何だか、お隣の中華帝国で反日暴動がお盛んだそうで。
だから言わんこっちゃない。
もう十五年位前ですが、
「あんな、いきなり秘密警察だか憲兵だかわからん連中が寄ってきていきなり拘束するような国になんか旅行などしたくない。そんなに十億人の市場が欲しいならインドに行けば?」などと発言すると、ビジネスマンの方々には怪訝な顔をされたものです。
ここまで日本と日本人をコケにされて大陸に幻想を持てたら病気ですわな。
明治以来、なぜ極端から極端にブレるのでしょうか。。。昔は過度の尊大、今は過度の卑屈。
明治期の大陸雄飛の時代、敗戦国民の支那人を侮蔑する風潮が強まっていく時代に
「さすがにそれは調子に乗りすぎで、やりすぎじゃないの?」
「彼らだって漢文とか、色々と文化的な遺産も残している立派なところもあるじゃない」
「何でもかんでも欧米ではって言えばよいものではないでしょう」
と弱者の味方に立っていたのが夏目漱石です。
後に「日本はアジア太平洋最強の国になったのだから、追いつけ追い越せではなく、穏健な対外態度、特に文化的振る舞いをして尊敬される方が経済的だし国益にかなう」と主張したのが、吉野作造です。
この二人、日本も日本政府も嫌いな人たちに、どう考えても誤読を通り越して単なる曲解としか思えない訳のわからん持ち上げ方されていますが、彼らの主張がなされた時代背景を無視して結論だけとりあげるのはあまりにも歴史上の人物に失礼でしょう。
さて、思想家コラムの第三番目に夏目漱石。
政治から超然とした人を一人は入れたいと思っていたのも理由ですが、「七博士」とか凡百の同時代の政治思想家よりも、日本の同時代を代表する人物として、私としては奇をてらわずに真正面から取り組んでみたつもりです。
「ここで漱石を取り上げるセンスそのものがすごい」
「言われてみればなるほどだけど、まったく想像もしなかった」
「お前に文学の素養があるとは思わなかった」
など色々とお褒めの言葉をいただいております。感謝。
特に、「日本近代化の矛盾」を体現する存在として、最も早く日本の没落が見(看、視、そして観)えてしまい、誰も気付かないうちから「日本を守るのは文化だ!」と孤独に悩んでいた方としてとりあげました。これ、吉野作造の問題意識でもあり、弟子の芥川龍之介にも受け継がれているのですね。機会があれば、「芥川龍之介の“不安”とは?」などもしたいのですが、それにはまだまだ修行も必要そうです。
あとこの議題の関連で、会田雄次さんの『アーロン収容所』などを読んでいただけると、「センス・オブ・セルフ」についてよくわかると思います。
文学者をこの範疇に入れるのは気が引けるのですが、一応しておきますと、他己認識は第四の立場で、自己認識は第三だったのではないかと思います。第二の人達を批判するあまり、第一の立場ととられかねない言説をしているようですけど、漱石が現実の薄っぺらな日本人(特に官僚だが、官僚に限らない)を嫌いつつも日本そのものを嫌っていたとは、どうしても読み取れないので。
以上、表面的なことだけしか述べていませんが、語りだすと止まらないのでこれくらいに。
とりあえず本文をご一読くだされば幸いです。
このコラム「夏目漱石」については自分でも相当気に入っております。
書いた時間は、もう一気に小一時間だったのですが、渾身の一作です。
どれか一つだけ自分の作品を選べと言われたら、これです。
ということで、これはもう、立ち読みでも良いから読んで欲しい、
『総図解 よくわかる日本の近現代史』
(新人物往来社、税込1470円)
好評発売中です。と言いつつ、売り切れごめんなさい。大きな書店でなければ、ネットか新人物往来社に直接注文してください。
観=智→角が立つ
看=情→流される
視=意→窮屈
…あたりですかな?
江藤淳の「夏目漱石」を買ったはいいのですが、「一九四六年憲法」と共に、未読書の中に潜り込んだままです。
「戦争の常識」もまた読み直さねばならないし・・・、
横ですが、仙台さん、
♪読め、読め、読め読め読め読め読んじまえ〜!
読む価値はありますよ。
思想家コラムに夏目漱石の名前を見つけた時に
狸の煙幕か超次元断層のような何かに見えたので
気に掛かっておりました。
アレが「日本近代化の矛盾そのもの」だったのかも。
渾身の一作、納得です。
芥川の項も心待ちしております、そのうち是非。
初コメントです。小説家としてではなく思想家として夏目漱石を取り上げることは私にはシュールな感じがしました。
さて、ここで質問が2点ございます。
まず、1点目は夏目漱石はどういう点で凡百の思想家より思想家らしいのか?ということです。あまり小説を読んでいないのでどうしても自分の中で小説家ではあっても思想家といわれてもピンと来ないのです。
次に、2点目に夏目漱石や吉野作造の思想の時代背景について簡単にお答えして欲しいです。
不躾な質問ですがお答えして頂きたいです。
日本人は昔から他国から文化や技術を学んで…ということが多い国ではありますが、その文化や技術を日本独自のものとして昇華させるある程度の期間があったと思います。
幕末から明治にかけての文化の流入は膨大で尚且つ短期間で流れこんできてしまったので、西洋のものを自国のものとして鍛えることができなかった。またしなかった。
そういうところに漱石は危惧してたんですね…大正・昭和に国が見直さなかったのもそうですが、やはり江戸時代での鎖国も一要因であったりするんでしょうか?
また、センス・オブ・セルフについてはまた勉強したいと思います。
>キャンパスさん
はじめまして、ドラゴンと申します。横レスで申し訳ないですが、一応自分なりの解釈を書いてみます。
1点目ですが、自分も小説をあまり読んでないので結果論になってしまうんですが、漱石が日清・日露戦争で国益増大や目標達成の道を進む強くなっていく大日本帝国だった時代に、
昭和の舵取りの失敗・敗戦、引いては今の日本の状態を見通していたというのは、それこそ凡百の思想家ではできないことだと思います。
2点目ですが…まぁ1点目でも書いたように、日清・日露戦争を遂行して、強くて目標に向かって突き進む明治後期から大正前期の大日本帝国の時代のことでしょう。
今の歴史教科書的な見方で日露戦争は悪、とかしちゃうと分かりにくいんですが、
当時の日本は不平等条約を抱えていたり朝鮮半島の問題を抱えてたりと外交問題が山積みだったのを、国家国民が協力し解決の兆しを見て、そこに向かっていく途中の時期なわけです。
大日本帝国が繁栄の兆しを見せているところで、漱石は没落する光景が見て取れていたわけですが、
例えばそれを今の日本に無理やり当てはめて「今の日本人には新たな自我が必要だ」とか唱える人の意見は、流石に漱石の言ってることとは違うだろうということだと思います。
日本人の自我というのも勿論大事だとは思いますが、今はそれより国の経済復活とか他にやることがあるでしょうし。
あくまで自分の解釈なので少し違うかもしれませんが、意見や感想、反論等あればまたコメントしてみてください。
ひげ様
あ、ありがとうございます。
何だか、リズミカルですね♪
隆満様
私より文章表現が豊かですね。うらやましいです。
芥川は、、、修行します。
キャンパス様
本文と上の記事を読んでいただけるとお分かりかと思いますが。
とりあえずはドラゴン様の仰るとおりです。
ドラゴン様
おおむね仰るとおりです。
ただ鎖国時代の日本人の方が、明治の欧米帰りの権威主義者よりよほどマトモだったのは、「緒方洪庵」と合わせ読んでください。