なぜ大正時代は正論が通ったのか 第5話 頭が悪い右翼に限って皇室を政治論に使う(倉山塾メルマガより)

LINEで送る
Pocket

売れ行き絶好調!だそう
これからの時代に生き残るための経済学 (PHP新書)

—————————————-

日露戦争に勝ったのが明治38年。
西暦1905年。
事実上の大正デモクラシーは、
この時に始まります。

日清日露戦争を勝ち抜くのに、
国民は一丸となって協力しました。
だから参政権を与えよ。
どこの国でも起きた政治現象です。
もっとも、当時の日本は
納税額で選挙権が決まりましたから
日露戦争中の増税で選挙権は拡大していました。

ゆっくりと納税額を引き下げようとする政府に
今すぐ普通選挙をと求める民衆。

こうした民衆を指導したオピニオンリーダーが
政治学者の吉野作造であり、
憲法学者の美濃部達吉や佐々木惣一でした。
そして、一定数の目の肥えた読者がいました。

ただし、大多数が
目の肥えた読者であった訳ではありません。

議論で勝てなくても一定の支持層を掴んでいる
人気がある言論人もいました。

—————————————-

続きは倉山塾メルマガで。18時配信
https://kurayama-school.com/

—————————————-

倉山塾生スポンサー番組!
新シリーズは山田方谷です。

—————————————-

倉山満の著作一覧です。

著作

—————————————-

1月のゼミナールがオーディブックになりました。
https://kurayama.base.shop/items/71653409

倉山塾ショップです。
https://kurayama.base.shop/

「なぜ大正時代は正論が通ったのか 第5話 頭が悪い右翼に限って皇室を政治論に使う(倉山塾メルマガより)」への1件のフィードバック

  1. 大正デモクラシーにより、その流れを利用した
    左翼により国民を左傾化するプロパガンダ活動も
    メディア中心に活発化していったとも聞いています。
    昭和に入り5・15事件が起きました。
    一国の首相を海軍の青年将校が射殺するという
    近代国家として起きてはいけないテロ事件でした。
    しかし、朝日新聞を中心とするメディアは、
    「国を想うヤムニヤマレズの忠君的行為」などと
    テロを起こした青年将校を正当化した。
    国民がしっかりした考えを持っていたら、
    このようなプロパガンダには乗らなかったはずだが、
    記事が出た翌日から法的機関に多くの国民の
    テロ将校への減刑嘆願が寄せられた。
    結果、日本お得意の浪花節的判決がテロ犯人達に
    くだされた。日本人が戦前から終戦を俯瞰して、
    日本人特有のメンタルを分析して教訓としていたら
    安倍さんの悲劇をメディアがオモチャにすることを
    国民は冷ややかに見ていたはずだ。
    などとボンヤリ考えた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA