「大学では教えられない歴史講義」カテゴリーアーカイブ

公明党と創価学会の関係

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 昔、ハマコーありけり。曰く、「公明党は、天皇陛下の次に池田大作先生を尊敬すると明言すれば、政教分離に関してそれ以上何も言う必要はない」と。

 ハマコーこと浜田幸一代議士、主語が「創価学会員は」でないところが政教分離の原則をわかっていらっしゃる。さすがである。宗教者の信仰、心の中については言及しないのが政教分離が確立した文明国の通義だからである。

 ちなみに、これがアメリカでの話ならば、天皇が星条旗に置き換わるだけである。戦前の日本には不敬罪があったが、今でもアメリカでは国旗侮辱は重大な刑法犯である。というか、アメリカに限らず、普通の国では。

 今の日本みたいによほどの場合を除けば国旗侮辱が実質的に許されている国が異常なのである。まあ民主党の鹿児島での「国旗切り裂き事件」なんて、サミット参加国どころかOECD参加国で許される国が見当たらん。そんな民主党でも良いからお前は嫌だと言われている自民党、猛省した方が良いが。公明党との関係でも自民党が色々とだらしないから悪いのである。もののついでの余談だが、第二帝国とかワイマール共和国には、自民党と公明党の悪いところだけを集めたような、ドイツ中央党という泣きたくなるような政党があった。

参考:室潔『宗教政党と政治改革』(早稲田大学出版会、1977年)

 

 ところで、「天皇陛下に忠誠を誓え」と言われただけで何か変な想像をするのは勝手だが、国王陛下とか大統領閣下とか総書記とか無敵の将軍様に置き換わるだけで、国家が結集原理を必要とする以上、国民に共同体への忠誠を要求してくるのは当然である。(もちろん、それがいきすぎると大変だが)

 創価学会、フランスなどでは危険な宗教と扱われているようだが、彼の国が宗教に関して異常に敏感なのは20日の記事を参照。何せ、20世紀初頭の第三共和制の最大の政治争点が、初等教育を国家と教会のどちらが行うべきか、という国だから。何の比較にもならないが、三アンリ戦争のどの宗派よりも創価学会のほうが穏健であろう。本当に何の比較にもならないが、逆に当時のカトリックやユグノーと同一視されることを創価学会がどう考えているのだろうか。

 小室直樹という田中角栄のあらゆる行為を評価する学者がいたが、彼が唯一角栄を指弾したのが、評論家の藤原弘達への出版妨害事件に手を貸したことである。これは創価学会・公明党の皆さんは言われて耳が痛い古傷だろう。日本国が言論の自由を認めている以上、相手に言わせて反論するのが掟であって、相手に言わせないのは反則である。これは法律に定めがあろうがなかろうが関係ない、守らねばならない法である。それこそ過去の歴史を直視して、反省して、未来志向になれば良いのでは?なんだかどこぞの首相談話みたいだが。

 宗教団体が選挙を手伝い、しかも影響力が大きいと信者以外の不安を煽るのは必然であろう。だから公明党がこう言えば良い。

 「心の中での道徳としての信仰はありますが、社会生活においては天皇陛下と日本国民で定めた法秩序を守ります。自分の自由が大事なので他人の自由を守ります。国民として政治には積極的に参加しますが、特定の宗教団体を政治利用して、他の団体に不利益を与えるような真似はしません」

 ちなみにこの台詞、吉野作造が繰り返し述べていたことである。これが言えないとしたら、問題だろう。少なくとも、誰もが認める創価学会の指導者である池田大作名誉会長が天皇陛下万歳を唱えたという話は寡聞にして知らない。吉野はしょっちゅう言っていたが。

 やたらと原則論ばかりで、事実論が少ないが、こういうことを創価学会も公明党も明言していないし、本来は自民党にしてもその前の日本新党や新生党にしても、連立を組むならこういうことを聞いて、公の場で確認していなければならないのである。