日本のどの教科書にも、「大嘘」と言って悪ければ、極端な政治的主張が書いてある。
1549年 キリスト教伝来
イエズス会のフランシスコ・ザビエルが対抗宗教改革の一環としてはるばる日本にまで宣教にきたことを指すらしい。
さて、以上を客観的事実と思った方々に質問。
一、イエズス会とは何者ですか。
二、フランシスコ・ザビエルとは何者ですか。
三、対抗宗教改革とは何ですか。
四、そもそも、ここで言うキリスト教とは何ですか。
五、キリスト教が徳川幕府によって禁じられたならば、なぜオランダはその後も日本と交易していたのですか。
六、ついでに「宣教」って、どういう意味ですか。
「五」など、たいていの学校や予備校の教師は説明できないので、まじめにモノを考えた受験生はただひたすら何も考えずに丸暗記するか、そもそもモノを考えないか、になってしまうのが今の暗記中心受験勉強の弊害では?
そこで、日本史の教科書には書いていないが、ほとんどが世界史の用語集には書いてあることを解答として。
一、ローマ教会の下、カトリックの教えを世界中に広めようと結成された組織です。多くの国への侵略の尖兵となりました。
二、そのイエズス会の創設者で、七大幹部の一人です。
三、ルター・カルバン・ツィングリらプロテスタントが起こした宗教改革への対抗として、ローマ教会が起こした世界中への布教活動と宗教紛争。
四、カトリックのことでしょうね。よく、プロテスタントや正教から抗議が来ないものです。
五、プロテスタントだからです。江戸幕府が来航を禁止したポルトガル・スペインはカトリックです。戦国時代以来、日本人はカトリック(天主教)とプロテスタントをまったく別の宗教だと思っていました。ちょうど、現代の日本人が同じ唯一神を信じるユダヤ教・キリスト教・イスラム教を別の宗教と看做しているように。
六、プロパガンダのことです。プロパガンダの最初の用例は、1622年「異教徒を改宗させる宣教委員会」ですけど。
以上、五と六だけは載っていないですか。
別にカトリックには何の恨みもないですが、ザビエルの布教開始を「キリスト教伝来」などというと、知らず知らずの内に特定の宗教勢力の主張を鵜呑みにし、歴史が見えなくなるので困るという事例としてあげました。
どこの宗派でも良いからキリスト教が単に日本に伝わったのならば、730年代、奈良時代です。ご興味の方は『国史大辞典』の「景教」の項目をどうぞ。
景教ことネストリウス派は、現代キリスト教の三大宗派、正教・カトリック・プロテスタントのすべてから異端扱いされているので、キリスト教と数えられていないのですが。
最初のキリスト教伝来を奈良時代のネストリウス派とするか、戦国時代のカトリックとするか、それとも他の宗派とするか、客観的とか価値中立という立場はありえないのです。どこかで線引きをしなければならず、それは学者の仕事ですが、どうも正面から向かい合う知識人がいないような。
憲法とか吉野作造とかを研究していると、「キリスト教の影響」とか、「キリスト教を基盤として」とか、「キリスト者として」とかいう文にイヤというほどぶち当たるのですが、何が困るといって、そのような粗雑な用語使いをする人が勝手に思い描く「キリスト教」の印象で語られた文章が平気で学術書とか学術論文を名乗っていることです。
そんな用語使いをするから、アルカイダを「イスラム過激派」と呼んでみたりするのでは?
それ、オウム真理教を「仏教過激派」と呼ぶくらい違和感がある用法なのですが。
何らかの政治意図を承知で用語を駆使するのは理解できます。しかし、それは客観的な学術用語ではないです。何も考えないで客観的な用語だと学者が思い込む。ここに日本の知識人の貧困があるのでは、と昔から思っていました。
歴史教科書ではよく、韓国や中国など特定のアジア諸国との問題だけをとりあげる人ばかりですが、実は欧米は相互の歴史歪曲と抹殺の繰り返しの中で妥協してきたのであって、無自覚に彼らの言い分を鵜呑みにするのは如何なものでしょうか。
ちなみに、私は「キリスト教」などという用法はよほど括れる時しか使いません。
例えば吉野作造を「キリスト教浸礼派」とは呼びますが、「キリスト者」などとは呼びません。ましてや、「吉野はキリスト者なので、日本国憲法九条の先駆者として、戦争反対の立場を貫いた」などと言われた日には。。。
こんな感じで日本史と世界史の教科書の問題点を指摘していったら、ほぼ全面的に書き換えが必要です。書けといわれれば書けますけど。
阿蘭陀が新教徒だからというのは盲点でした。
景教の流布は、聖徳太子誕生のエピソード等を考えたとき、日本との接点を否定することは困難だろうと思います。
そもそも「キリスト教」と信者自身が名乗るとすれば、自らを異端として認めることでしょう。あくまでも「イエスキリストの福音」というべきで、本来はユダヤ教の一派ですね。イスラムも同じことで、これらのどれが伝わろうと本質的に違いはないというべきでしょう。
何時伝わったかということは、何をもってという議論が必要ではないでしょうか。なんでもよいから日本に来たというなら実証は不可能でしょう。おそらく有史前から、ユダヤ教の何かが来ていたと思うのですが。
倉山先生、こんにちは。
今年も宜しくお願いいたします。
今回の記事を要約すると、
東大歴史学と文部官僚は、ただ馬鹿なのか、それとも意図的なのか、だと思います。
おそらく、ただ不勉強なのでしょうね。
なお東大の歴史学は、歴史以外のことを勉強すると、それは歴史学ではないと言われてしまいます。
今回の記事からさらに想像したのですが
カソリックをキリスト教を言ってしまうのは、やっぱりバチカンの影響が大きいのではないでしょうか。
バチカンを中心としたカソリックが隠然と力を持っていることも、決して軽視できないでしょう。
宗教に関する言語については、日本人は、少し繊細になったほうがいいかもしれませんね。
>かしわもちさん
くそ肝心なことを思い出しました。カトリックとプロテスタントではそもそも聖書の範囲が違うということです。
ご指摘の通り、もっと繊細であるべきですね。