三宅久之というと、『TVタックル』の名物親父、くらいしか普通の人は思い浮かばないと思う。元々は毎日新聞の記者である。
この人、実はその昔、すごいことやっているのです。
宮本顕治を恫喝!
さすが、ハマコーの隣に座っているだけの事はある。
さて、シェイエス先生の言葉を思い出そう。「第二院が第一院に賛成すれば不要、反対すれば有害」と。歴史編になりますが、今日扱う時代はまさに「不要?」と言われた時代です。
昭和二十年代の参議院は結構いい加減だった。衆議院も同じようにいい加減だった。なぜか。本職の政治家が公職追放されて、素人ばかりになったからである。
麻生太郎のおじいさんの吉田茂は「ワンマン」と称されたが、要するにみんなが素人なのをイイコトに、やりたい放題やったのである。
ちなみにこの時の参議院は、緑風会という戦前の貴族院議員中心の会派が最大会派となる。この人たちは「非政党化」を建前としたので、与党が参議院で多数派を維持しなくても、たいていのことは話せばわかってくれた。
例えば、「モーターボート競走法案」などという素敵な法案は参議院が否決したが、衆議院が三分の二の多数で再可決をしたので通過して今日に至る。
教訓。笹川良一の政治力があれば、参議院は恐れなくて良い?
ではなく、参議院と衆議院が本当に密着していなかっただけである。
昭和三十年代は、吉田茂の参謀だった松野鶴平が参議院議長となる。
自民党も衆参どちらの選挙も勝利し続けたし(社会党が負け続けた)、松野の卓越した政治力で、参議院で何か深刻な揉め事が起きるということはなかった。
昭和四十年代は、大半が佐藤栄作政権である。
その佐藤を参議院で支えていたのが、重宗雄三議長である。重宗とともに佐藤を支える立場にあったが反主流派に転じた三木武夫は、まず重宗を潰そうと企んだ。
その時の言い分は「毎年三人いっしょにふぐを食べる中だったのに〜」である。
食べ物の恨みは恐い?
ではなく、三期九年とあまりにも長期に及んだ重宗議長の交代を大義名分に、まじめに参議院改革を考えていたらしい河野謙三の擁立をはかる。河野洋平の叔父である。
三木は河野をたきつけて「桜会」という非常にネーミングセンスのない参議院議員の集団を立ち上げた。
なぜそんなひどいことを言うかと言うと、戦前に橋本欣五郎という、トルコ革命をまったく理解できなかったくせに、「日本でも倣って昭和維新をやろう」などと料亭でクダをマいていたトグロ巻き陸軍軍人集団の名前と同じだからである。(ちなみに、かの聖将・根本博将軍も誘われたが、途中であまりの不真面目さに気付いて脱退したという。)
重宗が四選を目指した時、自民党の議席は百三十七。全野党を足すと百十五。自民党から十二名が造反したら、河野議長の誕生である。
三木武夫がまずやったことは、田中角栄の無力化!次期総裁を目指す角栄は、重宗一派の弱体化は都合が良いと考え、これを了承。というか、「俺は閣僚だし、参議院のことはしらない」の一言で終了。実際に二人に会話があったかどうかは知らない。しかし、二人とも党人政治家である。どう動けば合理的かくらい、正気であればわかるのである。今の政治家を基準にしてはいけない。
で、三木派でもないのに、三木派中心の桜会を纏めたのが、石原慎太郎参議院議員。三木と石原の馴れ初めから絶縁までを書くとそれだけで戦後政治重大秘史になるので割愛(別に裏情報など一切使っていないので秘史でもなんでもないが、重大なのは本当)。とにかく、この時の石原はなぜか三木の右腕として生き生きと動く。
どれくらいノリが良かったかというと、「裏切ろうとした奴がいたので、ボールペンでメンタマを刺すぞと脅したらいうことを聞いた」と、武勇伝の如く自叙伝で書いているほど。(下線部が重要!)
野党対策は社会党国対委員長の阿具根登が取り仕切った。その時の工作員が、ご存知、三宅久之だったとか。
全野党ということは、共産党も含めてである。三宅さん、不破哲三を通じて宮本顕治に相当働きかけたらしい。
当然いつものように「自主投票」とか独自路線をされたら佐藤と重宗が推す候補が勝ってしまう。「こちらに入れなかったら、利敵行為とみなすぞ!」とか、阿具根と三宅は相当な恫喝をしたらしい。(詳しくは、三宅さんの回顧録をどうぞ)
で、焦点は桜会に何人残るか。
某殿様家出身の議員は突然訳のわからない叫び声を挙げて出て行ったりとか、目まぐるしい裏切りが大変だったらしい。
で、最後に残った会員一堂を集めて三木が一言。
「もうこの場にいるということは、負けたら全員打ち首ですよ」
としぐさ付きで、おどろおどろしく宣言。
全員がいなくなった後で側近の新聞記者に
「こういう時に人間の格がファイリングされるんだよ」と、これまた動作付で独白。
何だか妖気が漂っていたらしい。(当事者談)
げにも怖ろしきかは、いざとなれば共産党でも使う三木武夫。さすが、目的のためには手段を選ばないバルカン政治家。
結果は、見事河野議長の誕生。佐藤政権の一角は崩れた。
で、ここまでの大騒ぎをして河野議長が真っ先にやったこと。
トイレ掃除!
石原慎太郎が河野、そして三木の下を去るのに時間はかからなかった。
以上、平和な時代の参議院の話でした。
倉山さん
こんばんは。藤沢です。
たまにはこういう難易度の高い話も良いのかもしれません。
亡国前夜シリーズとの関連で読んでいました。このあたりの事、ネットの情報ではなかなか良いのにあたらないのですよね。ヒントになる良質の情報はやっぱり倉山さんの話の中にありました(wwwww)。12/18の(外伝の)話だと思います。
>三木と石原の馴れ初めから絶縁までを書くとそれだけで戦後政治重大秘史になるので割愛。(上記)
⇒ついでに、石原慎太郎(実は、この時まで三木シンパだったのである。当時は誰でも知っていたが)が都知事選挙に負けた時に冷たい仕打ちをしたから、青嵐会が怒ったというのもあるが。(12/18より)。
補足:当時の総理は他ならぬ三木武夫。
結構前の記事ですが、石原慎太郎の感情は変わらないみたいですよ。
http://www.sensenfukoku.net/mailmagazine/no34.html
三木おろしと松野頼三と小泉純一郎の話も興味深い所です。郵政解散との関連で捉える方が普通の見方だと思います。
まとまりの悪い話ですみません。このあたり、確かに面白いのですけど、正直結構きついですね。奥が深くレベルの高い領域だと思います。
亡国前夜とかけもちのシリーズで大変だとは思いますが、参院選までの両方の完結を期待しています。頑張って下さい。
それではまた。
藤沢様
>正直結構きついですね。奥が深くレベルの高い領域
うーん。単にネットに上がっていないことだけを確認して書いただけなのですが。考えます。
三木おろしの記憶が小泉の郵政解散の原点だったというのはうがちすぎでしょうか。
仙台様
我が意を得たり!です。
たぶん、相当に反面教師にしたでしょうね。
仙台さん
私も同感です。その含みで書きました。
この時、島村農水省は辞表を提出したのですが、小泉総理はあくまで受理しないで罷免したのですよね。抜け目が無いというか芸が細かいというか。
というより、やはりそれが事の本質である事を理解していたのだろうなという風に思います。
何れにしましても郵政解散は、小泉総理の頭の中では前年の参院選直後くらいからかなり周到に練りこまれてシミュレーションされていたのではという感じがします。勘の良さと先を読む力みたいなものをこの人には感じます。