倉山満の砦、健在なり!
誰ひとりとして安倍首相の肉声を聞いていないのに、
「安倍が増税を決断した」
という前提で、安倍首相の“責任”論をふりかざしている。
しかし、“責任”て何だ?
形式的には総理大臣の責任だ。
しかし、財務省の号令一下、十重二十重の包囲網が敷かれているのは子供でも分かる状態だ。
そいつらの責任が不問にふされるわけではないことを忘れるな。
特に、先陣切って斬りかかってきた麻生太郎だけは、安全地帯でいられる訳がない。
安倍の“責任”を今から強調する奴、テレビ朝日で星記者が「安倍増税と呼ばれますよ」
と迫ったのと同じ精神構造だな。
私のところにも圧力はある。
「官僚個人の批判をするな」と。
では、与党の九割と全メディアと財界と労働界を巻き込んで「増税一色」に工作したのは誰だ?
財務省の最高責任者である木下康司事務次官に責任は無いのか。
悪いけど、増税して自殺者が増えた時、木下個人に恨みを向けるのは筋違いとは言わせない。
巷では急速に木下の名前が広がっているが、それを止める力は私にはない。
これ、日本人だから暴動が一つも起きていないけど、外国だったらどうなる?
私、はっきり言って「財務省御用言論人」って言われてた人間だぞ。
そのたびに「大蔵省御用言論人」と訂正してたけど。
財務省に尻尾を振る奴と悪魔視する人しかいない時に、『財務省の近現代史』を書いた意図、
どう考えてくれるのかね。
昔の大蔵省は国士の集まりだったわけですよ。
私はそれを知らせるために中山恭子先生にインタビューをお願いした訳で。
で、今の財務省は???
増税を押し付けて安倍さんに“責任”を押し付けるのか?
木下は無罪?ついでに麻生も無罪?
負けた時の話はしたくないけど、仮に安倍さんが増税を決断したら、木下と麻生の“功績”だろうが。
“責任”と“功績”は立場を変えた見方による同じものの別の表現なので。
正直言って、木下―あえて財務省ではなく木下―がここまでやると思わなかった。
日銀と法制局に勝った首相をこここまで追い詰めているのは、すさまじい力量。
これは、戦いの途中でも素直に尊敬できる。
保守陣営のふがいなさをいやと言うほど見ているので、決して嫌味ではない。
だいたい、何で私がここまでやらねばならないのかという思いもある。
それこそ何の“責任”も無い立場なのに。
私だってそこそこの影響力がある自覚はある。
この意味での“責任”は常に自覚している。
もし増税によって死人が増えた時、私の事を恨みたい人は恨めば良い。
しかし、その“責任”を問えるのは、最後まで一緒に戦った人、
死に物狂いで生きているのに報われない人たちだけだ。
私は昔の自分のような人間が一人でも増えるのは嫌だ。
これは“責任”ではなく想いで戦っている。
倉山満は勝つことも負けることもある。
しかし、常に一歩も引かない!