泉再登板なら納得するのでしょうか。

 第一次桂太郎内閣成立時、

 総理大臣 桂太郎
外務大臣 小村壽太郎
陸軍大臣 児玉源太郎
海軍大臣 山本權兵衞
司法大臣 清浦奎吾

といった人たちにつけられたあだ名が
「次官内閣」・・・とうてい大臣になれないような連中。
「二流内閣」・・・維新第二世代の意味も。

 しかし、日英同盟・日露戦争・ポーツマス会議と最も重要な時代を乗りきったのですね。
実は人材内閣だったということです。
過去の実績よりも若い可能性の方が大事なときもあるのでは?

 だから、松原仁・青年内閣を!!(あれ?)

 力のある人間を見抜く人物眼、まさに審美眼からくるのではないかと思います。