池田信夫氏の事実誤認を片っ端から正す

とある依頼で、「これを一撃論破してくれ」との話なんだけど、できない。なぜなら事実誤認だらけなので、一撃で済まない。

「男系天皇」が古代からの伝統だという話は明治時代の創作(アーカイブ記事) | アゴラ 言論プラットフォーム

以下、事実誤認を箇条書き。

・「男系天皇」が古https://agora-web.jp/archives/2038831.html代からの伝統 ←そんなこと言ってる人いる?全員、神話(・伝説)からの伝統と言っているはずだけど。小林政調会長の言を引用しているけど、神武天皇は神話と伝説の境目の人物。古代に分類する人は知らない。少なくとも、普通は「史実かどうかわからない」前提で話す。『古事記』がそういう構成になっているし。

・それが「男系の中継ぎだ」というのは苦しまぎれの理屈で、そんな文書は残っていない。←元明天皇の退位の詔書をお読みになれば。吉川真司先生の概説書とか、簡単に読めますが。

・日本の天皇には中世以降は実権がなくなったので、血統には意味がなかった。←ならば「金か木で作れ」と放言した高師直の言が通らなかったの、なぜか。皇室の権威をおちょくっている『太平記』ですら「将軍の任命者」としての必要性を書いており、権威の裏付けとして血統は不可欠ですが。以上、中世史の常識。
なお、平安時代は中世ではなく古代です。院政期を中世にするのは普通ですが。

・平安時代には天皇は藤原家に婿入りし、実質的に女系で相続された。←誰の話でしょう?全員男系継承ですが。藤原氏の屋敷で育てられたのを婿入りと勘違い?摂関政治は「藤原の外孫を天皇にし続ける政治」のこと。その天皇は全員が男系継承で、藤原の男は一人も皇族になれていません。逆に女性は婚姻により皇族になることが東三条院より成文化されています。

・明治時代まで皇位継承には明文の定めがなかった。←不文法はございました。成文法より強力です。成文法が不文法より強力だとするのは近代法に偏りすぎで、イギリスなどでは今でも不文法が成文法より強力です。

・男系男子を定めたのは、明治22年に皇室典範を書いた井上毅である。←井上のどこに権力が?元老や総理どころか、枢密顧問官・文部大臣・法制局長官しかなれなかった人が? 井上は当時の宮中と政府の総意をまとめただけです。

「皇統譜」では例外なく男系で継承したことになっているが、これは宮内省が1925年に歴史を遡及してつくった系図である。←最も漢風諡号を定めたのは淡海三船で、実に四十人。当時は代数に数えられなかった弘文天皇(大友皇子)を除き、神武から持統までのすべての天皇の諡号は淡海三船の撰ですが、明治政府が四十人を超える天皇の諡号を定めたと?
また遡及して男系継承にしたと言うけれども、ならば「本朝皇胤紹運録」と矛盾する箇所が何か所あるのでしょうか。一か所もなく、全員が南北朝も含め、全員が男系継承ですが。

・歴史上の天皇は(3人を除いて)すべて側室の子である。←まさか、今上陛下、上皇陛下、昭和帝だけと? 江戸時代は小倉事件と言うのがあって、「以後七代中宮が産んだ子を天皇にしない」との呪いがかけられたそうで。(笑) しかし江戸以前は、後陽成、正親町、後奈良、後柏原・・・もう4人。あとは自分で数えてください。(笑)

・側室がいても、男子が産まれない場合もある。そういうときは、後宮に出入りした他の家系の男性が側室に子供を産ませたこともあったと思われる。←どこに証拠が?史料を見せてください。

日本の後宮は出入り自由で、側室を監視する宦官がいなかったので、現実にはDNAが天皇家ではない天皇がかなりいたと思われる。←日本の後宮、滅茶苦茶な監視社会ですが。そんなに天皇の妻の不倫をお知りたければ、まず源通親の例でもお調べになれば。

男系男子は権威と権力を一体化する中国から輸入したものだ。日本の特徴は、天皇の権威と将軍の権力の分離である。天皇が武力をもったのは天武天皇までで、それ以降は形骸化した。足利尊氏も織田信長も天皇を廃位して自分がなろうと思えばなれたが、ならなかった。天皇は実権のない飾りだから、なる必要がなかったのだ。←事実誤認と言うより独特すぎる歴史観なので論評不能。次の項目の指摘で代える。

天皇を男系男子と定める皇室典範は明治憲法と一体で制定され、天皇を権威と権力の一体化した主権者とするもので、古代とはまったく違う近代的な絶対王制とするものだった。だが実権は薩長の藩閥政府にあったので意思決定は混乱し、天皇を政治利用する人々が日本を破滅に導いた。←もしかして「典憲体制」のことをいっしゃっている? 典憲体制は一体とともに相互不干渉を前提、また帝国憲法は「絶対王制」どころか君主無答責なのですが。マルクス主義者が昭和30年代にこういうことを言っていましたが、懐かしい(微笑)。

古代の王権は双系(男系・女系の混在)だった。それはアマテラスをみれば明らかだ。男系が伝統だったら、女神を祖先に設定することはありえない。←皇祖=神武、皇神=アマテラス、造化三神=性別無しですが。日本神話は、アマテラスから神武で男系が始まり人の世で伝統になる物語ですが。

しかし『日本書紀』は邪馬台国や卑弥呼にはふれず、崇神天皇(ハツクニシラススメラミコト=神武天皇)を始祖とする系図を書いている。←名前を出していないだけで触れていますが。「神功皇后記」をお読みを。
崇神天皇(ハツクニシラススメラミコト=神武天皇)を始祖とする系図←何のことでしょう? なお、日本書紀の付録にあったとされる系図は逸文です。

『日本書紀』は継体を垂仁天皇の女系の8世の子孫とし、←”その前に”「応神天皇五世」とも書いてますが。他の天皇も同じ。女系はかくまで男系の補完です。

継体は応神の5世の孫とも書かれ、実際には血縁がない別の王家だったと思われる。←もはや事実誤認でなく、妄想です。

このころはまだ複数の王家が併存していたが、平城京に遷都して持統の孫の文武天皇が即位すると、藤原不比等は娘をその妻とし、その子が聖武天皇となった。彼は不比等の家で育てられ、藤原氏の娘を妻にした。こうして代々の天皇は藤原家の「入り婿」のような状態になり、その意思決定は藤原氏がおこなった。←フィクションです。

要するに男系の皇統というのは、井上毅の創作したフィクションである。その根拠は『日本書紀』だが、それは古代の王家に関する雑多な伝説を天武天皇の立場から整理して、その支配を正統化するために書かれた神話である。←フィクションです。ちなみに、藤原氏の立場を過大評価しすぎです。複数の豪族が乱立していた時代です。

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