(前回のあらすじ=元老たちの心象風景)大隈重信と板垣退助は、これまで対立しながらも政府攻撃でだけは共闘し、それぞれに猟官運動の為に藩閥政府から大臣の椅子を奪い取ってきた。元老は大隈重信と板垣退助を分断してきたが、とうとうごまかしがきかなくなって両者は手を結び、最強の拒否権集団である衆議院に87%の議席数を占める超巨大野党憲政党が出現した。さてこの未曾有の国難に元老はどう対処するのか?
伊藤「衆議院が聞き訳がない以上、予算も法案も通らない。総辞職するしかないだろうが。」
山縣「待てい!あんたが辞めればどうなる?」
伊藤「そらあ、どうにもならんだろう。。。」
山縣&他の元老全員「投げ出すなんて無責任だろ。職に留まるべきだろよ。」
伊藤「じゃあお前らの内、誰でもいいから、あとを継ぐ覚悟ある奴いるのか?あの狂犬どもと戦う覚悟がある奴居るのか?」
全員「・・・沈黙・・・」
伊藤「自分も政党を作ろうと思う。それしか方法はない。」
全員「(絶句)????」
山縣「議院制度で政党の存在は当然。しかし、首相や元老の地位で政党組織はまずい。政党なんて徒党であって、謀反人の集団でしょうがよ!政党政治は民主政治であって、国体を守れないでしょうがよ!」
伊藤「憲法のことなら私の方が知っている。官職・勲章・爵位、その他あらゆる名誉を返上して、幕末の時のように志士に戻ったつもりで、血刀さげて戦うつもりでやる!」
山縣「では後継総理は?」
伊藤「大隈と板垣を奏薦する。総理がどちらかは二人に決めさせれば良い。これでダメなら、ここいいる誰かが引き受けよ!」
全員「・・・」←山縣は全然関係のない国体論を蒸し返しながら、既に子分の桂太郎を送り込み、内閣を内部崩壊させる策略をめぐらせている。他の元老も錯乱狂気するが如く反対論。
伊藤「以上の次第で、陛下。大隈重信、板垣退助の両名をお召しだしになられるよう、奏請いたします。」
天皇「本当に良いのだな?????本当に大丈夫だな?????」
かくして、「あんな奴らに政権を任せて、この先の日本はどうなるのか、という天皇と元老の不安の下に、大隈重信憲政党内閣が成立した。
失意の伊藤は清朝に康有為を訪ね(この話もおもしろすぎるのだが省略)、山縣は桂以下配下の官僚に「表向き粛々、面従腹背、隙を見せたら襲いかかれ!」と指令を出す。(つづく)
注1 当たり前ですが、本人達全員がわかっていることは口にしませんので、台詞でわかりやすく背景を補いました。
注2 あくまで過去の歴史です。未来日記でも予言の書でもありません。また、現在の政治家をおちょくる意図もありません。このお話で読者の皆さんに何らかの示唆を与えることができることは無上の喜びですが。
注3 本当の史料は漢文調です。御前会議でこんな下品な言葉遣いはしませんが、あえて元老の心象風景を表現してみました。伊東や山縣以下の元老は皆、幕末維新の戦刃をくぐっていますので。口調が途中で「ですます調」に変わったのはなぜ?などと聞くと。「これだからネット世代は読解力がない」などと言われるので注意しましょう。
注4 一日のやりとりではないのですが、延々と同じ議論の蒸し返しで長いので、はしょってくっつけました。
注5 というかボヤキ。このやり取りを読んで、伊藤と山縣が「お互いに真剣に相手を抹殺しようとしていた」などと解釈ができるのが不思議である。
倉山先生
いつも、興味深い記事をありがとうございます。
さらに、活発にレスがついていて、素晴らしいですね。
しかし、最近、一部のユーザーのコメントに、
公の場には相応しくないものがあるように感じます。
そのようなコメントに丁寧に返信するのは、
ファンへの誠意として必要なのはわかります。
それにしても、「倉山満の砦」の存在意義に照らして考えると、
それは決して歓迎されることではないのではないでしょうか。
どんなコメントにも、倉山先生がコメントしなければならない、
というのは、ある意味異常です。
そのようなことを続けることは、
このHPの価値、ひいては倉山満氏の価値をさげることにもなるのではないでしょうか。
また、そのようなコメントに倉山先生がコメントしていることに、
とても残念な思いをしているユーザー・ファンがいて、
書き込みしづらくなると、感じるユーザーがいると思います。
少なくとも、私はそのように感じています。
そこで、倉山先生にお願いです。
このサイトにそぐわない書き込みに対しては、
無視するようにしてください。
そして、
このサイトに熱心に書き込みしてくださるみなさま、
これからは、良識を持って、倉山先生を盛りたてて、
このサイトが、他にはない、
質の高い意見・考えが掲載される掲示板となるよう、
共に学び、実践していきましょう!!
御理解とご協力お願いいたします。
いつもご声援ありがとうございます。諒解しました。気をつけます。今後ともお引き立てのほどを宜しくお願いします。
倉山先生、こんばんは。
伊藤・山縣のやりとりの解説、とても興味深く拝見しております。
実際にこのようなやりとりではなかったにせよ、リアルに伝わってくるところもあり、
いつか、さいとうたかをあたりに漫画家してほしいそんな気もいたします。
注2に示したような倉山先生が暗に仄めかしている内容に繋がる記述も・・・。
「Oさんが党首会談に応じない以上、辞任するしかないだろうが」・・・。
昨年の9月のことを思い出すような記述ですね。
さて、倉山先生に厚かましいお願いなのですが、2つ解説のお願いをできればと思います。
憲法については、そもそも、伊藤と大隈の間では、
ドイツ式かイギリス式かでの対立しており、それに関連して、
大隈が政府から追放される明治十四年の政変が発端にあると思います。
ぜひ機会がありましたら、この解説をお願いできないでしょうか。
結果的に憲法制定にかかわる伊藤も、当初はドイツ式を推進していたわけでもないという見解もあると伺います。
またぜひ伊藤と康有為の関わり、即ち戊戌の政変についても、可能でしたら解説いただければと思います。
これが最終的に孫文ら留学生の失望を招き、清朝を崩壊させる辛亥革命につながるはずです。
東洋史は専門外かもしれませんが、現代のチャイナを知る為にも重要な時期と思います。
西大后も関わるこの事件は、
「ラストエンペラー」「蒼穹の昴」などにも関連する事項で、
一般の方にもかなり興味深いと思われます。
ご多忙の折と思いますが、機会がありましたら、
折を見て解説賜れればと思います。
また月末の憲法講義も楽しみにしております。
面白すぎます!素人はお邪魔になる、当分コメントしないと決心したはずなのに、脊椎反射で書いてしまいます。
「政党政治は民主政治であって、国体が守れない」に唸ってしまいました。何となくもやもやしていた事が吹っ飛びました。じゃあ、今の制度(憲法)をどうするか?
「菅直人が総理でも大丈夫な憲法」とつながるわけですね?これも自己確認の独り言です。勝手に読んで勝手にやってますので。