小泉進次郎がマトモだったころ(倉山塾メルマガより)

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正式には
7月1日よりリニューアルします。

月謝も据え置き1100円(岡本税込)なので、
お早めに!

以下、新生倉山塾メルマガと同文です。

ーーー
小泉純一郎、さわやかな引退でした。
総理を辞めたら、次の選挙には出ない。
老後は悠々自適の生活。
イギリス流ですね。

問題はその後。
選挙地盤を息子に譲る。

純一郎は1回目の選挙で落選して、
その後に自力で這い上がりましたが、
進次郎はモノホンの世襲。

出馬の時からウォッチングしていましたが、
最初はおかしくなりませんでした。
何事もソツなくこなしていたし。

じゃあ、いつからおかしくなったか?

続きは倉山塾メルマガで。

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「小泉進次郎がマトモだったころ(倉山塾メルマガより)」への2件のフィードバック

  1. 小泉純一郎さんは、拉致被害者を一部とはいえ取り戻してくれた功績は大きいですね。
    (平壌では安倍さんの機転や策もあったようですが)
    最近は、再生可能エネルギーへの傾倒がちょっと気になります・・

    進次郎さんも環境で・・

    1. 現在の純一郎氏の事はよく追えていませんが、
      平成26年の都知事選挙の時は安倍総理を助けるために脱原発を掲げて細川護熙氏を応援したのではないか?と私は思っております。
      実際、宇都宮氏と細川氏を合わせた得票数では舛添氏は危なかったですし。
      https://www.senkyo.metro.tokyo.lg.jp/election/tochiji-all/tochiji-sokuhou2014/result/
      ただ、確かに現在まで脱原発を言い続けているのは何か別の理由(?)があるのかもしれません。

      もっともこの選挙は、チャンネル桜の田母神閣下への仕打ちが酷かったのですが。

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