まずは橋下徹氏のツイッターより全文。
男系は守れるなら守りたい。しかしこれからの時代、悠仁様やその後に続く男系男子の皇嗣に嫁ぐことを決断できる女性が現れるのか、現実的に考えるべき。男系を声高に叫ぶ男に限って、男子を必ず産まなければならない女性のプレッシャーについて無頓着。国会議員は抽象論ではなく現実論で議論せよ。
これに対し長嶋昭久氏のリツイート。
そのようなプレッシャーに晒さない制度的な配慮も必要ですね。個人的には、GHQによって我が国の皇統に対する深い考察もなく皇籍離脱を余儀なくされた旧宮家およびその子孫の方々や「皇室の藩屏」といわれた華族制度を改めてポジティブに見直す議論を直ちに始めるべきではないかと思います。
さらに橋下氏の反応。
国民の敬慕の念の対象を現実的に捉えて下さい。象徴天皇制となり、国民は三種の神器や形式的な皇統に対してではなく上皇上皇后両陛下の象徴としての「行為」に敬慕の念を抱いていると思います。そうなると上皇上皇后両陛下の直系血族に敬慕の念が集まるとも考えられます。現実的な議論を。
橋下氏の主張、条件付きで筋は通っていると思います。その条件とは「日本国憲法の国民主権(民主主義)に価値を置く」という価値観です。橋下氏は「男系を守れるなら守りたい」と述べているけれども、「守れない」前提が私にはよくわからないし、結局は「日本国憲法の国民主権(民主主義)」の価値観の方が大事な人なのかなあ、と理解する。
橋下氏、確かに理屈は言っている。社会科学や自然科学の手法に則れば論理的とも言える。つまり、ある価値観に基づいて目的に合致するように論理を組み立てているという意味において。
しかし、人文科学の議論ならば、理屈を並べているだけで論理的でも何でもない。なぜならば、人文科学とは「価値観」や「目的」そのものの合理性を議論する学問的手法なので。この場合、橋下氏のよって立つ価値観である「国民主権>男系の伝統」という価値観が所与の前提になっているだけで、何一つ立証されていないので。
「国民主権>男系の伝統」の前提に基づいて現状の問題を抽出、一生懸命に解決策を提言されているのは橋下氏なりの誠実さなのだろうけど、私のように「男系の伝統>国民主権」という価値観の人間には、何一つ論理的に聞こえない。ただ理屈を並べているようにしか聞こえない。
と言っても抽象的なので、具体的なたとえ話をする。
橋下氏も関西の人間なので「延暦寺の不滅の法灯」は知っていると思う。開祖最澄が火をともして以来、三度の焼き討ちにもかかわらず、その都度、分灯していた火を戻し、いまだに伝教大師最澄が灯した火は燃え続けている。
じゃあ、仮に「不滅の法灯を維持するのが大変だから」と、蝋燭をやめて電球にするのか?という話。理屈を言い出せば、いくらでも「維持するのが大変だから」なんて言えますね。
問題は、約1200年前から燃え続けている不滅の法灯に価値を見出せるかどうか。
男系なんて民主主義の時代に維持しなくていいじゃん!
不滅の法灯なんて科学技術が発達した時代に維持しなくていいじゃん!
これは理屈であっても、論理ではない。
なお、橋下氏を攻撃したい意図はない。人文科学の素養がなく、社会科学や自然科学だけだと、そういう発想になるのは普通なので。ただ、論理的ではない議論が、さも論理的であるかのように流布されるならば、「それは違う!」と警告せざるを得ない。