久しぶりに女系天皇論

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注意
今回の記事、
前半は悪意に満ちています。マナーの悪い方の為の記述です。
後半は善意に満ちています。マナーの良い方の為の記述です。
斜め読み・飛ばし読み・誤読をすると頭が悪くなります。
注意して読んでください。
日頃この砦をご愛顧してくださる方には目障りな部分もありますが、この話題をすると必ずあちこちで変な言動をして私を困らせる人が多発する故の措置であると、御寛恕のほどを宜しくお願い致します。

 最近大人しくなったのかなと思ったら、保守論壇では相変わらず「旧皇族復帰か女系容認(男系破壊)か」の論争が続いているらしいですね。ということを人から聞かされて且つ質問されたので久しぶりに。
私は読んでなかったのですが、今回の『SAPIO』で小林よしのり氏が女系論に関して新しい論点を出しましたね。数日前に確認しました。

曰く、
「旧皇族復帰論者は、旧皇族復帰には先例があるが、女系には先例がないというデマを流す。しかし、最大十親等までが先例で、現在の旧皇族復帰案はとんでもなく離れているので先例にならない。女系天皇の先例は天智天皇と元正天皇がある。お二方とも先帝かつ母上が天皇であり女系継承である。」と。

「デマ」ってこの砦のこと?(笑)他に誰が言っているのか知りたいです。
正直あまりに頭が悪い議論があちらこちらで続いていたので辟易して、白川のストーカーばっかりやっていたので。爆

 人格攻撃ではなく真っ向からの論理を打ち出しており、批評に値すると思うので、
敬意を評して一言で。

それが通用するなら、

一条経嗣はいらんわなあ?

 あー、終わってしまった。と、天皇家の歴史に関して私より知識がある人に笑われそうな発言ですね。「倉山君、言いたい趣旨はわかるけど、おちょくりがすぎるよ」などという声が聞こえてきそうで。実はこの話、十数年前にしてた議論でして、私より天皇家に詳しい学界の権威の方からすると、そういう反応になります。
つまり今回の小林氏の論理、プロの世界では一撃殺レベルです。
たぶん、上の私の一文が何を言っているのか普通の人はわからないでしょうし、そもそも一条経嗣なんて普通の人はわからないでしょうけど、専門家では常識ですから。
というか、歴史学だと直接の専門でなくても知らないなら、大学院生やめて他の道に行きなさいレベルです。少なくとも私の修行時代はそうでした。今は知らないですけど。
もし私が何を言っているのか即座にわからないなら、皇室をめぐる議論に参加する資格はない、ましてやプロの仕事に対していちゃもんをつけてはならない、ということです。
「プロの仕事は尊重せよ」は小林氏が作品中で一貫して強調していた点だと思いますので。
わからない知らないなら、少なくとも竹田恒泰先生をとやかく言うのはやめるべきです。これは誰に関しても。特に小林氏の議論を妄信している人に申しあげたいことですが。

 さらに補足すると、あえてわかりやすい例ではなく「一条経嗣」などという、プロなら誰でも知っていて、プロならむしろ「厳密な議論では不適切なので持ち出さない」ような人物を出したか?
自分で勉強する気もないのにプロにいちゃもんをつける輩、
誰かの受け売りを妄信して一つでも気に入らない発言があれば感情的に噛み付く輩、
ネットで漁った情報だけで文句をつけて「説明してみろ」などと人の知識をタダ取りしようとする輩、
の素人議論を相手にしたくないからです。それでも勝てるとなめているというのもありますが。はっきり言いますけど、今のリアルな論壇でも、ネット論壇でも、竹田先生の話の枠を超えた議論などないですから。だから、上記のような「横綱稽古相撲」みたいな挑発的な議論をして平気な訳です。

要するに、所謂「コヴァ」に時間をとられてくないということです。
大体上記のような人をおちょくった反駁をすると、
「何を言っているのか説明しろよ」と絡んでくる人が多いのですが、
学問を仕事としている人の世界でそういうものの言い方をした時点で、

議論参加資格なし!

で終了です。
別の言い方をすれば、

勉強しなおせ!

自分で調べろ!

などとなります。
ネットでのアマチュアの論争ならいざ知らず、プロが絡む話の時は資格が問われますから。

 と言って、この砦では「反対意見は一切受け付けない」という姿勢はとりませんが、やはり何にも努力をしない人の反論を聞かされるのもこちらの気分が悪いだけなので。で、「一条経嗣が何者か」「上の私の発言が何を言っているか」を知りたい方への手ほどきを。

 第一課題として
竹田恒泰『旧皇族が語る天皇の日本史』(PHP新書)と、関係があると判断した同書の参考文献すべてをお読みください。
あと、一条経嗣の経歴は、ウィキペディアも『鎌倉室町人名事典』もたいして変わらないので、調べといてください。
それで私が何を言っているかわからなければ、御質問をどうぞ。
ただし、最低二週間は答えませんけど。それくらいもしないわ、知識もないわで反論されても困る、という私の気持ちわかりますよね。

 ちなみに「一条経嗣云々の議論」ですが、小ざかしい院生が思いつきそうなことへの反論は用意していると言うか、「詰みまで定跡化している議論」ですので、反論ならば御覚悟の上で。生半可な知識での上から目線の議論ではなく、立証された反論を待ちたいものです。
その昔の修行時代に一条経嗣の直接の専門でもない私が、直接の専門にしているはずの大学院生(先輩だったかな?現在は某有名大学の教授のはず)の論文を木っ端微塵に粉砕したのを思い出してしまいますねえ。という裏づけがあるので「詰みまで定跡化している議論」とか言い切っている訳です。

 もちろん、まじめな質問は大歓迎です。
しかし、悪意はこもっているは、知識もないのに真面目に自分で調べる気はないわで、まったく立証されていない反論にもならない主張をぶつけられるのに嫌気がさしているので。
この砦以外でも。
ということで、ネタがネタだけに、こういう風にさせていただきます。
ただでさえ忙しいので。

 さて、ここからは後半。
しかし、前半の書き方、異様に攻撃的な表現ですね。(と他人事のように)
読解力がある方ならわかるでしょうけど、小林よしのり氏には怒っていないです。悲しんでいるだけで。とかいうから、「あいつは冷たい。なんであんなに言われているのに。。。」と竹田先生の熱心なファンの方からは言われてしまうのですが、まあそれは仕方ないとして、私にだって考えがある訳です。
そもそも小林氏は私の相手ではないですし。向こうもそう思っていないでしょう。
私が許せないのは、小林氏の議論を妄信して絡んでくる輩です。
「それ自分の意見じゃないでしょ?あんたオウム真理教の信者か」とか言いたくなるわけです。
礼儀をわきまえない人間に貴重な時間を奪われる、これは小林氏が何度も作品で慨嘆していたことです。それだけに、小林氏の主張を「お前も信じろ」とばかりに絡んでくる人間の浅ましさ。。。ということで、竹田先生の熱心なファンで悔しい思いをしている方は、何か言われた時は穏やかに本日書かれていることを伝えるか、面倒くさければこの砦の存在を紹介してくれれば良いです。

 それはそうと、本題。
小林氏の論点をもう少し丁寧に読み解きましょうか。
本当に天智天皇や元正天皇を女系の先例にして良いのか。
確かに、母たる先帝から直接継承しています。

 しかし確認しましょう。
天智天皇のお父上はどなたでしょう。舒明天皇です。
天智天皇の先帝(母上)である斉明天皇のお父上はどなたでしょう。茅渟王です。
茅渟王のお父上はどなたでしょう。押坂彦大兄皇子です。
押坂彦大兄皇子のお父上はどなたでしょう。敏達天皇です。
はい、完全に男系ですね。

 元正天皇のお父上はどなたでしょう。草壁皇子です。
草壁皇子のお父上はどなたでしょう。天武天皇です。
元正天皇の先帝(母上)である元明天皇のお父上はどなたでしょう。天智天皇です。
はい、完全に男系ですね。

 少なくとも、小林氏の主張する「女系天皇の先例」にはできません。「女系天皇でもある男系天皇」の先例にすぎず、むしろ「女系天皇であっても男系天皇でなければならない」先例です。
女系天皇を否定する根拠となります。これは竹田先生が既に強調されています。
天智天皇や元正天皇を女系天皇の先例にしたいなら厳密に議論をしないとだめです。
ただし厳密にすると、宮内庁の望む皇室典範改正案とはまったく違うものになりますが。

 男系天皇は天皇家を途切れさせない原理でした。
何親等離れてはいけないなどという先例はありません。
天智天皇も元正天皇も男系です。むしろ、男系を正統化する先例です。
宮内庁が主張するような女系天皇、「すなわち父親が民間人でも良い」などが許されるなら、
藤原氏は摂関政治などと面倒なことをする必要はなかったわけです。
藤原氏の娘が皇子を産まなかったから後三条天皇が即位して摂関政治は終わったのです。
もし男系が絶対でなければ藤原氏は権力を手放さなくても良かったのです。

 以上の前後半の議論は既に竹田先生が主張されている話ですが、別の表現で述べてみました。
特に前半はあえて知識のない方がついてこれないような表現で。
実は、「それが通用するなら、一条経嗣はいらんわなあ?」を女系論者や小林よしのり氏の支持者にこそ、分かった上で反論的解説をしてもらいたいなどと悠長に議論をしている暇はないと思っています。
参議院選後の国会、大変なことになりそうなので。

 ちなみに日曜日が今週三本目の締め切りなので、たぶん潜ります。
とにもかくにも、羽毛田信吾と白川方明は討伐されるべきである。

「久しぶりに女系天皇論」への0件のフィードバック

  1. 最近といっても10数年前から、天皇家という言い方があって、皇室とはいわなくなっている気がします。他ならぬ倉山さんも天皇家といいますが、これはなにか由緒ある語なんでしょうか。私には単に皇室を一般の家と相対化するための用語にしか見えず、その点では天皇制とどっこいどっこいと思われます。皇室には尊崇の含意がありますが、「天皇家」には全くありませんから。
    「天皇制」という用語が32年テーゼから始まっていることはよく知られています。「天皇制」が皇室廃絶を含意した悪意ある用語ですが、なにせマスコミは一斉に合唱するのでこういわないと通じない点もあります。
    衝撃を受けるのはかの葦津珍彦氏や坂本多加雄氏すらも「天皇制」なる用語を使用していることです。含意するところは32年テーゼとは異なるものの、名が同じであれば、くっついてくる属性も同様となり、ようするに「廃絶」を議論の一つとしていると考えられます。「天皇家」は違うのでしょうか。議論の前提を同じにして男系、女系など論じても始まらないとも思うのです。           

  2. 単純に条件節の設定を誤るとどうなるかという良い見本のような気がします。

  3. 小林よしのり氏にとっては、自分の本が売れればいいのであって、
    ご皇室は商売道具と言うことでしょうか。
    論理が破綻していようが、敵を勝手に定めて、ゴーマンをかますのが
    商売ですので、仕方がないと思いますが
    もうちょっと質の高いゴーマンをかましてほしいものですね。

    まつさま
    可能であれば、教えていただきたいのですが、
    ご自身は「皇室」という言葉をお遣いのようですが
    何ゆえに「ご皇室」という言葉を使用なさらないのでしょうか?
    「皇室」という言葉は、「ご飯」を「めし」、
    「お味噌汁」を「味噌汁」と言うがごとき、不敬であると感じます。
    これを例に取れば、「皇室」には尊崇の含意があるとは思えませんし、
    少なくともより「ご皇室」という言葉の方が
    尊崇の意味合いが強いのは、否定しようもありません。
    尊敬・丁寧の「ご」を付けない、「皇室」という言葉に、どのような由緒があるのか、
    「天皇家」=「皇室」<「ご皇室」だと私は感じておりますが
    「天皇家」<「皇室」<「ご皇室」と主張する理由を
    不肖なる私や、この砦を見るものに、ご教示賜れないでしょうか?
    百歩譲って、「ご」を付けない「皇室」という言葉に、十分なる尊崇の意が込められているといたしまして
    マスコミがこの用語を使わずに、「天皇制」と言う言葉を一斉に合唱しているとのことですが、
    では、少なくとも以下にあげる3社は、マスコミと呼ぶに値しない、世間には影響を与えるべくもないミニコミである、
    ということで宜しいのでしょうか?

    日本テレビ「皇室日記」放送
    毎日放送「皇室アルバム」放送
    フジテレビ「皇室ご一家」放送

    そのほか、「皇室」という言葉を使っているメディアは、
    全てミニコミ認定と言うことで宜しいのですね。

  4. まつ様
    「天皇制」からして戦前の華族は意識せずに普通に使っています。
    だから使うなという議論をしだした最初は谷沢永一さんでしたか。

    天皇家も皇室も同じです。
    私が「天皇家」という言葉を使い出したきっかけは、
    「天皇制」と呪いを込めて使っている観念左翼と、そういう言葉を使わないことで自己満足しているファッション右翼の両方をおちょくるために「天皇家制」という私独自の造語を使っていた名残です。

    最近では「皇室」ではなく「ご皇室」と言いなさいと言葉狩りをして、一般人に煙たがられている保守系のおじさんと若者をよく見ますが、なんなのでしょう。その方々、「皇」の字の意味を知っているのでしょうか。

  5. あらま、かしわもちさんとほぼ同時にレスつけてしまいました。
    丁度良いのでまつ様、「皇」の字の重みを私の代わりに皆さんに解説してください。
    ついでに私は、二重敬語だろうが三重敬語だろうが、宮中言葉に関しては構わないという立場です。
    例)御御御漬け

  6. 倉山先生

    かぶってしまい申し訳ありません。
    私のおちょくった質問の答えを書かれてしまいましたね。

    言葉は勿論重要ですが、中身もまた重要だと思います。
    まあ、中身を議論する前に、他人の言葉遣いを批判できるのは、
    相当な自信がないと難しいとは思いますが。

    「皇」の字の重みの解説、私も心より期待してお待ち申し上げます。

    皇室弥栄!

  7. 学がないもんで倉山先生に「皇」の字の重みを講釈せよといわれてもはぁーというしかありませんな。せいぜい、明治のはじめの朝鮮との国交で「皇」の字で大もめにもめたこと、いまだに朝鮮人は「日王」といい、「皇」の字を使わないことくらいしかしりません。日本は聖徳太子以来華夷秩序に服さないことを国是としてきたので「天皇」とは中華に対する独立の意思にあると理解しています。そして皇室は国体そのものの象徴であって、皇室の否定は国体の否定と理解しています。
    当節のはやりは「ご皇室」のようですが、これって戦前からいいましたっけ。
    戦前発行された「国体の本義」には「皇室は臣民の宗家にましまし、国家生活の中心であらせられる。」とあります。ご皇室なんていわなかったようですよ。葦津珍彦氏も「天皇制」なる語は使用していますが、多数の論文において「皇室」としか言っていません。また、葦津珍彦氏の「天皇制」に関する論文は最初「思想の科学」特集に発表されましたから、発表の場の共通用語と理解しています。華族が使っていたというのは「てんちゃん」と同じで意味はないでしょう。天皇家、天皇制、皇統問題など皇室の相対化がとどまるところを知らない現状から一部の保守層がご皇室などと言い出したのではないでしょうか。本来皇室典範などは不文の大法であって臣民が口にだすべき筋合いではないはずだからです。

  8. まつ様
    それだけ解説していただければ十分です。
    一条経嗣がこの問題で何を考えていたかと、何をしなかったかまでは求めませんので。笑
    そこまで解説されるとひれ伏して尊敬します。さらに笑

    で、結論的には、「皇室」が正式には一番良い、「天皇家」その他は別に構わない、「天皇制」は不可ということで宜しいですね?

    あと皇室典範に臣民が本来は口を出すべきではない、は賛成です。現在の皇室典範は本来ではないと考えています。
    藤原基経をはるかに超える暴挙をマッカーサーが行ったために本来は問題がないはずの皇室典範の規定に瑕疵が生じさせられてしまっているので。

  9. 倉山先生

    私はバカな男でございました。
    ようやく気がついたのですが、小林よしのり先生は、今まで女系だ女系だと引っ張って、
    最初からこういうオチを用意していたのではないでしょうか?
    よしもと新喜劇でいえば、舞台全員ずっこけるような強烈なオチですよね。
    さすが天才、ギャグマンガでのし上がっただけありますね。
    だって、「天智天皇が女系天皇の先例だ」などというのは、
    「お母さんも天皇だったけれども、天智天皇のお父さんも、天皇でしたよね・・・」
    中高生レベルで、反論されてしまうようなことです。
    まさかそんなことを書いて、おそらく大学を出ているであろう
    一流出版社「小学館」のSAPIOの担当者が
    こんな当たり前のことに気が付かないわけないじゃないですか?
    小林氏のブレインやアシスタントが、
    「先生、これ竹田氏の書いていることと同じですけど・・・」と
    指摘するに決まっているではないですか。
    それでも書いたのですから、まさかまさか本人の不勉強ではないでしょう。

    「え、わしが今まで言っていた女系天皇って、父親は当然男系前提よ」
    意図的に狙った芸術的なギャグであります。
    どれだけの立ち読みしたSAPIOの無料読者が店頭で、このギャグに一瞬目を点にしたあとに、
    笑いに腹をよじったか。
    これだけ引っ張って、こういうアホなオチだったのか、と。
    まさか、こんな面白い回を単行本にするときに、外すはずがないでしょう。
    学者には絶対できない、マンガ家しかとてもできないギャグですね。
    小林先生には、もっとこれからも、恥ずかしくては普通の人には
    とてもできないような素晴らしいギャグ漫画家として
    「ゴーマニズム宣言」を書き続け、人々に笑われる存在になっていただきたい、そう思います。

    まつさま
    どちらからかの引用のような真に丁寧なご解説に心より感謝申し上げます。
    そこで申し訳ないのですが、学のない私では、さっぱり理解できないのですがまつさまは、戦前にどこか使われていたかどうか、あるいは誰が使っていたかなどを基準にされているようですが
    結局倉山先生の言っている「天皇家」という言葉が
    戦前に使われていないから、そこに尊崇の念がなどあるわけがないと
    当初は断罪されたと解釈してよろしいでしょうか?
    また、「皇室」が、戦前から使われていて、「ご皇室」という言葉が最近の言葉だから、
    尊崇の念が同じあるいはそれ以下だといいたいのですか?
    戦後に生まれた言葉だから、尊崇の念がないと言っているのですよね。
    それも華族が使っているからとか、学者が使っているとか、言いますが
    ではどなたが使っている言葉であれば、尊崇の念があるのか教えてください。
    またまつさんの基準で結構ですので、「天皇論」というタイトルをつけて本を出すことに、尊崇の念があると思われますか?

    用語の使用法について「尊崇の念がない」などと他者を指弾される以上は、
    ご自身もしっかりと用語を使用されないと自己矛盾になると考えます。
    「学がない」などという言い訳は通用いたしません。

  10. 以前にも書きましたが、小林氏が「愛子様のご即位」になぜあそこまでこだわるのか分からないですね。恐らくは女系推進を主張し続けてきた手前、引っ込みがつかなくなってるだけのことだろうとは思いますが。

    ここで、小林氏の主張をいくつか検討してみたいと思います。

    1.皇室典範さえ改正すれば愛子様が皇太子になられる可能性だってある。秋篠宮殿下は弟君なので皇太子にはなれない(週刊女性のインタビュー)。
    ←皇室典範の改正が可能なら、秋篠宮殿下を皇太弟にすればよい。皇太弟など歴史上の前例はいくらでもある。

    2.親子関係にある愛子様がご即位しなければ、皇室祭祀の伝統が途絶えてしまう。
    ←歴史上、兄弟継承の前例などいくらでもある(むしろ兄弟承継の方がスタンダードだった時代もあった。履中・反正・允恭、平城・嵯峨・淳和、崇徳・近衛・後白河)。それどころか、両統迭立時代には遠縁ですらある時代さえあったが、それで皇室祭祀の伝統が途絶えたという話は聞いたことがない。

    3.秋篠宮殿下がご即位されるとすれば、かなりのご高齢でのご即位となる。当然、在位期間も短いものになる。
    ←高齢でのご即位や在位期間などいくらでも前例があるが、それ自体が問題とされたことはない。桓武天皇は40過ぎてのご即位だったが、当時としてはかなりのご高齢だった。それでも皇位継承に何か不都合があったわけではない。もしあまりのご高齢で即位もままならないのであれば、皇室会議で順位を入れ替え悠仁様のご即位を仰いだ上で秋篠宮殿下を「上皇待遇」にすれば何も問題はない。

    4.秋篠宮殿下は帝王教育を受けておられない。
    ←殿下は既に40を過ぎておられる。自学自習ぐらいできて当たり前の御年である。分からないことがあれば今のうちに陛下にご質問なさればよい。英国王ジョージ6世は「私は何にも準備していない!」と嘆かれたそうだが、それでもヒトラー相手に勇敢に立ち回った。いわんや、まだまだ時間のたっぷりある秋篠宮殿下に「準備する時間はない」などと仰せられる道理はない。

    …皇室の歴史については全くの専門外の私ですら、この程度の反論ができるわけですから、専門家から見ればどうなんでしょうね。
    ついでに言うと、皇統譜によれば、東宮殿下のご即位が確実であるとして、親子承継だけで光格天皇以来7代も続いた例は、神話時代の12代連続以外、他にありません。結局小林氏は、「明治時代以降の歴史しか見ていない」からこういう浅薄な議論になってしまうのだろうと思います。このあたりは以前、道州制のあり方について私が森山浩行先生からご教授を賜った見解を思い出します。

    せっかくですから、ひとつ予言しておきましょう。
    近いうちに、小林氏は秋篠宮ご一家への人格攻撃を始めますよ。

  11. 連レスですが、たしか「皇」とは、支那の古典「淮南子」に登場する「三皇五帝」が語源になっているようですね。支那の始皇帝が「三皇五帝のすべての徳を備える」という意味で「皇帝」という名称を作り出したらしいですが。

    なお、「三皇」とは、伏義、女禍、神農で、前2者は人頭蛇身、神農はいわゆるミノタウロスの妖怪でした。古代においては妖怪と神を明確に区別する概念がなかったので、「皇」とは「神」と同義ということになりますね。

  12. 叔父さんの息子さま
    >親子承継だけで光格天皇以来7代も続いた例は、神話時代の12代連続以外、他にありません
    古代13代では?あと神武天皇からは「人代(ひとのよ)」だった気が。。。
    しかし、秀逸なご指摘、ありがとうございます。独自の発見ですか?
    是非、皇室典範(天皇家の家法)論議の際に指摘しましょう。

    小林氏の論点で気になったのは、「悠仁さまと愛子様とどちらに帝王教育をほどこすか決める時だ」との主張です。この場合の「帝王教育」の定義が不明ですが、日本以外の君主が受ける一般的な意味の「帝王教育」なら、お二方どころか、すべての皇族、及びマッカーサーに勝手に「旧皇族」にされてしまった方々すべてに行われなければならないものです。本来ならば独立した皇室財産で行うべきものなのですが、今の制度では税金を使って行うべきです。
    「帝王教育」を「天皇陛下や皇太子殿下しか知りえない内容」の意味でも、やはり二者択一にはなりません。皇太子を経ないで践祚された天皇もおられますから。天皇家の教育が北斗神拳の如く一子相伝であるなどと証明できない限り、二者択一論は成り立ちません。

    予言に関してですが、小林氏は着地点を探すでしょう。かしわもち様の話とかぶりますが、要するにブレーンの学者がアホだったということですから。小林氏は最近でも述べてますが、「誤りは認める度量」が売りですから。「天智天皇と元正天皇を女系の先例などと吹き込んできたバカな学者とは決別します。実は竹田先生と同じ内容を主張していました。今後は教えを乞います」となるのでは?と、予言ではなく、願望。というか人の道?

  13. かしわもち様
    小林氏関連の話は本編で。
    まあ穏やかにやってください。

    まつ様
    「一条経嗣と国体護持」について説明してあげればよいのではないですか。
    お手並み拝見。ww

    ちなみに一番最初のレスは私への批判ですか?疑問ですか?単なる素朴な疑問ならば問題はないのですが(少なくともかしわもちさんは批判だと断言されているようですが)、批判ならばこの記事に関する論点に関しては「一条経嗣」という単語を必ず使ってください(上記事の再確認です)。

    一条経嗣は実証主義歴史学(『ヒストリア』に一本だけ論文があるようですね)と、それ以外(たとえ数少ないネット情報)が極端に乖離している人物です。上記事であえてそういう条件を出したのは、自分で勉強しないで他人の受け売りをしている人間には絶対使いこなせない単語だからです。その代わりまじめに本を読んでいる人ならば、私にモノを言おうとかましてや皇室典範問題で竹田先生を批判しようとかいうならば、知らなければ発言資格なし、ですので。(言論の自由はあっても発言資格があるとは限らない理屈はわかりますよね。批判でなければ全然自由ですけど)
    もちろん、竹田先生の御著書の参考文献にも載っていますし、重要な位置付けです。この本を読んでいなければ竹田先生が何を仰っているかは、表層的にしか理解できないという重要書です。

    私の二十年来の親友で、この砦に一度だけ書き込んでくれたプロデューサーK氏がこの記事を見て電話をかけてきてくれて「あれって、こういうことですよねえ」とやたらと教えを乞うかの如く確認を求めてきたのですが、その通りでした。ちなみに彼は大学時代は近現代東洋史が専攻でした。学歴コンプレックスがあるようですけど。爆
    今となっては超マイナー人物ですけど、私の大学時代などは「誰でも読んでいた話題作」の登場人物でしたから。
    絶対にワンフレーズで要約できない評価の人物ですし。

  14. >砦主さま
    すみません。正確には「8代7回(東宮殿下のご即位を前提として)」と「13代12回」ですね。最初の光格天皇と神武天皇はカウントしてなかったので。
    それから、「古事記中巻」以降は人代で、正確には「伝説時代」というべきでした。

    本題としては「親子承継だけでこんなにも長く続くこと自体が異例であり奇跡だった。皇位継承は常に傍系継承の可能性と隣り合わせだったのであり、そのための危機管理システムが装備されていない筈がない」という意味だったと考えて頂ければ幸いです。

    あと、上記の4つの指摘ですが、いずれも「現行皇室典範の解釈と運用だけで充分可能」なものだけを挙げています。別にわざわざ「皇太弟」なんて身分を創設しなくても、「皇嗣」の解釈だけで充分対応できます。

  15. >かしわもちさん
    小林氏の素晴らしいギャグだったのですね!
    確かに、よくよく読み説けば今までの小林氏の論は「男系」論ですね!
    素晴らしいですね!
    よしりんは国士です!己を女系容認と見せかけ、男系が正しいと証明して女系容認論者を駆逐する!
    素晴らしい!

  16. >叔父さんの息子様

    最新の小林氏の作品によれば
    「女系の天皇は父親が皇族であればいい」というのが彼の女系天皇の定義ですから
    口にするのも畏れ多いことですが、おそらくは敬宮殿下が女帝になられた際の
    夫君は、悠仁親王殿下でなければならないと考えているのではないでしょうか。
    現在「独身の男性皇族」は、ご高齢の宜仁親王殿下(いわゆる桂宮殿下)か
    悠仁親王殿下しかおられませんから。
    とても臣民では考えられない、不遜な考えですが、
    女系天皇の例として、天智天皇と元正天皇を出すということはそういうことになります。
    まさかこれを知らずに言っているわけがないでしょう。
    普通の神経では畏れ多いことだと思いますが。

    >新田様
    私は行間を読めなどということはエセ知識人なので言えませんが、
    私は、小林氏の作品をギャグとして素晴らしいとは評価申し上げましたが
    彼が「国士」だとは微塵も申し上げたつもりはございません。
    と申しますのも、彼はあれをギャグマンガとして書いたのであり
    商売として書いたのであって、
    女系容認論者を駆逐するなどと言う目的など、そこには何一つ存在しません。
    彼は「誤りを認める度量」などと言っておりますが
    それは商売のためなら、何時でもいくらでも宗旨換えするという意味です。
    彼の価値は面白ければいいのであって、
    中身など正しくなくても、空疎であっても構わないのであります。
    「ゴーマニズム宣言」とは気楽な漫画家の気楽なお遊びと思えばいいのです。
    そこにクオリティを求めるなど無駄なことです。

    何度も申し上げますが、小学館の編集者も彼のブレインも彼のアシスタントも
    こんな突っ込みやすい間違いを見逃すはずがないではありませんか。
    従って、これは意図的なギャグ・オチなのであります。
    彼は「国士」ではなく「ピエロ」なのです。

  17. そもそも「何親等」という議論が皇室議論について妥当するのですかね?ここ最近、「今上陛下と伏見宮の方々は何親等離れている」とか「武烈天皇と継体天皇は何親等離れていた」とか、よく聞くのですが。
    「親等」とは、民法上の概念、つまり一般市民に関する法概念です。天皇皇族方と言えども私法上の行為をされる場合には民法の規律に服するべきであることは当然としても、生来の公人であって一般市民ではない天皇皇族方については、民法上の身分概念は適用されないと考えるのが普通でしょう。
    天皇皇族方について「何親等」という議論をするのは、「どの程度隔たっているか」という目安の議論に過ぎないのであって、法的には何の意味もない議論です。「何親等以内ならOK」とか「何親等離れてるからダメ」とか、そんなことは民法の知ったこっちゃありません。

    で、それと関連してよく言われるのが「皇室宗家と伏見宮家は600年以上も隔たっており、これを繋げるのは不自然」という議論です。これは確か「有識」者会議(いったい何の知識を有しているのかもよく分からないが)の答申でも出されてますね。
    しかし少なくとも50年前まではそれが当然と考えられていたわけで、これを不自然とすると、「550年もの間、日本は不自然な国家システムに支配されていた」ことになってしまいます。これは現代人の驕りか、あるいは歴史を知らない官僚主義の勘違いか、もしくはその両方かのいずれかということになります。
    そもそも皇室の歴史はどんなに少なく見積もっても1600年以上あるわけで(何せ「孔子家に次いで世界で2番目に由緒ある家柄」としてギネスブックにも認定されてるぐらいですから)、そこから比較すれば「600年ぐらい何やねん!」と言うべきでしょう。
    私などは、「600年前と言えば江戸幕府はおろか秀吉も信長もスッ飛ばして世阿弥が金閣寺で義満のために踊ってた時代か。ロマンがあっていいじゃないか」とも思ってしまいます。

    >かしわもち様
    ご自分でどう名乗ろうがご自由ですが、私は「エセ知識人」というのは単なる枕詞だと理解しています。HNに枕詞なんて、ロマンがあっていいですねぇ^^

    それはともかく、小林氏はご自分で「『リア王』のフール(道化師)」と名乗ってましたから、「ピエロ(道化師)」と呼ぶのは最大級の賛辞と言って良いでしょう。まぁ、リア王本編では、フールは3幕6場途中で退場しますが。
    小林氏の誠実な資料研究には私も敬服していますが、今回の場合まともな資料研究とは到底いえないばかりかギャグとしても成立していないのが気になります。私は小林氏を「たかが漫画家」などとどこぞの読売新聞主筆みたいに罵るつもりはありませんが、女系推進論を唱えるならばもう少し誠実に資料に当たって欲しかったと感じています。

  18. ひとつ思い出したことがあったので書いておきます。

    親子承継について「親子」の定義を「父と子のみならず、直系の子孫も含む(例えば、祖父と孫)」と広げて解釈すると、後花園天皇〜明正天皇も「8代7回」に該当します。この場合は、陽光上皇こと誠仁親王が正親町天皇に先立って薨去されてますので、後陽成天皇が正親町天皇から直接譲位を受けてます。とはいえ、厳密には「親子承継」とは言えないでしょうし、これを親子承継と考えたとしてもレアケースであることに変わりはないのですが。

    それから、皇室祭祀についてですが、光孝天皇の直宮たる宇多天皇の時代にかなりの祭祀が廃止もしくは簡略化され、後桃園天皇とは傍系の関係にある光格天皇の時代に祭祀が復活(あくまで復活であり、新設ではないことに注意)されているという事実もあります。それでも「直系ならば祭祀継承、傍系ならば祭祀断絶」と言えるのでしょうかねぇ。

    なお、秋篠宮ご一家についての発言ばかりしている私ですが、私とて東宮殿下を差し置いて秋篠宮殿下のご即位を望んではいません。今からであっても東宮ご夫妻に男子がお生まれになればそれがベストだと考えていますし、東宮殿下を差し置いて秋篠宮殿下のご即位を画策するなど、秋篠宮殿下や悠仁様を差し置いて愛子様のご即位を画策するのと同じぐらい不敬であることぐらい分かっています。問題は、順序を弁えつついかに現実に対処すべきかということでしょう。

  19. 叔父さんの息子様

    他人のハンドルネームに勝手な解釈を行うのは「あなた」の自由ですが、
    私個人としては、不快です。
    「エセ知識人」はただの記号であり、ロマンなどありません。
    どちらかといえば、この言葉を見たときに、
    見た人が緊張感を持つためにつけている記号です。

  20. すみません。遅レスになりました。普段暇なのに先週来、たてこんで手がつきませんでした。少し、長くなります。すみません。

    SAPIOはほとんど見ないのでこのブログだけでコメントします。間違っていたらごめんなさい。まともな取り組みと先生が評価するのは先例を持ち出したからですか。でも10代以降は先例にならずと恣意的な判断をするのでぶちこわしになりましたね。

    しかし、皇室典範の改正問題の有識者委員会の吉川座長はたしか、皇室制度を設計すると言明し、先例などは歯牙にもかけませんでしたから、これに比べるとはるかにまともではあります。

    一条経嗣?、歴史アマにも入らない私にはただ「ん?」倉山先生、酷です。私のチンケな書庫から埃を払って取り出したら、ありました。臼井信義著、足利義満、10章p166。一代両度の諒闇は不吉とし、義満の妻、日野康子を天皇の准母にしたいとの意図に迎合し、一条経嗣が一代両度の諒闇は不吉との先例の申立は虚偽であることを知りながら准母を進言した事件ですね。

    このとき、義満はほぼ絶対の権力者であったにもかかわらず、先例に照らすという手続きが必要だったことが肝心なのですね。先例に明るい一条経嗣の進言がなければ、押し切ることはできなかったのかもしれません。

    先生のご指摘で、竹田さんのご本読みました。この本にも義満のゴリ押しにはやはり先例があったことを指摘しています。歴史には時効という概念(プレスクリプション)があると聞きますが、先例の積み重ねにより、それが権威を持ち、不文の法になるので、慣習がいかに大事かがわかりますし、先例をおろそかに扱うと大変なことになる事例とも言えます。

    竹田さんのご本には「天皇家」という語が頻出します。もう一般語なのでしょうかね。皇室という意味、あるいは皇統という意味が混在しているように思われます。前掲の臼井著には「皇統系図」という言い方です。もっとも「天皇制」なる語が一回だけある。

    「天皇制」は「日本における君主制」という意味として、政治学用語としては当たっているともいえます。32年テーゼの意味は明らかにこの意味でしょう。しかし、戦後の左翼全盛時代を迎えて、いつの間にか政治学用語を離れて皇室を意味するようになり、それが左翼的な考えでは皇室廃絶を含意するまま通用し、一方単なる政治的用語として保守系学者も使用していたと考えられます。「皇室」を君主制という意味では使用しませんから。

    一方天皇家はわからない。客体としてはいわゆるImperial Familyなら分かるが、これはあくまで私的対象です。日本では大名家であれ、武家、商家であれ原則は家産相続なので婿養子は平気です。血のつながりはあった方が良いというだけと私は理解していました。だから「家」なので皇室は全く違うと私は理解していました。

    「ご皇室」は丁寧語としても妙な言い方ではないでしょうか。少なくとも数年前以前には全くなかった言い方です。これは古来からの日本の国体の自覚が欠けているからなのです。当節は国体と言い出した途端にアナクロとあざけられますから、そのなかで皇室への崇敬の念を高めようとするためにこのような言い方になったと推察します。しかし、これはごまかしです。国体の尊厳についての啓蒙を深めることこそが本当なのです。

    さて、余談をします。
    かなり以前のことですが、私の勤務していた会社に今上陛下が行幸されたことがありました。その際さる部長さんが、「平成天皇がご行幸された」といったものですから、思わず失笑したことがあります。若者ならとにかくいいおっさんが2重のミスに平然としているわけです。ご本人はもちろんこれが正しいと思っているのですね。

    しかし、失笑するだけではすまないのはこういった言い方が蔓延していることです。数年前のことですが、西尾幹二氏のブログで明らかに今上陛下を指して平成天皇と書き、さすがに読者から指摘がありました。それに対して西尾氏はこれは将来から見た文であると強弁してなんら訂正しませんでした。

    皇室にかかわる語は皇室典範、あるいは明治以降の決まり等により定まるものは当然それに従うのでしょうが、一般には知る由がありません。従って、ほとんどは文化あるいは慣習により決まるものとしてよいでしょう。また、慣習により使用する語にも由来があるはずで、その由来を尊重するのが正しい態度と思われます。しかし、これは自覚しない限り難しいことです。自覚するには皇室を戴いている日本の歴史を正しく知ることが大事ではないでしょうか。戦前あるいはつい20年ほど前には年寄りがいてそんな言い方はおかしいと自ずから正されたものですが、現在ではそんな人は居らず、マスコミの思うままです。

    例えば皇室ニュースが流れると開かれた皇室という語があたかもリフレインのごとく繰り返されます。そして視聴者にそれが刷り込まれるのです。それが何を意味するのか、なんらかの主張があるのか、まったく不明です。そして皇室批判をするときにはこの意味不明な語がまた使用されることになります。コメンテータはまた勝手な意味を付け加え、意味不明のまま増殖するのです。

    S.I.ハヤカワは語には情報的内包と感化的内包があるという言い方をしていて、それと明示しない断定をはめ込んだ語を感化的内包を有すると言いました。皇室は長い歴史を通じて我々日本人になんらかの感情を起こさせる作用があります。これを崩すには正面から向かってはだめなので搦手からの言い方で揺さぶるのが効果的です。私は皇室用語に多少神経質なのは感化的内包を有する語が多いと感じているからなのです。

  21. まつ様
    別に私に批判するのでなければ、一条経嗣なんて知らなくてよいです。
    私も今は怒っていませんが、「潜る」と宣言するたびに絡んでくる人がいるので、「またか」と思った次第です。誤解ならば申し訳ありません。

    この問題にせっかくご興味をもたれたのなら、竹田先生もかなり参考にされている、今谷明『室町の王権』をどうぞ。全体は臼井説批判ですけど、一条経嗣に関しては、実証主義の範囲に留まっています。まずはご確認をどうぞ。

    皇室用語には私も神経質なつもりですけど、去年の『正論』で「習近平謁見」と残っていて青ざめました。大汗

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