帝国憲法がドイツ型かどうか、明治十四年の政変をめぐる路線対立、これらは毎月第四土曜日の「帝国憲法講義」をどうぞ(笑)。
簡単に言うと、英国型かドイツ型かは、当時の欧米の学者間でも議論が分かれていたのですが、結局は比較の問題です。また明治十四年の政変は大隈の独走ですね。いきなり二大政党制、とか無理難題を言い出した訳ですから。現在の日本でもできているかどうかわからないのに。
話は現代に飛びますが、政権交代は大事ですけど、これで民主党が自民党並みの長期政権になれば、それは二大政党制ではありません。また、自民党が崩壊しても、二大政党制はできない訳です。民主党も既に迷走していますが、自民党はもっと腑抜けているのが心配です。それは民主党にとっても不幸なわけです。逆に与党時代の自民党にとっても、政権担当能力のない野党第一党、というのは不幸だった訳です。どんなに腐敗しても政権にしがみつかざるを得ず、結局自民党内の改革派が潰されるわけですから。
閑話休題。伊藤は列強の目を意識している以上、文明国の憲法を作ろうとした訳で、当然ながらドイツだけでなく、英国やベルギーも意識しています。
ただ、英国憲法の大事な不文法は「議会(における国王)主権」なのですが、自由民権の猛威を前に、「議会主権」などと言い出せる訳がないですね。隈板内閣は当時最大の友好国である米国に戦争を仕掛けかねないすごい人たちだったので。。。
康有為の百日変法に関しては本編の「伊藤対山縣」で。
こんにちわ。
やっとブログが見れました。
まず、日本に二大政党制が合うのかどうかという問題があると
思うのですが。
仰る通り、本当に新聞読んでいても、自民党が腑抜け状態です。
民主党はマニュフェストをだしても、実行できるかどうかです。
今、政党がこんな状態なので、本当に怖いと思います。
しかし、どうしたらよいのかが分からないのが余計に怖いです。
倉山先生、こんにちは。
当たり前のことだと思うのですが、
日本は大日本帝国憲法を制定するにあたっては、当時最先端のヨーロッパ各国の憲法を研究していたわけですから
当時の最善手を打っているわけです。
にも関わらず、今の憲法と一緒くたんに批判するのは、明らかに間違いでしょうねえ。
明治時代の短距離走の選手と、ケニアのウサイン・ボルトを100メートル走で今競走させたら
1秒以上の差がつくでしょうが、
それでも明治時代の選手は鍛錬が足りないと言いきれるのでしょうか、
普通の歴史学者は。
話が変わりますが、
倉山先生が憲法講義で触れていた「憲法義解」を読みますと
第65条の予算の先議権が衆議院にあるというところの解説はあまりにも民主的過ぎます。
伊藤公の解説を要約すれば
「予算というものは、国民の生活に近い事柄だから、衆議院に先議権を与えた」とのこと。
これのどこが民主的ではないといえるのか、衆議院に権力がないと言えるのか。
そう感じました。
その当時の情勢・状況など、
前提をしっかりと把握することが大切ですね。
社会党は中選挙区時代に衆院選で候補者を定数の過半数以上を擁立していなかったのは、社会党が政権を握る気がなかったからですか?
日本など一部の国では、社長とは別に首相を持つために行く理由を私は本当に理解していない。良いことは、米国では何が起こるか知っている政府”COSのようなものを持っていません。
ニース話がねじれた