「フェイスブック革命」と言う大嘘

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 今回の記事、私は誰に向けて書いているのでしょう?
 正解は?
 言うわけが無いでしょ。
 聞かれたら何でも教えなきゃいけないわけではないので。
 特定の人に向けて書いた文章ですけどね。
 自称□□××」とか「自称□□○○○」に向けてです。
 まあ普通の人は該当しないので、「あ、倉山なんか怒ってる」とか、気軽に読んでください。
 作品としては着地しているはずなので。

 昨晩、月に一度の不眠症解消番組こと「朝までテレビ」をつけてた。
 竹田先生も出てたし。
 ここ数ヶ月(という表現じゃすまないくらい)お会いしてないし、

 どんなもんやらと思いつつ見てたら、予想通りの展開に。
 しかし、田原さんの司会力、落ちたなあ。いつのまにあんな煽りがヘタになったの?
 エンタメとして成立してなかった。
 プロレスで言うところの「テーマが無い戦い」。
 テーマの例を基本だけあげると、
「ヒール対ベビーフェイス」→「巨大な外人VS.日本人」
「世代間抗争」
「日本人抗争、嫉妬と怨念編」
とかになるのだけど、どれにもなっていなかった。
 席順の配置からして意味不明だし、何がしたいのかよくわからなかった。
 竹田先生お疲れ様でした、としか言いようがない。

 この番組、適度につまらないと安眠できるのだが、
 あまりにつまらないと余計に不眠になるのが使用上の注意。

 西園寺公望が生きていたら
「テレビ朝日の放送認可を取り消せ」
とか言っただろうなあ。
西園寺元老様、思想統制には神経過敏だが、言論統制には安直だったから。
(だから「安住“言論”統制」とか言うな、と思っている。

 ちなみに、全部見たわけでは無いのだが、戦前なら不敬罪の該当者が多いなあ。
 堀江・田原は論外。堀江は社会人として駄目でしょう。ほぼ池田信夫級。
 東も該当者だろうなあ。それにしても「フェイスブックが世の中を変える」とか、何なのその日本語?
 でも意外と気付かないだろうけど、●●●●とか●●●●も戦前ならしょっ引かれるわなア。
 いくら「朝まで」流のルールがあると言っても、味方が話をさえぎっては駄目。

 重ね重ね、よく出たなあと思う。
 ブッチャー&シン戦で、猪木とタッグを組んだ馬場さんみたいに見えて仕方なかった。
(その心は?真面目にプロレスを愛している人にだけこっそり教えます。)
(結論だけ聞きたがるような怠惰な人には絶対に教えませんので、あしからず。)
(誤解を招くアホがウヨウヨいるので釘をさしておきますが、竹田先生に悪意が
あるはずないので。)
(というか、そんなこともわからんドバカがいるから世捨て人になりたくなる。)
(何でそんなことまで説明しなきゃいかんのだ。イライラ×∞)

 さて、本題。
 チュニジアとかエジプトとかアラブ諸国で「フェイスブック革命」と騒がれている。
 経済的要素、教育問題だけでなく、通信手段の重要な一つとしてフェイスブックがメールやブログ(ツイッター)とともに重要な意義を持った、
の意味ならわかるよ。
 でも、宗教改革のことを「活版印刷革命」と言うの?

「フェイスブックを使って革命を起こした」はわかる。
 言い換えれば、「革命に際してフェイスブックが重要な役割を果たした」なので。

 しかし、「フェイスブックが革命を起こした」はあくまで文学表現であって、
社会現象の分析で使うと
「そういうことは作家か詩人になってから言え。
そういう才能も無い只のアホが無生物主語なんて高等な文学表現は使うな。
それともお前は社会科学で擬人法をやりたいのか?」
などと真面目な学者からは怒られる。当たり前だ。

 例えば、
「原爆が広島長崎の悲劇をもたらした」→使ったのはアメリカ人だよ。
「統帥権という魔物が暴走し、大日本帝国を滅ぼした」→日露戦争でもありましたが何か?

 モノを主語にした一文、大体は誰かの責任を回避するためのミスリードであることが多いのだな。
 しかも使っている本人は無自覚なだけと言う場合が多いので、なおさらタチが悪い。
 本質は、あくまで使う人間の問題でしょ?

 チュニジアのジャスミン革命の時も言われてたけど、
「ネットにしてもフェイスブックにしてもあくまで道具。確かに便利な道具だが、独裁者はパソコン画面の前に座っている人民など恐くない。独裁者が怖れるのは街頭に出て行動されることだ」が、すべてでは?

 なんか日本では
「ネットにこそ真の世論がある。投票なんかじゃ世の中変わらない」
とか愚かな言論すら存在するようだけど。
 間違いなく24時間ネットに向かうよりも、1日8時間議員会館にいるほうが社会に対する影響力あるから。
 たとえば、議員会館だってネットのガセネタ級の情報が飛び交うのだけど、良質な情報の質が違いすぎるのよね。
 ましてや投票なんてのは、「擬似内戦」だからねえ。

 じゃあ「ネットは駄目なのか?」とか思われると、
「お前はそこまで読解力が無いのか?」とか言いたくなる。
 勝手に「All or nothing」にしたがる輩がどれほど多いことか。
 だから、ネットは便利な手段であって、すべてではありえないということ。

 宗教改革が「活版印刷革命」
 アラブ革命が「フェイスブック革命」なら、
 明治維新は「飛脚革命」だ。
 ついでに昭和初期は「怪文書革命」だ。

 私もネットに限らずツールは大事だと思っているんだけど(だからこんなブログをやっている)、ツールはあくまでツールであって、本質は人間だよ。

 本当に誰かが考えたツールとその運用手段が社会に影響を与えたというなら、
 蓮如上人の「御文(おふみ)」を無視されては困る。名付けて、

手紙革命!

 グーテンベルク + ルター = 蓮如?

 最後になぜ明治維新ができたか?

知恵と勇気と行動力!