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『保守とネトウヨの近現代史』
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「正気ですか?」かつての盟友が思わず杉田水脈衆院議員を問いただした瞬間 | 文春オンライン
「なぜ私が人殺しの差別者といっしょに…」杉田水脈が泣きながら電話をしてきた日 | 文春オンライン
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リンク先の記事2件、拝読しました。
いえ、拝読も何も、本を持っているんですが。
最近、考えていることがあります。
ネトウヨの暴走の前には、言論人の「嫌われたくない」があるのかな、と。
「嫌われたくない」という前提で行動すれば、
「相手に媚びる」ことになります。
ここで立場の逆転が起こるんです。
リーダーシップを発揮しなければならない人間が、
本来は指導する側の人間に振り回されることになる。
親子関係で考えれば、分かり易いと思います。
親が、子供に嫌われたくないからと、躾もせず、
子供のご機嫌取りに終始すれば、どうなるでしょう?
その子供は、社会で通用しなくなります。
同年代の子供は、子供だからという理由で大目に見てはくれませんから。
結果、躾が出来なかった親も、
世間から「失格」の烙印を押されます。
そもそも、子供に振り回されている時点で、
その親は「大人になっていない」んですよね。
すごく「ああ、そのとおりだな」と思いました。
お客さんの欲しい物を提供しに行っちゃってるんですよね、論客の人たちが。
製造・サービス業ならそれでもいいんでしょうが評して論ずる立場の人がそれやっちゃ駄目でしょう。っていうかそうなってるから今の状況なんだけれども。
僕は倉山さんの皮肉ったらしく軽快な論評が好きで著書もchくららも追っているんですが、時々ある種突き放されるような、「え、そう考えるんだ」と思うことがしばしばあって、そう考えると健全な言論人なんだなと感じさせられます。
エノキ様、返信ありがとうございます。
確かに、倉山先生の場合は、ひたすらご自分の筋を通す言論をなさるんですよね。たとえ意見が違う場合であっても、その相手が筋の通った言論をしていれば尊重する。この姿勢にお人柄が表われているので、信頼できるんです。
そして、観客・読者に媚びることを嫌うのと同時に、ご自分に媚びて来る人間のことも嫌うでしょう。少なくとも信用しない。「媚びること」と、「敬意を払うこと」は、似て非なるものですから。
……ところで、エノキ様。
美味しそうなHNですね(* ̄∀ ̄*) ←何の話?
残念だなあと言う思いと、まあそうだろうなと言う思いを巡らせながら記事読ませて頂きました。
なるほどと思います。
杉田さんの問題は、ご本人が筋を通さない事が、
最大の問題ですね。
思えば、自分の職場にもおります。
客の要求通りの仕事しないのに、
口ばかり達者な人ですね。