立憲君主の役割とは?(新生倉山塾メルマガより)

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例の西村宮内庁長官発言。
いつもの野党とマスコミが大騒ぎしてますね。
あの言い方じゃ、騒いでくださいと言わんばかりだけど。

かといって
「御聖断だ!」
「陛下もオリンピックに反対だ!」
「菅首相は横暴だ!」
とか騒ぐ連中に加担する気には
かけらもなれない。

連中も安倍内閣の時と違って
盛り上がりにかけるんで、(笑)
盛り上げてあげる必要が無い。

私は
「右か左かだけで考えるのをやめよう」
と言い続けてきました。

どう考えたらいいか、
その為の知識を得るのが第一歩です。

そこで今日は
「立憲君主の役割とは?」

我が国の天皇陛下もそうですが、
立憲君主には何が求められるか。

続きは新生倉山塾メルマガで。
https://kurayama-school.com/

「立憲君主の役割とは?(新生倉山塾メルマガより)」への11件のフィードバック

  1. 日本が立憲主義君主制ではなく、君主主義立憲制であり、そうあるべきなんだと思う。

    1. 意図を明確に理解したいので質問します。

      「立憲君主制」と書かずに、「立憲主義君主制」とあるのは、憲法と君主の優先順位(序列)を明確に定義する目的で、そのように表現されたのでしょうか?

      加えて、君主主義とは、君主制を支持する考え方のことです。立憲制による統治を支持する立憲主義と、相容れない思想ではないと思ったのですが。

      ちなみに私は、日本は本来の立憲君主制(制限君主制)に立ち戻るべきであると考えます。日本では古来より、朝廷(議会)の中に天皇が存在し、西欧各国のような絶対君主ではありませんでした。天皇の独断で全てが決まるようなことはなかったのです(例外はありましたが)。

      今の日本国憲法の体制下では、本来の立憲君主制(制限君主制)において認められているはずの、警告権・激励権・被諮問権にまで制限がかけられているように感じます。

      1. 英国は立憲主義君主制だと思ったことからの比較表現です。
        英国には明文化された憲法ではありません。しかし、マグナカルタなどがあり最古の立憲国と言ってもいいと思います。
        憲法そのものの役割が王、貴族、民衆の関係を規定してそれに従う。そして、戦争や技術発展による社会の変化で憲法、すなはち、王、貴族、民衆の関係が変化必要となり、新たな契約をします。ジョン・ロックの社会契約説ですね…
        また、英連邦の君主制について、カナダやオーストラリアも採用しています。どちらかというと、英連邦を束ねるための制度かな,,,アメリカは独立したので英連邦には所属しなくなりました。
        憲法で君主と民衆の関係を長い歴史と伝統で規定する。その上で君主を置く。という意味で英国は立憲主義君主制と言いたいのです。

        日本は天皇と国民との関係は長い歴史と文化の培われ、有形の君主を規定する文書や制度はない。天皇イズムというべき、無形な全ての国民に擦り込まれている”主義”があると思っています。その上に明治から明文化した憲法で議会や大臣や枢密院と国民の関係を規定した制度ができた。と思っています。

        1. 返信ありがとうございます。
          なるほど、比較表現のため、「立憲主義君主制/君主主義立憲制」という語を用いたのですね。

          テストで立憲君主制ではなく、立憲主義君主制と書けば、×か△を貰うでしょうから。「何か意味があって、わざわざそうしたのかな?」と考え込んでしまいました。

          日本は本当に不思議な国です。
          日本とイギリスは似ているといわれますが。

          イギリスでは国王(絶対君主)を議会に封じ込めるための長い闘いの歴史があり、そこから(明文化されていないものの)憲法という概念が発達し、立憲制が確立されていった。

          ところが、日本の天皇は、少なくとも文献史料で確認できるような時代には、既に議会(朝廷)の中にいた。初期の頃には、また違う様相だったのかも知れませんが。

          最近、日本の先史時代の研究に、イギリス(大ブリテン島及び北部アイルランド連合王国)の成立モデルを役立てられるのではないかと考え始めたのですが。
          歴史学や法学は得意ではないので。詳しい方のお話を聴けて良かったです。ありがとうございます。お手数をおかけしました。

  2. 英国の薔薇戦争→イングランド、ウェーブ、スコットランド、アイルランドの統合と、
    倭の100ヶ国の大乱→近畿、出雲、九州、濃尾の統一を比較するのはおもしろいかもしれませんね…
    対外的には、百年戦争のカレーの戦いと白村江の戦いが対応する比較するべき戦闘なのかもしれません。
    ーーーーー
    また、○○主義ということについて、、
    アメリカでインディアンしかいない荒野を開拓した、家族は自分で守るしかなかった自由主義
    フランスで民衆の血を流して王権を倒して勝ち取った民主主義というのがあります。

    日本人って、自由を与えられても困る。束縛されたい、上からの命令待ちで自由が苦手な人も多い。また、親や社会が何とかしてくれると甘えて、民衆が自立する意識が薄い。とか感じます。
    日本人にとって自由主義や民主主義はないものねだりの憧れで流行っているのかもしれません。

  3. カレーと白村江!!
    そこまで考えていませんでした。国内の統合過程にばかり気を取られていましたよ。そうですね、もっと広範囲で見ないと、列島内で何が起きていたかという本質を掴むことは出来ませんよね。

    >自由主義・民主主義
    なるほど、ないものねだりの憧れですか。
    一応、方向性として志向はするものの、それを実行する能力に欠けている。今一つ及ばない。

    話は少し逸れますが、「モラル・ライセンシング効果」を思い出しました。簡単に言ってしまうと、「人権ガー、差別ガー!」と叫んでいる人達が、一番、人権を軽視して差別的言動に走っているという二重基準の状態などを指して使いますが。

    本人達は、意識が高いつもりでいます。理想に向かって邁進しているつもりです。しかし、それに見合うほど脳が鍛えられていません。理性や社会性を司る前頭前皮質(前頭前野)の機能が低いんです。だから、ちょっとしたことでも、本能や感情を司る大脳辺縁系が優位になってしまいます。
    つまり、意識だけは高いので、「私は努力している・貢献している」という錯覚が生じますが、同時に「これぐらいは許される」という道徳的に免罪符を手に入れた状態になってしまうんです。だから「モラル・ライセンシング」。

    脳の働きとしては似たようなものかな、と思いました。自由主義・民主主義の意識は高いくせに、実際には甘えのほうが強い。国民主権を声高に唱えるなら、主権を担えるだけの見識が国民の側になければいけません。一票とは本来、責任のことなのだと思います。

  4. すみません、横入りです。
    私も上記を拝見してお聞きしたいのですが、
    なおのぐち様の仰ることに手前味噌の解釈では、
    立憲主義君主制は日本国憲法。
    君主主義立憲制は皇室典範と大日本帝国憲法が、成り立ちからも近いかなと思ったのですが、
    もっと別次元のことなのでしょうか。

  5. ”日本が立憲主義君主制ではなく、君主主義立憲制であり、そうあるべきなんだと思う。”というのは、、
    チャンネルくららの↓の番組を見て、ふと思ったことでした。
    https://www.youtube.com/watch?v=8PC6_aok0Ns

    憲法全体については↓の番組が参考になると思います。
    https://www.youtube.com/watch?v=FavQ6bJ7EWI

    倉山先生の見解は「憲法での天皇の規定は最小限でいい。」というものだと思います。

    初詣にほぼ全ての国民が行く(1人3カ所に詣でる人もいるから厳密には数えにくい)。ひな祭りで、天皇家の結婚式である雛壇を飾って、「こうなりたいな・・」と思う。

    このような文化は法や制度で規定するものではありません。
    初詣で「自分、家族、国、世界の平穏と安寧、健勝や成功を祈る。」のは誰から強制されるでもなく自発的にすることです。
    「初詣に行け!」と憲法やその他法で規定する(イスラム圏はそうかもしれない。)には天皇の役割の多くはそぐわないものだと思っています。

    1. 大日本帝国憲法が、ずつと古来から続いている皇室の存在を「確認した」だけで、大日本帝国憲法の時点から皇室に対して物事を言うのは畏れ多いことなので追求なんてしていませんものね。
      大日本帝国憲法は、主権は天皇にありますが神聖不可侵のため恐れながら国民の代表者が代わりに統治し責任も負います、という運用法ですから皇室に指図などもってのほかですしね。

      このコメント欄ですみませんが、上の私のコメントで手前味噌→手前勝手に訂正します。

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