売れ行き絶好調!だそう
これからの時代に生き残るための経済学 (PHP新書)
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日露戦争に勝ったのが明治38年。
西暦1905年。
事実上の大正デモクラシーは、
この時に始まります。
日清日露戦争を勝ち抜くのに、
国民は一丸となって協力しました。
だから参政権を与えよ。
どこの国でも起きた政治現象です。
もっとも、当時の日本は
納税額で選挙権が決まりましたから
日露戦争中の増税で選挙権は拡大していました。
ゆっくりと納税額を引き下げようとする政府に
今すぐ普通選挙をと求める民衆。
こうした民衆を指導したオピニオンリーダーが
政治学者の吉野作造であり、
憲法学者の美濃部達吉や佐々木惣一でした。
そして、一定数の目の肥えた読者がいました。
ただし、大多数が
目の肥えた読者であった訳ではありません。
議論で勝てなくても一定の支持層を掴んでいる
人気がある言論人もいました。
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大正デモクラシーにより、その流れを利用した
左翼により国民を左傾化するプロパガンダ活動も
メディア中心に活発化していったとも聞いています。
昭和に入り5・15事件が起きました。
一国の首相を海軍の青年将校が射殺するという
近代国家として起きてはいけないテロ事件でした。
しかし、朝日新聞を中心とするメディアは、
「国を想うヤムニヤマレズの忠君的行為」などと
テロを起こした青年将校を正当化した。
国民がしっかりした考えを持っていたら、
このようなプロパガンダには乗らなかったはずだが、
記事が出た翌日から法的機関に多くの国民の
テロ将校への減刑嘆願が寄せられた。
結果、日本お得意の浪花節的判決がテロ犯人達に
くだされた。日本人が戦前から終戦を俯瞰して、
日本人特有のメンタルを分析して教訓としていたら
安倍さんの悲劇をメディアがオモチャにすることを
国民は冷ややかに見ていたはずだ。
などとボンヤリ考えた。