いつもお世話になっている、レポーターの阿部光利さんのお招きで、本日早朝から湯島天満宮に行って参りました。
6時30分から押見昌純禰宜(御年34歳)のご講演。
日本人は自然に人間に感謝する民族。大地に神が宿るのは神道の特色。「鎮まり」さえすれば教義や経典など不要。
ところが最近は祝日はあるが祭日はない。だから感謝の心がなくなった。
合理主義だけで物事を進めるのは不合理。例えば、なぜ社会通念として認められている夫婦別姓を法制化する必要があるのか。
最も重要な儀礼である陛下の四方拝すら簡略化する愚かさ。
など多岐にわたりつつも、すべてに共感できる内容でした。
同じ志の若者として今後の協力を約束しあいました。
何が恐いって、知らないことですから。
11月23日が「勤労感謝の日」としか思えないのは、日本人として悲劇でしょう。
その後、神社人を主宰する東條英利さんも合流して、
押見守康宮司と意見交換のようなお目通りを。
とにかく若者に伝え、集まるしかない!ということです。
普段から言っていることですが。
皆様、長時間ありがとうございました。
ところで、明日から2泊3日で高千穂に天皇弥栄を祈りに行きます。
数日、砦の更新が止まるかもしれませんが、先に言い訳しておきます。
旅先でも原稿執筆と学会発表の準備をしているであろう、寝不足気味の倉山でした。
今日は、お疲れさまでした!
いつだって、若者が社会を変革していく!
高千穂の土産話楽しみにしています。
戦前は「新嘗祭」でしたね。
世界の祭礼を調べてみると、ほぼ同時期(10月〜11月)は、収穫祭の時期に相当します。皇室祭祀もその一例と考えて良いと思いますが、キリスト教での謝肉祭(カーニバル)や復活祭(イースター)もこの頃だったのではないでしょうか。ギリシャのディオニソス祭も有名ですね。
いずれにせよ、収穫を神に感謝し、マツリを行うのは洋の東西を問わず行われる祭礼の基本であって、どの宗教にも共通の理念ではないでしょうか。
「勤労感謝の日」というネーミングはともかくとしても、少なくともそうした起源を教えるのは大事だと思うのですが…無理だろうなぁ。どうせまた「政教分離違反だ!」とか何とか騒ぎ出すカルト信者が教育現場にはいっぱい居るから。
天満宮といえば、大阪天満宮には菅原道真公の生涯を人形で紹介した宝物館があります。太宰府に流されながらも皇室の繁栄を祈願したという記録もあるそうで、その様子をかたどった人形も展示されていました。地下鉄南森町からすぐの場所にありますので、機会があれば立ち寄ってみてはいかがでしょうか。私は京都の北野天満宮にも良く出掛けます。
倉山先生、おつかれさまです。
湯島天満宮(湯島天神)は大学受験の際いったことがあります。
今思うと、都合の良い時だけ神頼みのダメ人間ですね(笑)
結果として、高尾にある右系オレンジ大学に収まったわけですが。
前置きが長くなりました。「感謝」よい言葉ですね。
しかしながら、我が国ではそういった心を忘れてしまっているように感じてなりません。
感謝する余裕がなくなってきているのでしょうか?
〉プロジェクトh.kさん
私も湯島天神のお守りと鉛筆を父に買ってきてもらったたちです(笑)。
私もh.kさんと同じ考えです。「感謝」というのはいい言葉で守らなければならない精神だと思います。
以前、竹田恒泰先生がTVの出演されたときに宮中言葉で「いただきます」ではなく「ありがとうございます」を使うと仰っていました。
恒日ごろ何に対しても感謝の日本人の精神は守らなくてはなりませんね。
アメリカだと、「勤労感謝の日」は「サンクスギビングーデー」ですね。
欧米は働いた「人」に対する感謝に対して、日本は「人」だけでなく、「大地」、「太陽」、「雨」といった自然にも感謝します!
欧米が自然は克服しなければいけない「敵」であるのに対し、「に・ほ・ん・じ・〜・ん」は自然の美しさを愛する、(もう一度叫びます「に・ほ・ん・じ・〜・ん」)。
新渡戸稲造の「武士道(BUSHIDO)」でも、日本の美徳は紹介されています。