本日より、倉山塾掲示板で連載始めました。
執筆中なので、現在進行形の制作日誌です。
倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々
・なぜ室町なのか?
・「最強の日本人論」とは何?
・誰に向けて書いているのか?
・大英帝国やバルカンを超える、アレな人たち。
御開帳!
そうだ、婆娑羅しよう!
本日より、倉山塾掲示板で連載始めました。
執筆中なので、現在進行形の制作日誌です。
倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々
・なぜ室町なのか?
・「最強の日本人論」とは何?
・誰に向けて書いているのか?
・大英帝国やバルカンを超える、アレな人たち。
御開帳!
そうだ、婆娑羅しよう!
たしか司馬遼太郎は室町時代は利権だらけでロマンがないから書かないみたいなことをおっしゃっていました。アンチ司馬史観という文脈でマをしても効果あるかも!?
こんにちは。本日はトロッケンで。・・合議制は日本の特色では?
日本という国は、脱皮を続けて新しく装う国だと思います。右に左に前に後ろにと体躯を揺るがせて変わって行く。ですから初動は早くても、動き出すのには、かなりの合意をとりつける。遅いように見えるが、動き出すとキチンと作動する。この辺がトップダウンの欧米列強とかチャイナと違う点で、前もった
合意が無ければ、戦国時代のような群雄割拠となってしまう。これに懲りているから江戸幕府は慎重であったのでしょう。表に見える事だけで判断は禁物で
すよ。20年なんて短いものです。50年かけて何度も何度も審議して川の付け替え工事に着手してるくらいです。当時の農民達は、きちんと法を通して賛
成派と反対派でゴタゴタしてる。(大和川の付け替え工事)結果、賛成派の言うように水害は減ったが、反対派の言うとおりに川の土砂で港は埋まり続けて
現代にも響いている。日本はトップダウンでありながら、ダウンツゥートップ
でなければ荒れる国。日本人は温和?wwい〜や。ちょ〜いクール・・という
かド〜ン鈍wなのでしょう。日本以外の他民族が攻撃スイッチのはいりやすい心理学でいうところのAタイプが多いだけの話。100年先を考えれば、50年位の審議はなんという事もない江戸幕府。末期には庶民が元気に尊皇攘夷活動をサポート。商人はカネを出し、農民は武器を持ち官軍と新撰組へ就職?wた〜くさんの名の残っていない人々のお陰で国は動くのでは?エリザベス世は初めて国王は国民の同意によって統治すると認識したお方だそうです。にしては、囲い込みで大量の難民を出し、終わらない対アイルランド戦(IRAのテロ組織は今や世界に網を・・)とか・・国民に庶民は入ってなかったのかな?
英国のあの時代のトップダウンの限界はこんな所に現れてませんか?トップに見える世界は限りがあり、大多数の庶民は見えないから意見もすくわれない。日本の合議制はもうちょっと庶民を見ていると思いますよww
たとえば大国主の国譲り。大国主には多くの別名があり、その勢力範囲は広かった。風土記の大国主への言及、出雲に関係する神社の分布が、中世の中央による神勧請プッシュの前に広がっていた事、古事記や日本書紀にも大国主が様々な場所に出向いているという記載・・これらより、日本海沿岸の東西〜九州〜四国に及んでいたようです。つまり大国主は1人ではなく、また何代にもかけて国造りをしており、多分天孫系とも血縁関係を結んで融和策をとっていたのでは?根回しですね。大国主はスサノヲノの息子だとか6か7代の孫だとかという記載、天孫系の婿アメワカヒコと出雲系のアデスキタカヒコネがそっくりさんだとか・・が示してるようです。国譲りは大国主の息子達が判断し、1人は合意し1人は抗したが負けて諏訪へ逃れ、そこから出ないという事で合
意。大国主も出雲に留まると。しかし、奈良の三輪の大物主は大国主の分霊で国造りの段階で三輪山に。この大物主の娘が神武天皇の后ヒメタタライスケヨリヒメ。時間はかかってますが、合議と血縁関係による融和策。このお陰で多分、庶民への負担やうち続く遺恨は最小限に抑えられたはず。だから”国譲り”であり、出雲大社が祀られる。諏訪に留まる事に合意したタケミナカタノカミも諏訪大社に祀られる。これは江戸時代外様の雄藩として、また海の玄関口の番として配された毛利(長州藩)動かさなかった島津(薩摩藩)が浮かぶ・・。この雄藩の目付け役が加藤清正(残念ながら続かず)細川。めっちゃ
ウマ人事wwもちろん長崎は幕府直轄。コロさず活かす。こういうのは時間をかけた合議が必要で、経験年数もないとうまく指せないと思いますよ。幕府が腐敗したら巻き返す勢力が必要な事も日光の権現さまには見えていたのかも?
頭の血の巡りが早い人には見えない事も、たっくさんあるんです。
ついでに・・家康の凄い所。天ぷらを食べて亡くなったんですが、だ〜れも暗殺説を言い立てない。江戸幕府に隙がある事になるからかな?当時の暗黙のお約束の強さ、その圧迫感を感じませんか?コレ以上の戦乱を忌避する合意があったからでしょう。4年で将軍職を2代目に譲り大御所となった・・その底
意の一つが磐石な体制づくり。諸将も兜を脱ぐわなww