「皇太子の皇室史」断片

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今は皇太子がいない危機だ!
だから愛子様に皇太子になっていただこう!

それ、「愛子天皇をやりたい」から逆算した妄想にすぎない。
そして極めて危険な妄想だ。

そもそも、今は皇太子はいないが、皇嗣はいる。
天皇陛下は、「次は秋篠宮、その次は悠仁殿下に皇位を継承する」と宣明されておられる。

「愛子殿下を皇太子に」は、この宣明を変更せよと迫る行為。
妄想で動く連中は、「大御心は、次は秋篠宮ではなく愛子殿下だ」と言い切るが、何の証拠もない。
そもそも大御心を忖度して公の宣明に変更を迫るなど、最大限に弁護しても「朝廷に対する御所巻」としか言いようがない行為。
少なくとも「愛子殿下を皇太子に」は、陛下の名で公に宣明された皇位継承順位の変更を迫る行為であり、秋篠宮家から皇位継承権を取り上げる行為に加担するのだと自覚した方がいい。

ちなみに、連中が言うように「愛子天皇」「女系容認」が実現したら、男女関係なく直系優先長子継承なんだから、愛子殿下にお子様が生まれたら、秋篠宮家に皇位は継承されないこととなる。だから、「秋篠宮家に弓引く行為」と言ってるんだが、自分の言動の意味が分からんのかね。
別の可能性で、「愛子天皇」にお子様がお生まれにならないとする。当然、秋篠宮家に皇位継承権は移る。世代的に悠仁殿下が即位される。何の為に「女系容認」なんて日本の歴史に無いことをやるのか。かつて女系論の有力論者だった所・笠原の二人が「今は悠仁殿下がおられるので、女系はやるべきではない」と言っているのは、これが理由。女系を容認しても、絶対に子供が生まれる技術が無いのだから、仮に「相対的安定」ができても「絶対的に安定」にはならない。
女系天皇容認論者でも(たとえば国会議員。名を秘す)でも、「悠仁殿下までは動かさない。しかし、その後のことを」と言っている。いきなり「愛子天皇」は筋悪にもほどがある。

そもそも、「皇太子がいない」って、どういうつもりで大騒ぎしてんのかねえ。
皇室史をちょっと知っていたら、皇嗣殿下がおわすのに、そこまで大騒ぎするような事態とは思えんけど。

実は「皇太子」の初例ははっきりしない。
神武天皇が綏靖天皇を皇太子にしたってのは伝説。
『日本書紀』は聖徳太子が皇太子だったと伝えるけど、それもはっきりしない。
ただ、第17代履中天皇まで16回の皇位継承の内、15回が父子継承。皇位継承は父子継承が常例だと誰でもわかる。
ところが、第16代仁徳天皇の三人の息子は次々と皇位に就いた。兄弟継承の始まり。
古代では実力者でなければ皇位に就けないので、多くの形の皇位継承事例が起きた。

「皇太子制」以前は、「大兄制」と言って、名前「大兄」とつく皇子が皇位継承者とされた。一時期に複数の「大兄」がいることも珍しくない。
これが整理されて、皇太子制がはじまる。が、確立するには、壬申の乱に始まる100年の混乱を経ねばならなかった。奈良時代は先例やぶりが横行した時代。よって後世の先例となっていない。
平安時代は先例が整理された時代とされるけど、「父子継承」「皇太子制」がそのまま何も考えずに運用された訳ではなく、その時代ごとに工夫がされた。

ここで言う工夫とは、「時代に合わせつつ、大枠を守る」こと。
それまでの専制君主を前提とした帝王像から、第52代嵯峨天皇以降は現代の立憲君主像の原型が出来上がる。我が国の皇室は、自らの権力に固執することなく、柔軟に運用してきたから、守るべき伝統を守ることができた。

皇室の最大の危機は南北朝の動乱。
1348年の直仁親王を最後に、立太子の礼は行われなくなった。
復活するのは実に、1683年。
335年間、立太子が行われず、皇太子が不在だったことになる。
ただし、皇儲(次の皇位に就く方)は存在した。
儲君と呼ばれた。

そもそもの用語。
皇太子とは父子継承を前提とした言葉。
宮中用語では、東宮(春宮)と呼ばれる。
歴史上は、皇太弟もいたし、
皇儲が時の天皇よりはるか年上の場合もあった。

だから、今は秋篠宮殿下は皇太子ではないが、皇太弟。
殿下ご本人が「兄より5歳しか年下でない自分が継ぐとは・・・」
と仰られているから、即位辞退も考えられる。
では、その時に継がれるのは、悠仁殿下しか今はおられない。
殿下の「兄より5歳下の・・・」を「愛子天皇」論の根拠にするのは
妄想が過ぎる。

政府は「悠仁殿下までの皇位継承を揺るがせにしてはならない」と
報告書を両院議長に提出した。
さて、これに挑む?

愛子殿下には悠仁殿下を支えてもらわねばならないのに、
訳の分からん話に巻き込むな。

「「皇太子の皇室史」断片」への2件のフィードバック

  1. メルマガの一部ではないとは、あまりないことなので驚きました。
    皇太子関連についてよく纏まっていて良い文章ですが、彼等はこのようなことも分からずに喚くばかりで、見ていてしんどく、哀しく、憐れに感じるばかりです。
    評論家や学者は正論を言い続けなければなりませんが、もういっそのこと無視してしまえば良いのではなどと思います。

    1. 倉山先生も、この手の人達を生暖かく見守っていたけど、流石に最近の言動・公道は常軌を逸している、となって、砦を含め、正論をぶつけて下さるようになった・・・と理解しています。

      が、ふわふわ(曾祖母はアイヌ)さん等が別のコメントで仰っしゃられているように、一度、変な思考回路に取り込まれてしまうと、正論を受け容れる余裕が無くなるので、そこから抜け出すのは容易じゃないんですよ。
      だからといって呆れて無視すると、勝手に勝利宣言とか、もっと先鋭化してノイズを撒き散らすので、本当に始末が悪い。

      私は武漢肺炎騒動の折、日本と台湾を客観的に見比べることが出来たので、変な思考には至りませんでしたが、皇室は世界史的にも唯一無二のものなので、現在進行系の客観比較対象がないんですよね。
      となると、歴史にその解を求めるのが良識ある態度だと思うのですが、その歴史さえ自分の見たい部分しか見ない感じでしょうから、まぁ、おかしくなりそうな友人知人がいたら、少しづつ諌めるくらいから始める他、ないですね。

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