この砦でも、最近の歴史学界の狂いっぷりは何度も書いているが、
「織田信長のジェノサイド」
「織田信長のホロコースト」
「織田信長の単独行動主義」
などと、もはや左翼の枠すら逸脱した意味不明ぶりは目も当てられない。
左がかった(だけで真面目に勉強していないので左翼になれない)学者先生にかかれば、
信長は、ナチスや古代ユダヤ教徒やネオコンになってしまうらしい。
一方で、保守系の「信長びいき」は贔屓の引き倒しの見本市である。
「日本のルネサンスを切り開いた近代人」
「秀吉や家康など遠く及ばぬ、独創に優れた天才の中の天才」
「日本人離れした日本史最大の偉人」
などなど。
あらゆる事実を「だから信長は天才である」という結論で締めくくる論者がいかに多いか。
これ全部、左翼史観に乗っているという話を今からする。
戦前の信長評価はどうかと言うと、豊臣秀吉や徳川家康より信長を評価している識者など、
中世史家の田中義成と論壇の徳富蘇峰くらいしか見当たらない。また、武田信玄や上杉謙信が生きている内は二人より信長が格上だと思っている同時代人はいないし、江戸から昭和二十年までの武将格付けで二人より信長を上にした例など記憶にない。
それどころか、福沢諭吉にかかると、秀吉の前座で、柴田勝家や丹羽長秀と同格である。
では現在のような、「日本史で最も偉大な人アンケート」をとると必ず断トツで坂本龍馬と一位二位を分け合うようになったのはいつか。
ここに、刷り込まれた日本人の歴史観があるのである。
戦前の日本で最も人気があったのは豊臣秀吉である。
一つには立身出世の申し子であったこと。日本人は秀吉に他人の過去ではなく自分の未来を見たのである。
二つには朝鮮出兵である。巨大な中華帝国と半島で対峙した、まさに大日本帝国の魁である。
しかし敗戦により、まさに第二の理由で、秀吉を英雄とできなくなった。そこで代わりに英雄とされたのが織田信長である。「外国人は一人も殺していないが、日本人を殺しまくった」。昔の歴史学界の本物の左翼先生にとってこれほど都合が良い人物はいないのである。別に信長を褒める必要はない。それは手段である。目的は秀吉の悪魔化と矮小化である。
日本人が秀吉を英雄視して、再び半島や大陸と対峙しようなどと考えられては困るのである。
それが完遂し、左翼学界の世代交代で、知能犯左翼から白痴犯サヨク(造語)になると、「信長のやっていることはブッシュと同じだ」などと訳もわからず批難してみる、などというおぞましさである。
アメリカコンプレックス爆発の保守派は「信長は天才だ!秀吉はそれを真似したに過ぎない」
などと言っているが、まんまと左翼歴史学者の「秀吉抹殺」の陰謀に知らずに加担しているのだから哀れである。
信長の行動様式って、キレモノのアメリカ人と似ているところが多いので、特定の世代の人には感情移入しやすいというのがあったのだが、いい加減に米国への言われなき劣等感から自由になるべきではないのか。そうしないと真面目な日米の実務的な話に意味不明な感情論が紛れ込むし。「理想のアメリカ人」を織田信長に投影されたら、私だって寒気がする。
秀吉の「惣無事令=侵略は悪いことという建前にしましょう」や「海賊停止令=テロリストは人類の敵です」(=あわせて豊臣平和令とも)、欧州での実現は、前者が一八一五年ウィーン条約、後者が一八五六年パリ条約である。これを先駆的と言わず、何を先駆的というのか。
逆に信長の偉いのは何一つ先駆的なことをやっていないことである。すべて歴史に学び、自分なりの工夫と応用を加えていくところである。決して無から有を捻り出したり、神がかり的な行動をとったりしないのである(そういうことをすると失敗するので、すぐに辞める偉さもある)。信長を「天才」などとしてしまうと、彼のすごさが逆にわからなくなるのではないか。しかもあらゆる事実評価が、後の時代に作られた歪んだ歴史観に基づいているなどとなると、当時のこともわからないし、現代にとっても役に立たないのは必定ではないか。
最後に余談。なぜ昔の左翼は信長が好きなのか。信長の家中統制策、宮本顕治の党統制策と同じだからである。彼らの方が余程歴史を真面目に学んで実践していると言える。
ただし、彼らは信長の凄みの神髄である外交手法は学んだかどうかは大いに疑問だが。
機会があれば、「織田信長の三大必殺技」やります。
「真の信長フリーク」を自認する私としては、左翼の陰謀に保守が乗せられる、それに信長が歪められて利用される、というのは耐えられないのである。
先走って言っておくと、信長は「天才ではなく英才である」というのが、私の結論である。
すいません。
>「織田信長のジェノサイド」「織田信長のホロコースト」「織田信長の単独行動主義」
全くの初耳です。どこをどう史料をみたらこういうレッテル張りができるのか不思議でなりません。確かに叡山や一向宗の関係者からすればまた違うのかもしれませんが、人間いったん偏向するとここまでおかしくなるという例でしょうか。
吉川英治の新書太閤記がたしか天下人になるあたりで終了していたような気がしますが、この見方はちょっとおもしろいように思います。
>織田信長の三大必殺技
これは、美濃攻略、元亀三年の信長包囲網、対朝廷、でしょうか是非機会があれば。
>秀吉の悪魔化と矮小化である。
こんな話、大阪で聞いたことないんですが…どこの国の話だ?
信長については「○○は信長がやったのが最初」なんていうフレーズが教科書でもよく出てきますね。
例として
1.楽市楽座制
2.天守閣の造営
3.鉄砲の本格的導入
…あたりでしょうか。
でも1は信長が師匠と仰いだ斉藤道三の前例がありますし、2は道三と並ぶ「戦国の三大卑怯者(残りの一人は北条早雲)」こと松永久秀の例があります。3に至っては信長の宿敵こと石山本願寺が先に導入していたために信長のほうこそフルボッコにされたという記録もあります。
それはともかく、未だに銃器を国民から没収できない国ごときに、一般国民の武装解除を断行した太閤はんを悪ぅは言われとうないもんですわなw
>叔父さんの息子さん
そら、大阪では聞いたことはないでしょう。笑
二つ目のカキコはおっしゃる通りです。
>仙台さん
信長の三大必殺技=「逃げる・見捨てる・土下座する」です。
この辺り、宮下秀樹『センゴク』がよく描いています。
もはや中世史は漫画家・小説家・市井の研究者が一番まとも、というすごい様相になりました。
良識派の拠点だったはずの史料編纂所の泣きたくなるような白痴化、目を覆うばかりですし。
信長崇拝は異常ですし、”実際”に天下統一を成し遂げたのは豊臣秀吉だという年表に書いてある当たり前の事実すら見落としているんじゃないかと気がします。
保守系の人には信長は数世紀飛び越えた「啓蒙専制君主」で「日本のルーデンドルフ」で政教分離を達成した人という評価があるらしいです。
鉄砲隊は強く長篠の戦で一定量の弾丸を一定量押しこむという戦術が近代的でルーデンドルフらしいですが。三千丁合ったとの比較。
三千丁あったことはヨーロッパと比較したらすごいかもしれないが日本国内で見たら大したことはないですからね。
教科書にあることを忠実にやった。
その遺産をうまく使いさらに先生のおっしゃる通りに先駆的なことをやり実績を残したのが秀吉ですから。
信長を崇拝するのは、日本は封建制社会で次に近代に向けて進歩したということを証明することをこじつける為に編み出された論法な気がします。
戦国時代という中世が終り近世に突入したということを証明したいんだと思います。ヨーロッパで言うところの中央集権化やヘンリー8世などがやったような宗教の国有化を成し遂げたということを織田信長に投影したいんでしょう。
>シバッティさん
ところであなたは何を主張したいのですか?
倉山さん
こんばんは。藤沢秀行です。
何か盛り上がりそうなテーマですね。堺屋太一の引用ですみませんが、本文と関連すると思いますので、記載させて下さい。
「桶狭間の戦い」「長篠の戦い」、共に信長の戦術における素晴らしさを証明する様な書かれ方をされていますが、事実関係がはっきりと分かっていない事も多いみたいですね。前者については攻撃ルートで論争があるみたいですし、後者については鉄砲や戦死者の数については疑問もあるみたいです。
堺屋太一氏の分析は以下の通りです。(「歴史からの発想」より)
1.「信長は戦術的には凡将であり、単純に数を頼りにする事が殆どであった。彼がすごいのは、初めの頃にあった桶狭間での奇襲攻撃の勝利を他の戦では用いなかった所である。(レアケースである事を自覚し、それに酔わなかった)」
2.「長篠の戦いは、鉄砲を三段に並べた事がすごいのではなく、あの時点で既に3,000の鉄砲を持っていた事である(数には異説があるみたいです)。鉄砲の意味と重要性については、どの大名も理解していた。重要なのはそれを可能にした経済力と生産体制だ。」
3.「騎馬隊に対する鉄砲(隊)の優越、楽市楽座の実施、などは当時の価値観で言えばそれこそ文字通り命懸けの政策である。この点、改革はしたいが重役の抵抗がなんて言っている経営者や政治家が、信長の時代ならばそれも出来たが、なんて引き合いに出す事があるがとんでもない話だ」
というものです。戦術について言えば、何となく日本人は奇襲作戦に甘い憧れみたいな部分は持っていますからね。数と金の力に物を言わせるやり方は不人気な所がありますよね(何の話でしたっけ?)。
まあ、それはともかく、こういう問題提起もいいですよね。私自身も、新しい視点の獲得につながればと思います。
以下は余談ですが、そういえばこの間、「信長の野望」シリーズ等で有名な大手ソフトメーカーが「大航海時代」か何かで日本海の表記で騒ぎを起こしてましたね。さすがに回収は大変と見て突っぱねてましたが。ならばせめて罪滅ぼしで「秀吉の野望」と銘打って朝鮮出兵を扱って発売して欲しいですよね。
結構売れると思うんだけど、各方面がうるさいかなあ・・・wwwwwwwww。
おあとがよろしいようで。それではまた。
>「逃げる・見捨てる・土下座する」
なるほど。見捨てるは盲点でした。金ヶ崎、手取川。佐久間信盛、林秀貞。信玄、謙信土下座外交でしょうか。
シバッティさん
>三千丁あった
池田本信長公記をご参照ください。
通説に云う「鉄砲バンバン騎馬隊バタバタ」は兵站、補給的にありえません。
>藤沢さん
堺屋さんにはノーコメントで。(笑)
あの人の『油断』は傑作だと思いますよ。
あるイスラム研究の大家が「日本で唯一石油のことがわかっていた通産官僚」
と称していたほどですから。
>仙台さん
見捨てるで最も重要なのを忘れていませんか。
「信長の盾」こと徳川家康のことを。
って、レスだけで本編の内容になりそうな。。。
別に専門の内容ではないので構いませんが。
信長ブームの異常だということを書いた。
信長天才論の原型としては左派のマルクス主義史観の封建制社会から中央集権化に移行するという証明が必要でそこで信長をそれにあてはめたということがありそして信長を中世を飛び越えた指導者だとおく必要性があった。
それになぜか保守派がのっかていて戦国時代研究の貧困さ批判した。
信長のエラいところは、新しい発想で施策を導入するところではなく、「これは使える!」という施策を選別する能力にこそあった、と言うべきではないでしょうか。鉄砲の導入では石山本願寺に先を越されたばかりか、自分こそフルボッコにされたというのは知る人ぞ知る話ですが、そこでただ悔しがらずに「なるほど、鉄砲は使える!」と自分自身の政策の手本にするあたりは、優れている面だと見て良いでしょうね。
マレー沖海戦や真珠湾攻撃(←宣戦布告後の攻撃であり、国際法に違反していない)で「航空戦の時代」を切り拓いておきながら、大艦巨砲主義を捨てきれず、それどころか「これは使える!」と見抜いた米英軍に逆にボコボコにされた日本軍と並べてみると、信長の凄さが分かるような気がします。
ところで、とかく粗暴なイメージのある信長ですが、「主上(天皇)の御前では馬を下りよ」との命令を徹底していたそうです。信長と言えば「旧体制の破壊者」という言われ方をすることが多いですが、そういう人ですら天皇の尊厳には最大限の配慮をしていた、というのは暗示的なものを感じます。
以下、余談。
先日、竹田恒泰先生が新年のテレビ番組で崇徳上皇について説明されていましたが、私の兄が「明治天皇が崇徳上皇を手厚く供養した上で神様として祭ったということは、もう崇徳上皇は日本を祟ってないのか?」と質問してました。実際のところどうなんでしょうね。まぁ、「祟り」というのは宗教概念なので、議論するようなことでもないのかも知れませんが。^^;
信長が偉大化は、半村良の「戦国自衛隊」とそれを映画化した「角川春樹」の影響が大きいと思うなあ…
「今の日本を作るのに織田信長が不可欠なパーツだった。」というテーマ!
まあ、戦争映画にするには戦闘で面白い絵が多いという(秀吉の高松城水攻め「堤防作って水が溜まって」を映画にしてもなあ?!)発想が発端だろうが、
安保闘争世代やその映画を観た世代の琴線に触れたって感じだなあ…