清和会、グダグダの歴史

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清和政策研究会、通称「清和会」。

岸信介、福田赳夫に源流を持つ、自民党の派閥。

いつのまにか「保守本流」と言われなくなった派閥。

そして、この人たちのグダグダ、知っておいた方がいいので、まとめておいた。

★岸信介

大本命と目された第一回自民党総裁選で金権選挙の嚆矢となるバラマキをやって、石橋湛山に世紀の大逆転負け。
石橋の病気で政権が転がり込むも、主流派を組んだ大野伴睦と河野一郎に「誰のおかげで総理になれたんだ?」と小突かれ回される。
それでも大野&河野を切って池田勇人を内閣に招き入れて主流派を入れ替え、安保改正をやり遂げるだけマシ。
問題は、党内が割れているのに「後継は池田!」と言ったもんだから、岸派は三分裂。

★福田赳夫

岸派分裂の後、自力で派閥を作る。一応は創業者。「清和会」は福田派のこと。
田中角栄との角福戦争で全戦全敗。目も当てられない。

★安倍晋太郎

政策的にはちゃんとしていたが、手下の小泉純一郎に「アンタはお人よし過ぎるんだよ!」と面と向かって罵られる。以上。

★三塚博

安倍死後の跡目争いを、森喜朗と小泉純一郎の支持で制す。常に金策に苦しみ、総裁選出馬も一回しかできず。一時は最大派閥だったのに、存在感無し。

★森喜朗

金の切れ目が縁の切れ目。三塚が派閥の長を務められなくなると、熟柿戦術で派閥の長、そしてひょいひょいと幹事長に。危ない仕事は全部、小泉にやらせる。そこまでは良かったが総理にまでなってしまった。ただの身の程知らず。

★小泉純一郎

この派閥の系統で例外。と思ったら、竹下登の弟子。

★安倍晋三(第一次)

ボンボン。ちなみに派閥の領袖は森から町村信孝へ。

★福田康夫

安倍(第一次政権)の尻ぬぐいだけで終わった。
ちなみに派閥の領袖(形式上)の町村は、福田内閣の番頭である官房長官を務める。

★安倍晋三(第二次)

派閥の領袖の町村が総裁選で安倍に敗れる。一応、最大派閥の領袖なのに・・・。

形式上、細田博之が派閥の長に。しかし、幹事長を務めていた時から二階俊博に党を牛耳られていた無能者。
史上最長政権で100人近くの最大派閥でありながら、単なる採決要員の集まり。何の存在感も発揮できず。

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