発売1週間で、
実質4刷!
何がどう実質かは、ややっこしいので省略。笑
16日は八重洲ブックセンターでサイン会もやるのでよろしくです。
http://www.yaesu-book.co.jp/events/talk/6129/
さて、倉山塾の本分は、帝国憲法講義。
明日、開催です。
一度、覗かれては?
開催日時 平成27年3月8日
12時15分開場 13時開始 18時10分 終了予定
場所: 都営浅草線・三田線 三田駅 徒歩4分 JR田町駅 徒歩5分
(詳細は購入後、チケットをダウンロードすると分かるようになっています。)
金額:9,799円税込
チケット絶賛発売中!
https://kurayama.cd-pf.net/store
ちなみに、今回から「日本国憲法の話」をします。
前回、「アスキスと小泉純一郎と安倍晋三」とか、新聞や雑誌、ネットを見ているだけでは絶対についていけない話をしたので、今回から、いったん超初学者向けに戻します。
ただし、前回以上にモノマネが増えます。笑
帝国憲法講義ですか。
憲法の勉強してる友達に勧めてみます。
英国憲法にもPower of Commandと記されていますしね。
こんにちは
久しぶりに書き込みます。
動画と書籍のタイアップ企画、拝見してます。
今回の軍閥は、少し予算が足りないのかなと少々心配ですが、
杉田さんの打ち合わせの時間が取れないためか、まだお二人の息が合わない様子なので今後に期待しています。
さて、最近の左派の論調はおおむね差別問題にフォーカスが当たってるようで、曽根さんの無自覚な発言は本当に残念でした。酷かったなと。
欧米のリベラル(権利の保護、政府の補完的機能)と日本のリベラル(利権の保護、反体制反政府)は、一見両者は同じ主張をしているように見えますが、
これらの誤解は、日本国内のリベラルによる差別や人権の議論が、反政府色が強すぎるため、そのようなバイアスを前提に日本の保守が海外のリベラルと日本のリベラルを混同し議論を行っているからだと思います。
彼ら海外のリベラルの正義(欧米の差別の実態や事実(それがあるかどうか)は無視して、制度で権利が保護されているという主張)をめぐる議論に対して、保守は一生懸命に文化(制度の不備を無視して、実態はすばらしい、事実はこうだった)を持ち出して反論する。
それが故に「文化がおかしい、文化的に遅れている」と向こうは受け取るので欧米との議論ではまず話を聞いてもらえないだろうと思います。そもそも議論のベースを共有していないなと。
これが解るので、左派はむこう側の議論のベースを使って国内の保守を弄って、上記のような発言を引き出した上で、彼等の結論(反政府、反安倍※もちろんこの飛躍がおかしいのですが)につなげるのですが、
同様の手口で慰安婦問題、歴史修正主義でも保守陣営が議論の前提を理解していない弱点を突かれている状態です。
曽根さんの問題に関しても、彼女を擁護することがどう受け取られるか、わかっていない保守の方が多い。
私はこうした欧米の議論のベースがわかる方が、国内の保守や、文脈を理解していない一般の方々を攻撃対象にして、諸外国向けに点数稼ぎをしている左派のエリートを浅ましいと思っています。
問題点が解っていながら議論の誤解を解く説明もできず、理解していない方をただけなし、一方で彼等を政治運動に利用する。こんな左派の方は多い(もしかしたら彼等左派も自覚がないのかも)。
本来これらの議論のベースを理解した左派が諸外国への反論をすべきであるし、
慰安婦の真実や歴史の真実などで啓蒙せずとも、欧米の論理を使って欧米や特亜の問題をやんわり指摘するような嫌味な外交ができればいい。
とにかく日本の正義を主張せず相手を悪を論難することもできず、欧米流の正義の手順を踏まないまま「事実」から話し出す日本の保守の議論は、このままでは諸外国には届かないし、「事実」に耳を傾けていただくためにも、より「正義」を語る必要を感じます。
韓国や中国に対しても事実の論争をせず、彼等の正義にもとる行いを厳しく論難することが大事。慰安婦問題も真実を語るのではなく制度的な正義を行使したことを語り、人権大事だし、戦後の日本の取り組みを紹介し、未来に平和を誓いつづければいい。そうやって初めて彼らは聞く耳を傾けてくれる。
このあたり桜系の保守はとんと理解が及ばないし、期待できない。
まともなリベラルと日本の変質したリベラルの違いがよくわかっていない。
こうした問題がそろそろ表面化してくるんじゃないかと思いますので、
リベラル再生の企画をちゃんねるくららにお願いします。
たぶん上念さんがやったら面白いと思う。偽装転向リベラルとか言って。
とにかく勝てない議論から、負けない議論に保守の言論のステージを上げて欲しい。
倉山さんも番組で「欧米は遅れている」形式の発言をなさっているけど、そういう日本の良い部分、かつ議論で使える掘り起こしとか、さすがだなと思い拝見してます。
宮脇さんと日本から世界史を記述するという企画の方でも、
歴史的な事実の面はもちろんですが、こうした価値の問題についも負けない言論を展開して欲しいなと、期待しています。
今、偽装転向リベラルとか面白いんじゃないかなぁ。
倉山先生、帝国憲法講義、大変勉強になりました。
少し囓った私は知識の深化に、一緒に行った初学者には導入になり、
さすがの構成力だと思いました。
新番組の、日本の軍閥、今までのシリーズでも1番というくらい面白いです。
仮にも我が帝国の末路を「面白い」とは語弊がありますが、事実は小説より奇なりと申す通り、
人間の動きで歴史を追う面白さは、倉山先生仕込みです。
「良い番組を作ってスポンサーに応えます」と仰る通りです。応援します。
おはようございます。初めてコメントさせていただきます。
重版おめでとうございます。先生の著作は日米近現代史以来ずっと読ませていただいており、歴史の見方や教える筋道の立て方、ご提示の史料等を参考にして教育の現場に生かさせていただいております。特に、アジア主義や昭和戦前期に対するご見解には公平感があり、事実の探究と国家の今後の課題を両方同時に考えさせるものでした。こういうご時世ですから、普段はカタコンベのキリスト教徒か修羅の国の地下組織のように活動しております。
そういえば、大学院での反日左翼思想の動向を見ていますと、茨城県の某大学では、歴史学よりも哲学の方が傷が深いですね。というのは、前者は様々な史料や文献を見るのに比べて、後者の研究対象は大抵1人なので、視野の広さに差が出るからです。むしろ、歴史学の方では日本史専攻で丸山真男批判が当たり前だったり、イスラームがわかる西洋史の院生とかが普通に現れてきております。今後の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
>>これでも左翼のていさん
面白いご見解ありがとうございました。日本の制度的正義や合理性を語ることに賛成です。保守が負けない議論ができてないのは確かですね。事実を因果関係に沿って語るのは楽な反面、新規の聞き手は思ったほど聞いてくれません。老年の保守論壇はそうなりつつあるのかも。(曽野さんのコラムは人種と宗教を混同した棲み分け論なので間違っていると思います。)自分の主張の目玉を作ろうとすると、要点の抽出、主張の普遍的意義、構成の工夫が生じて、抽象思考に慣れたり、PR戦術が向上したりします。
私の知る限り、日本のリベラルの人たちはPolitical Correctness (PC)こそが主張の拠り所で、思い込みの激しい人も多いですね。そのため、欧米リベラルの議論を必ずしも理解しているわけではないこともありました。以前に欧米の排外運動と日本の嫌韓嫌中を同じ現象と言っていたリベラルの人と話したのですが、私が「欧米のは、同じ国民の中から個人の宗教や人種を理由に排除を行うもの。日本のは公的帰属が異なる者同士の衝突で、他国民でありながら日本国民の特権を得ようとすれば、批判されて当然。」と定義したところ、そのような視点に今まで気づかなかったようです。従って、保守も語の定義や挙証責任を果たせる必要がありますし、リベラルにもこれを守らせていくことが必要になってくるのではないでしょうか。横から失礼いたしました。
それでは、失礼します。
帝国憲法講義に高木克俊が潜入していたらしい
またブログに誹謗記事を上げてアクセス数を稼ぐつもりなのか
掲示板に高木克俊の住所が晒されたのも当然の報いだな
アーミンさん
貴重なご意見ありがとうございます。
板の内容に関係ない文を勢いに任せて書いたためお恥ずかしい気持ちでいっぱいです。誤字も沢山でした、、すみません。
曽根→曽野さんの論は人種と宗教を混同してるとのご意見ですが、
そういう点も確かにございますが、
アパルトヘイトは元々アパート(住まい)を分ける、という意味でして、曽野氏の説明が、国内的には人種と宗教を分けた説明であったとしても、
国外には、住まいを分ける、区別するという主張はイコールでアパルトヘイトそのものと映ってしまうのです。
一部左派は倉山氏の「差別じゃない区別です」の発言のあげ足とりを始めているでしょう。たぶん。
左派メディアではコミュニケーション論の問題としてこれらを見たりするんでしょう。国内の文脈の誤訳問題ではあるけど、そもそもコミュニケーションは誤解を含みつつ伝わるものだから、その点も考慮せよ。みたいなルーマンとかを引き合いに出して社会学系がそうした議論に持っていき、結論だけは安定の反政府反安倍をやる。(笑)
合言葉は「朝生で取り上げよう」ですね。(笑)
まともなリベラルは朝生でも官邸前デモでもなく、海外の権威のあるメディアに寄稿しよう。です。
そもそも海外のまともなリベラルの視点(もちろん問題点もある)では、日本のは官邸前で粘着し続ける人も沖縄での粘着も福島でのそれも、またアレらを擁護してる方も、ヤバイ奴らなんじゃね?という印象です。(向こうのリベラル言論ではトンデモは忌避の対象で発覚すれば自然に扱われなくなる)
ちなみに日本の左派がトンデモであるというのは日本に来てはじめて解るそうです。メディアからではわからないそうです。
こうした点も含め、海外のリベラルメディアは、日本の変質したリベラルに必ずしも同調してるわけでもないのです。
彼らは少数者の声を発信しているだけ。
日本の左派のように反政府の結論ありきで記事は書いてません。
この点も国内左派メディアを見続けていると、内外の左派が一体のように見えてしまうので注意してください。
日本の保守が可哀想なのは、あまりにも西洋諸国、特にアメリカの保守言論がトンデモ過ぎて、この種のミニメディアの言論と同様なものとして、
おそらく日本国内で台頭しつつあるネットメディアもそのようにトンデモだとまず思われているところですね。
おそらくまともなリベラルや保守はチャンネルくららを楽しく見てますので、
こうした人権の問題も正面から取り上げていただけたなら、なんて思うんじゃあないかなあ。
倉山先生、連投失礼します。
>>これでも左翼のていさん
海外のリベラルと国内のトンデモ左派の行動形態の違いはなかなか面白いと思いました。やはり、海外メディアに彼らの実態を明らかにしていかなければいけませんね。
アパルトヘイトのことを提起されていたので、これについて私の見解を提示したいと思います。私は住まいを何らかの区別によって分けることが直ちにアパルトヘイトと規定されるという現状のPolitical Correctness (PC)には強い異議があります。というのは、居住空間の区別が是か非かと論じること自体が、比較材料が極端に少ない中でなされており、ミスリーディングな議論だからです。人種平等論者は当然過去の反省から述べているでしょうが、人種に基づかなくても居住空間の区別が行われている事例に何らかの定義を下さないまま、この問題に結論を出すのは、公共政策的な議論を再燃させると思います。
私の知見を申しますと、移民問題が発生している西欧とそうでない日本のみでは比較ができないので、第三の視点として中東の都市を検討する必要があります。中東の旧市街は多民族多宗教都市でして、住民の信じる宗教に応じて居住区が異なり、市民は仕事の時のみ公共空間に現れます。これは各宗教の戒律に応じて食事や斎戒が異なるからで(ユダヤ教徒の酒造、キリスト教徒の養豚)、私生活上の接触でトラブルを避けるために、数千年来慣習と法令によって形成されてきたものです。かつて滞在したダマスカス市とアレッポ市では内戦前までこういう光景が見られました。他方、南アのケースは人種の本質的優劣なる疑似科学によって生活上の差別が是認されるものです。宗教は改宗可能ですが、人種は変更できないため、種々の不平等が生じます。従って、人種差別が批判されるのは理解できる反面、中東のケースが無視されたり、一方的に是正の対象とされる場合、公共政策的に納得のいくものではありません。これについては、むしろ欧米のリベラルに問いかけてみたい内容です。
今回の曽野氏の見解は、「公共生活は共にできるが私生活がそうとは限らない」は正しかったものの、それを人種が私生活を規定するとしたのは彼女の知識不足であったと考えます。また、他方で、かつてユダヤ教徒を景気付けに殺した西欧人が「共生の極意」を公共政策的に語るのもやはり彼らの理論に慎重さがないと思います。
以上、長々と失礼いたしました。今後ともよろしくお願いいたします。
久しぶりに見たら返信いただいていた。
アミーンさんありがとうございます。
私の理解不足もあり、正直アミーンさんおっしゃる数千年来の慣習が正しいものかどうかわかりません。
が、たぶん左派の理解は、第一次世界大戦に中東が分断され、たとえばレバノンの宗派主義に準えて、その慣習を理解するのではないでしょうか。また宗派主義が抱える問題。たとえばクルドの問題もそのように理解されるのではないかと思います。
もちろん上記の問題の原因は欧米が作ったものですが、そこにある宗派による住居の区別がよい慣習だとは今現在はそのようには思えません。教育などの公的サービスのアクセスの問題も、細かく指摘されるものが多いのではないでしょうか。そうした理解だと確実に議論で負けそう。
たぶん、アメリカの左派なら自国南部の黒人差別の問題を、教育の制度の変更で乗り越えた、という理解で、その努力と葛藤を交えつつ反論してくるものと思われます。