高森先生、さすがに、この状況、このタイミングで、この媒体で、これを言うのはまずいでしょう。
中身の話はあとにして、ゴー宣道場でこれを書いているのが大問題。
ゴー宣道場とは、「論破祭り」と称して、小林よしのり門下生が色んな有名人に粘着ツイートを繰返している人たち。何やら「大御心が愛子天皇・女系天皇容認なのにけしからん」とのことらしい。
私も2か月ほど粘着されており、「お悔やみツイート」にも罵倒を繰返されている。それを小林よしのり氏が「公論戦士の見事な論破」と称揚している。高森さんもそんなゴー宣道場の師範。
あんまりにもしつこいので、
一、「お悔やみツイートに粘着」を小林よしのり氏は承知しているのか。
二、「論破」と言うが、相手や第三者が認めた事例はあるのか。
三、「大御心」の証拠はあるのか。
と質問したが、公式には回答無し。運営は「論破とは指摘の事だ」と一度答えたが、言を左右にしている。それ以外は門下生の声を紹介する間接話法だが、第一の質問に関して「常識の発露」だそうだ。大丈夫か?
小林よしのりとゴー宣道場ではなく、そこで書いている高森先生が。
「論破したと相手が認めた事例があるのか」と聞いているのに、公式の運営者が「こちらの論破(指摘)に~云々」と罵倒を繰返す。これこそ、「いい加減」では済まない、日本語の間違いではないのか。「論破」と「指摘」はまるで違う概念。
高森先生を信じている純真な若者がいるのは私も知っている。しかし、「お悔やみツイートを罵倒するのは常識の発露」みたいな人と一緒に皇室を語っていて、しかもそういう非常識な発言をする人間が「高森先生に皇室を習っています」と公言している。
だから、「高森先生が大丈夫なのか?」と申し上げている。
第三の質問に関しては、何の証拠も出されていない。「お前こそ旧皇族を連れて来いよ」との逆質問(というより罵倒)はされているが。
百歩譲って、「愛子天皇」「女系天皇」が大御心で、本当に大御心にそって動いていたとする。ますます、礼儀正しく、敵を作るような真似はできないのでは?
「大御心」が誰のかは知らない。しかし、本当にそうだとしたら、限られる。陛下と呼ばれるお方にしか使わない言葉。「論破祭り」などと称して(実態は誹謗と罵倒。本人の自白によれば指摘祭り)なんか、その陛下の名を汚すことになるのでは?
私だって一度も「愛子天皇論」を否定したことがないからこそ、こんな連中に名前を持ち出されて「殿下がお可哀そうだ」としか言いようがない。
しかも運営の責任者がツイッターのアイコンに愛子殿下の写真。ダメでしょ? 誰かたしなめなきゃ。
話の前提として、今の小林よしのり氏とゴー宣道場のやっていることは、「殿下に大迷惑」でしかないので、こんな前置きをしないとならない。
中身に関しては、元皇族と旧皇族の違いとか、私は高森先生に聞く耳持ちますよ。おっしゃる通り、知らない人が聞いたら誤解するのは確かだし。
そもそも私は元皇族と旧皇族を区別して使っている。
最近は政府も「旧皇族の男系男子孫」という言い方を使うようになった。可能な限り言葉は正しく使われるべきなのには、一理ある。
しかし、言葉の性質上、「みんながそういう使い方をしたらそれが正しくなる」のも確か。たとえば、「御所」「上」は天皇にしか使ってはいけない言葉だったけど、いつのまにか臣下に使われるまでに広がった。結局、言葉は程度問題では。
ちなみに私は、いわゆる旧皇族を「後花園天皇の勅命によって永代宮家とされた伏見宮家の子孫で、明治典範でその地位が確認され、日本国憲法下の昭和典範でもその地位が確認されていたが、敗戦の中で本来は皇族として生まれてくるべき身分を奪われた方々」の意味で使うこともある。ただし、生まれた時は国民だった方に「元皇族」と使った事例は一度も無い。
「掃き溜めに鶴」という言葉もあるけど、鶴がわざわざ掃き溜めにいる必要もないし、長く掃き溜めにいると鶴まで汚れてくる。
「お悔やみツイートに粘着」「論破祭りと称して罵倒」が「大御心」にそうのか。考えるまでもないと思うけど。
高森さんの議論、法律論だけで言えば正しいのでしょうね。
〈1920年(大正9年)5月19日に制定された内規「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」では、「皇玄孫(註:4世王)ノ子孫タル王」のうち「長子孫ノ系統4世以内(註:5~8世王)」を除く全ての王は、請願なき場合も華族に降下することが定められている。また、同附則により伏見宮系皇族については、その共通の祖である伏見宮邦家親王を起点とすることとされている〉(ウィキペディアより)。
でも、華族制度がある時代の準則を根拠に話をすることにどれほどの妥当性があるか? 要するに「元皇族も旧皇族もほとんどいないから旧宮家の皇籍復帰などありえない」という風にする為の議論でしょう。
三笠宮彬子女王殿下のお言葉を、
高森先生はどうお考えになるのか。
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2012年(平成24年)1月7日の『毎日新聞』のインタビュー記事で皇位継承問題に絡む女性宮家創設問題について、日本国政府の議論が女性宮家を創設するかどうかのみとなっていることに違和感を覚えているとし、戦後に皇族の身分から離れた旧皇族の復帰案もあることを指摘している。また、結婚後に公務を続けることについては「結婚後も公務をすることに抵抗はありません」と語った。この記事の元になったインタビューでは、女性宮家創設は、結婚適齢期の女性皇族にとって今後の人生を左右する問題であることに触れ「決めるのであれば早く決めていただきたい」と答えた。
しかしその後の一部報道で、この言葉があたかも女性宮家創設を推進する発言であるかのように伝えられた。
※彬子女王のウィキ頁より
>議論が女性宮家を創設するかどうかのみとなっていることに違和感を覚えているとし、戦後に皇族の身分から離れた旧皇族の復帰案もあることを指摘
……そう云えば、お悔みツイートに突撃を繰り返したゴー宣道場の門下生は、三笠宮様のことを「赤い宮様」という蔑称で呼んでいましたね。女系派は、自分達の意に沿わない発言を一度でもした皇族を、「赤(=共産主義者)」であるとレッテル貼りして蔑むのでしょうか。
旧皇族という呼称を改めて、崇光流皇統の方々、とお呼びしたら、どうでしょう