何をどこから書けば良いのかわかりません。
書くことが多すぎて。笑
とりあえず四分割だと、日露戦争までは第四、日露戦争で勝ってからは第三の立場です。
これを「転向」だのなんだのという方が多いのですが、日露戦争に勝たねばデモクラシーも何もないのは当時の大多数の人間、それこそ幸徳秋水とか超少数派以外の合意事項であって、そんな連中を過大にとりあげる教科書の方がおかしいのであって、吉野は極々普通の人だということです。ここまでは国民国家として生き残らねば話にならん、が最大の課題ですから。
日露戦後は、世界に冠たる大日本帝国になって、台湾・朝鮮・南洋委任統治領と、どんどん別文化を持つ他民族も抱合するようになったので、やりかたを考えましょう、というのが吉野の立場です。
第二の立場の人は勝手に吉野を自分達の守護神に祭り上げて、
第一の立場の人は吉野を攻撃する、というのが思想的流れです。
第四の立場の人はよくわからず、第一(か第二)と見立てて攻撃しているようですけど、
吉野は第三の立場のチャンピオンです。
右か左かの二分論だと見えないのですが。
紙数に余裕があれば、芥川龍之介・石井菊次郎・同時代の憲法学者たち(美濃部達吉・佐々木惣一・清水澄)と並べて論じたかったのですけど。
大正デモクラシー(リベラリズム)、それくらいはしないと何が何だかわからないのです。
ということは、吉野作造研究というのはかなり奥の深いものになるわけですね。
非常に個人的な関心なんですが、袁世凱の息子の家庭教師をやってたようですが、これについての詳細(きっかけや、教えてた内容、バイト?代)が知りたいです。
拙者も大陸で家庭教師のバイトしたことがあるので、ミョ〜〜に関心を持っちゃいましたが。
何を教えたかって?
み・ん・しゅ・しゅ・ぎ!
じ・ん・け・ん!
へ・い・わ!!
これら日本で喚くは愚者。大陸で怒鳴るは勇者。
(とか言って悦に入ってるけど、実際やばい)
倉山さん
こんばんは。藤沢です。
「寺内対原」シリーズを読み返していました。
昨年初めて砦に来た頃は、何の事だが殆ど分からなかったのですが、改めて読み返してみると、面白いですね。この中で紹介されている吉野の主張もまた綺麗ですよね。このあたりは歴史教育のかなり急所の部分という気がします。
このシリーズ、途中で止まっていますが、是非とも再開して下さい。
それにしてもこのコラム、本文がいいのは当然ですけど、絵もまたいいですよね。倉山さんも打ち合わせに参加されたのでしょうか?
特に南原繁のは秀逸だと思います。
寒くなってきましたので、お体お気をつけ下さい。
それではまた。
参考資料
1:去年の9月12日「寺内対原(1)-大正デモクラシーの前提-」
2:去年の8月23日「戦争は民主主義を促進し、民主主義は戦争を残酷にする」
仙台様
深いですよ。
博士論文一本分くらいは。
大陸浪人様
きっかけ=東大法学部に就職先がなかったので。
教えてた内容=国際法その外法律関係だそうです。
バイト代=妻子を養える程度には。
吉野曰く「ひどいめにあわされた」だそうです。東大と袁親子に。
藤沢様
一応、完結っぽくしてはいるのですが。
参照:昨年10月5日「近衛対東條―語らずの弁―」
「加藤対清浦」もやったほうが良いですか?
倉山さん
藤沢です。奥が深いですね。わたくしが浅はかでございました。秀行データベースを修正させて頂きます。
加藤対清浦につきましては、別に急ぎませんので、話の流れに合った時にでもお願い出来れば助かります。
このシリーズ、全員されるのでしょうか?特に最後の山本七平と江藤淳は興味がありますので、楽しみにしております。それではまた。
吉野作造は戦後はものすごく左の人みたいに言われて、戦後の右の人に悪く言われていますけど、実際はそういうふうに吉野を人たちよりも右だと思います。
もっというと愛国的!