内田康哉、明治・大正・昭和の三代のすべての御世において外務大臣を務めた唯一の外交官である。この人物、あまりにも無能なのである。満洲事変期の外交交渉過程を見ていると、なぜかリットン調査団にまちぼうけをさせて真意を疑わせてみたり、などの無意味な所業が多く、後に「馬鹿八」と自他共に認められる有田八郎次官(回顧録の名称が『馬鹿八と人は言う』である。本当に馬鹿だったのである。)があきれて収拾に駆けずり回るという、目も当てられない惨状なのである。
その昔、外交史料館職員の方と「史上最悪の外相は誰か」に関して激論になったが、その時にこの内田と田中真紀子が断トツのワースト一位を争ったのである。個人の資質としてはやはり田中真紀子の方が問題があろうが、国益への打撃に関しては内田の方が取り返しがつかないだろう、という結論になった。もちろん、個人の資質にも問題がある。リットンを待たせた内田と、アーミテージに会わなかった田中。歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。(たまにはマルクスも本当のことを言う。扇動師は十に一回は本当のことを言うらしい。)
そして、ここまで無能だとどこか一つくらい褒める所があるだろうと思って必死の調査をしたのである。というか今も継続中だが。結論から言うと、無い!検証に耐えられる功績がゼロなのである。大体、回顧録を見るとその人の事蹟がやたらと美化されているのである。しかし、
内田康哉伝記編纂委員会編『内田康哉』(鹿島平和研究所、1969年)
のどこを探しても、無い!それどころか、日清戦争前年に「日清朝三国同盟」などを夢想していたらしい。あの状況でどうしてそういうことを思いつけるのか。明治六年以来、日本と清及び朝鮮は延々と紛議を続けているのでは?これができるくらいなら西郷隆盛は死ななくてすんだだろうに。
駐墺大使の時は、第一次大戦に至るバルカン問題が大変な状況になっているのだが、彼の手書きの公信を私は見たことが無い。タイプ内の公信や公電はいくらでもあるが。つまり、彼が本当に仕事をしていたかどうかが不明なのである。例えば、日露戦争の高平小五郎駐米公使などは、多数の手書きの公信が残っている。内容にも卓越した経綸が伺える。こういう比較をすれば一目瞭然なのである。
同様の事態は駐露大使時代に際しても起こっている。この時はロシア革命で大変だったのだが。本当になにをしていたのだろうか。
外相としても、中華民国動乱は石井菊次郎次官と倉知鉄吉次官にまかせっきり、というか何か口を出すたびに異変が発生している。横浜正金銀行の高橋是清なども、何もできないくせに話を通さないとむくれる内田に辟易している。
二回めの外相時は日英同盟廃止である。これは原敬首相と幣原喜重郎駐米大使の大失策だが、原が内田を登用した理由。イエスマンだから。内田を含めたこの三人、外務官僚出身と言いながら、外交がわかっていないである。日本人はいい加減気付くべきである。特権官僚は専門家でもなんでもない、と。肩書きがあるのと、その仕事がわかっているのはまるで違うのである。日本の病根である。
三回目は満洲事変である。議会で「たとえ焦土となっても満洲国は渡さない覚悟である!」などと演説し、世界を敵に回してしまうのである。十三年後、本当に日本は焦土になってしまった。今の民主党のマニュフェストもそうだが、世の中には守って欲しくない公約もある。
内田は帝国大学法科大学出身で、面接試験のみでの外交官登用である。つまり素養が東大での授業だけなのである。幕末維新の志士のように白刃を潜った訳ではないので現実外交の丁々発止がわからないのである。別に試験官僚でも優秀な人はいる。内田と同時期に欧州に居た飯島亀太郎などは、よくぞここまで、というような仕事ぶりである。本当に国のために命を賭けているのである。しかし、出世していない。おそらく飯島亀太郎が何者か、私より詳しい人ってこの世にほとんどいないのでは?本当にすごい人なのだが。
日本近代官僚制では、一つの仕事に精通すると出世できない。今に至る試験官僚制やその前の東大法学部無試験任用官僚制の問題点は、東大での授業がすべて、となってしまうのである。それがオックスブリッジのように、授業が国家経営の方法や国際スパイとしても通用する人材の養成、といった水準に達していれば良いのだが、まあ恥ずかしい限りである。
ついでに内田は資産家の娘と結婚していながら赤坂での派手な生活が当時から噂であった。それを英国人が知っているのはまずかろう。百万光年ぐらい譲って(百歩ではない)、仕事さえできれば個人の私生活などどうでも良いとしよう。せめて内外に知られないようにできないものか。ちなみに私が知る限り、日本人の本当に優秀な外交官は、愛妻家か苦労をかけすぎて離婚のやむなきに至った人しかいない。たまに妻の顔を見るのがイヤで外務省にこもりきりだった大臣、などもいるが。社交も外交の一つなのだから、細君の協力抜きでは成り立たない仕事であろう。これは石井菊次郎が散々強調している点である。
貧乏は働けばまた取り返せる。身内の問題である。しかし、対外政策の失敗は国家の破滅である。日本は一度滅びかけているのである。戦争の反省とは対外政策の反省である。「軍部の圧力」の前に、外務省の怠惰と無能こそ反省すべきであろう。
内田のような官僚は、はっきり言えば、国家の寄生虫である。
北条時宗はなぜモンゴル帝国に勝てたのか。対外政策における挙国一致体制を作り上げたからである。日本人の裏切りそうな反対派を粛清したからである。
寄生虫官僚の炙り出し、これなくして日本再生は無い。これはまじめに働く官僚にとってこそ、必要な作業である。
すいませんが確認したいことがあります。
「日本の官僚は優秀だ。官僚のやる政策には間違いない」という信仰がやはりどこかにはあるとは思うんです。
「政策には明るくお国のために過労死ラインで働き、委任立法をし…、その上安月給で働く」というステレオタイプのイメージがあるんです。
それに比べて政治家には「政策については暗く人気取りが得意」というステレオタイプのイメージが僕のなかではあるんです。
「官僚=有能」信仰が僕の中ではあるんですが、倉山先生はなぜここまで官僚制を批判するのか分からないのでお願いします。
どう官僚制が国をだめにしたのか(そんな短絡的な話ではないと思うが…)ということを聞きたいです。
お願いします。
〉シバティさん
「官僚=有能」と仰っていますが、その有能の定義を教えていただけ抱ければありがたいのですが、教えていただけますか?
それとこれは個人的な認識ですが、倉山先生は官僚全体を批判しているのではなく、国益をもたらせない、追求できない政治家や官僚を批判しているだけではないでしょうか?
それともう一つ、官僚とは本来、専門分野における知見を有する専門家(いわゆる「テクノクラート」)なわけで、政治家が決めた基本方針や政策に肉付けをし具体化するのを仕事とするわけです。
しかし、それが戦前も戦後もなされていないために批判しているのではないでしょうか?
「官僚たちの夏」や戦前の軍部のように本来政治家がすべき役割を、中堅官僚が行っていることなどが現実としてあったわけです。
政治家と官僚の本来の役割をしっかり果たさなければ、この国家は滅びるのではないかと私は考えます。
シバッティー様のご発言は、「信仰」を打ち砕いて欲しい、というような趣旨に思われます。しかし、「信仰」ならば理屈ではないですね。それは「私の思い込みを矯正して欲しい」と述べているのと同義なので。大体「信仰」から脱洗脳できる予測推定時間は、連続48〜72時間と言われています。ゆっくりお話しましょう。
一言だけ原因を述べておくと、貴方は戸川猪佐武という人の流したデマに完全に引っかかっています。昔の私も含めて、まじめに日本現代史を勉強する人はまずひっかかるのですが。
私の場合は学生時代、「月に一度永田町でカレーを食べる会」という催し物に参加しておりまして、そこに来ていた政治家や官僚を見ていて「どっちもどっち」との印象を持ちました。高級官僚の地位にあっても、専門家ではないとその時に気付いた訳です。政治家であろうがキャリア官僚であろうがノンキャリア官僚であろうが、その人次第です。
ちなみに新田さんの理解はまったくの正解です。この前とりあげた飯島亀太郎だって、試験官僚一期生ですから。
その上で再びシバッティー様に。
私もすべての官僚が石井直一のような人ならばこんな批判はしない訳です。かの主計局で伝説の官僚と言われた石井さんのような方が報われない制度になっている非人間的で無能な制度は即刻やめるべきである!と述べているだけです。
飯島や石井に関してはいずれゆっくり紹介したいとは思っています。
どう官僚が国を駄目にした、の明らかな例について一つだけ。
満洲を守るために南京に向かって攻め込んでいって、上手くいかないからマニラではなくハワイを奇襲してアリューシャン列島まで戦線を広げ、オーストラリアの側にあらゆる資源をつぎ込んだ挙句に、インドに向かって突っ込む。
こんな地球儀どころか地図を見ていたら考えもつかない作戦を考えられる官僚を優秀だと言える根拠が私にはまったく思いつきません。これはすべて官僚の身分の人が考え付いたことです。少なくとも国民に選ばれた政治家は一人も関与していません。ここに至るまでもあらゆる所で個々の官僚の無能さが発揮されている訳です。
シバッティさんの、疑問点や不明な点を、明らかにしようとする姿勢に感銘を受けます。
難しいことは分かりませんが、
官僚=優秀、政治家=優秀でも、
官僚=無能、政治家=無能でもないのではないでしょうか。
優秀な官僚と、無能な官僚、
優秀な政治家と、無能な官僚があるのでしょう。
私は、基本的に、官僚も、政治家も優秀な人たちだと考えています。
しかし、優秀な人が意思決定し、行動すれば、
必ず良い結果が得られるとは限らないわけです。
悪い結果だけをもって、無能と決めつけることもできないでしょう。
官僚・政治家が優秀か無能かの問題ではなく、
日本がよりよくしていくために、どうしたらよいのか、
(何をもって良いというのかも含めて)
検証し、考えていくことが大切なのではないでしょうか。
〉QOLさん
私もQOLさんの意見に大方同意します。
政治家や官僚を評価するときに何をもって優秀であるか?なぜ、無能なのか?
私の個人的な考えですがこの基準には、官僚と政治家がともに役割を果たせているかがあると思います。
政治家ならば、基本方針と政策を打ち出すこと。
官僚ならば、テクノクラートとしてそれに肉付けをし、具体化すること。
そして大前提として”国益をもたらすこと”があると思います。
これを役割として果たせるか果たせないかが官僚の優秀かそうでないかの判断基準だと私は思います。
いきなりの横やりおゆるし下さい。
私も新田さんが書かれた通り、政治家が基本方針を示し、官僚が肉付けするものだと思います。ただ、私が勉強不足なせいでもあるのですが大前提となる「国益」が分かりません。分からないと書くと語弊がありますが、例えば「一部の人に集中してお金が集まるのと、国民全員に万遍なくお金が回ってくる」この2つで、どちらが国益にかなっているのかと問われた時に、問われた人の立場により回答が異なると思います。もちろんその人の考えでありそれが国益であると言い切るような気はありませんし、本当に国家の為になるものもあると思います。ただ、国益と言われている物の中にはそれぐらい流動的なものもあるのではないでしょうか?
皆様が、「国益が」と言われるのは分かりますが、誰にまっさきに利益がくるのかも重要ではないでしょうか?
追伸:長々と稚拙かつ乱文で申し訳ありませんでした。
内田康哉についてのご見解については理解致しました。分らないのは執権北条時宗についてのご見解です。
鎌倉時代のフビライ軍の来襲は、史上最悪の外交の結果ではなかったかと思うのです。道隆や無学祖元など南宋出身の禅僧を顧問にしたので、彼らの憎しみに影響され、まともな外交を進めなかった。幾たびかの高麗からの使節に会うこともなく、最後の方では使節は斬首にしたので、自ら招いた災厄であったとうのが愚見です。その意味で、時宗は内田同様の最悪の外交をした歴史的人物というのが見解です。
無学祖元、元兵に囲まれた時、乾坤立つるに地なし・・・云々の詩で難を逃れ、日本に渡ってきた。後、時宗の師となり、時宗が「恐怖はどこから来るか」と無学祖元に訊ねた折、曰く「時宗より来たる」との逸話は有名であるが、評価はどうあれ、非凡なものを持ち合わせていたのではないかと私は思いますね。
倉山さん、石井菊次郎の評伝を書いてはいかがですか。
埋もれたキーマンを世に知らしめるのは、歴史解釈にあらたな視点を与えてくれるでしょう。
石井康哉の話からいろいろな話題に飛んでいるようなので、それに便乗して一つ云わせていただきます。
政治家や官僚が優秀だとか無能だとかさまざまな意見がありますが、そのほとんどが結果論でしかない場合が多いのではないでしょうか。個人の能力や判断の正しさによって成功がもたらされたなどということは、滅多にありません。運よくよい結果を得ることができた人は有能とされ、不運だった人は無能とされてしまいます。たとえば、日清日露の戦争指導者だった人たちは、結果的に勝利したのであまり無能との指弾をうけることは少ないのですが、どう考えても、あの当時の薩長出身の指導者たちがそれほど優秀だったとは思えません。乃木将軍に至っては相当にひどい(詩人としての素養はあるらしいが)。ついでに言えば、伊藤博文や大山巌なんぞも、怜悧で緻密で大局的先見性などがあったとは思えません。ただ、戦争に勝利したので、乃木さんは英雄になり、神社に祀られるまでになった。あれは、彼の人柄のせいもあるでしょうね。正直そうで真面目で、思いやりがある見たいな印象ができている。事実そうだったのでしょうが、人柄と能力は別物です。その上、乃木さんは息子二人を戦死させている。だから、許されているところがある。
日本人、というより人間は人柄と能力をごちゃ混ぜにしがちなもので、それが失敗を招くことが実に多い。政治家でも軍人でも外交官でも、それぞれの分野で能力があれば多少人格に問題があってもいいのじゃありませんか。私が兵士として戦場に行くとしたら、人格高潔だが戦争下手な将軍の部下になるより、性格は悪いが戦争上手な将軍の部下になることを選びます。たとえは悪いが、オリンピックの選手は人柄では選ばないでしょう。あくまでの能力でえらびます。政治家や官僚も、人柄ばかり見て選んでいちゃだめでしょう。極端なことを言えば、金に汚く、酒食好きで、教養などまったくない政治家でも、国益をもたらす政治能力があり、外交的にも諸外国を手玉にとるような才があるというのなら、それでいいではありませんか。
ところが、庶民・国民はちょっとでもスキャンダラスなことがあれば、その人間を全否定し、選挙でたたき落としてしまいます。だいたい、国民大多数の智識・認識などというものは、そのほとんどがマスコミによって形成されているのが実態です。マスコミが○といえば○、×といえば×、になってしまいます。実際、「年金問題」にしても「集団自衛権」などにしても、詳しいことを知っている人なんてあまりいませんからね。マスコミの影響で上っ面のことを知っているだけです。「年金の種類と特徴を云ってみてください」と聞いても、正確に答えられる人なんて滅多にいません。そういう大衆が選挙で代表を選んで政治を任せるのだから、ろくな政治が行われないのは当然でしょう。と言って、国民大衆すべてに政治や経済や外交などの智識を持てと言って無理というものです。「政治家が悪いと言っても、それを選んでいるのは国民でしょ。ならば、すべての責任は国民にあります」というのが民主主義です。まったく、民主主義とはうまいことを考えたものですね。
本当は、神か仏のような人格者で有能な少数者にすべて任せてしまう(賢人政治)というのが理想ですが、そんな人はいないし、いたとしても、庶民はそれを許さないでしょう。「政治はわれわれ国民がみんなで選んだ人にやらせるべきだ」なんてだれかがアジ演説でもしたら、たちまち「そうだ、そうだ」になってしまうでしょう。
じゃ、いったいどうすりゃいいんだ、と言われるかもしれませんが、どうにもできないのです。民主主義に代わるなにかいい方法はないものでしょうか。
と、まあ、石井康哉の功罪がとんでもない方向にいってしまいましたが、国際連盟脱退は時の世論の大勢だったことはたしかですから、彼は国民の意向に従がったということではないでしょうか。こう言うと、それは「国民を煽動したヤツが悪い」という声が出るでしょう。それは、煽動者はいつも存在しますよ。それに騙されないようにしなくちゃダメでしょう。それくらいの判断ができない人間が選挙権を持つ資格がありますか(昔は一定の人にしか選挙権はなかったですが)。
また、国益に貢献した政治家は偉いと評価されますが、それでいいのでしょうか。個人益(利己)はいけないというのに、国益を是とするのはいかがなものでしょう。他の国の利益も考えなくちゃいけないでしょう。自分の国さえ得をすればそれでいいというのはエゴですよ。「そんなことを言っていたら外国に滅茶苦茶にされちまう」と怒る人が多いでしょうが、その伝でいけば、「他人のことなんて考えていたら滅茶苦茶にされちまう」という個人的エゴも仕方ないということになります。
無理かもしれませんが、みんなが賢くなって、政治家や役人たちに勝手をさせないようにすることですね。しかし、私自身、そうなれるかどうか、自信がありません。
最後にもう一度、過去の人の評価をするときは、「運」というものをよく考えること、結果を以って解釈の正当性を主張しないことを忘れてはならないと思います。
10を三行にまとめますと
歴史上の人物は
結果で価値判断ではなく
その時の状況考慮して、事実判断で評価する。
枯れすすきさん、興味深く読ませて頂きました。
おっしゃっている事は、細かく一つ一つを取り上げればモットモだ、と見えるのですが、全体がバラバラで、なんかおかしい。
政治に対する溜まった鬱憤もおありだろうとも理解するのですが、やっぱりなんか変です。
最後には「運」だとおっしゃるので、余計に違和感があります。
人柄、能力、人格は別物ですか? 私には全部関係している(むしろ統合されている)と思えるのですが。
言葉は悪いけど、馬鹿が人格者になれるか? 馬鹿が献身的に国を憂い行動出来るか?
徹底したエゴイストは、間違いなく例外無く、たとえIQが高くても同時に馬鹿です。
能力に応じてしか人は献身的にはなれない、と思うのですが。
民主政治が愚民政治になりがちなことは認めます。
変な政治家が「民主主義は数だ、多数決だ」などと、愚民制作(まさに政策ならぬ制作)をマスコミでしきりと言う。
民主主義の原点を教育現場で言ってくれないのは不満です。
民主主義とは「考える能力のある大人が話し合って決める。決めた事は責任を持って皆で守る。」
これに尽きると思うのですが、「考える能力と責任のある大人になりましょう」とは誰も教えない。
教えられるのは「平等な一票」だけです。システムだけです。
そして、いつの間にか一部の政治家の都合で「数は力だ!」になってしまう。
最後に、「運も実力のうち」という言葉があります。
謙虚に考えるならば、それもまた一面の真実だと思えます。
(だから、成功したのは実力だ!などと言う意味ではない。人知を超えて運はあると思います。)
旅順攻撃で、乃木さんが優秀だったとは誰も思わないでしょうが、運だけで勝った訳ではない。
ちゃんとそれなりの理由がある。負けるのにも理由がある。
今回の戦い(朝日廃刊)ぜひとも勝ちたいですね!
国際連盟脱退の松岡修造全権大使の交渉を拝見しました。
太平洋戦争に突入した経過が少しわかりました。内田康裁外務大臣の無能と
日本の各新聞社が最大の責任とそれに惑わされた大衆国民要員あり。
現在の新聞社の報道の無責任、戦後も責任も取らず、ぬくぬくと生きてきた当事者。学校教科書も悪い、真実を伝えていない。教科書検定のクリアもあるが?安倍総理大臣の暴挙も、現在の暴挙阻止は、選挙で自民党に投票しないで当選させない。
13>>
小寺様
太平洋戦争ってのは仕方ないですが、
国際連盟脱退の松岡修造全権大使は、ちと勿体ないでごわす。
ちと暑苦しい御仁でごわそうwww
書き込まれる前に「推敲」が必要でごわんど。
傍観人
石井康哉とか松岡修造という外務大臣は居たんですかねー。
高レベルな討論するなら、変換間違いがないか、確認しましょう。読んでいて混乱します。