これからの三回シリーズ、特に歴史の知識がなくても、細かいところは「そんなものか」くらいで流すか、興味があれば調べるかしてください。大事なのは、歴史を語りながらも今に通じる論理を語っているところです。「今、我々が社会に不安を抱いている。その正体は何なのか。」その問題意識だけで良いです。知識は気にしないでください。
「田中角栄こそ戦後最大の政治家」「その後、数々のミニ角栄が出現した」などと、今の日本の問題を考える上で錯覚をおこさせる間違った歴史認識がはびこっているので、これは正さねばならないと思ってきた。そこに今の日本を考える上での本質はないのである。田中角栄が歪めた「憲政の常道」を跡形もなくした政治家、しかもいびつな形で超越的な権力を掌握した政治家のことを我々は忘れていないか。
本題の前に、田中角栄伝説の根拠は「高度成長期の政治家」である。時流に乗った政治屋でありその手腕が卓越していたのは確かだが、日本人を豊かにした功績において池田勇人以上に位置するとそれは過大評価になるはずである。ところが、池田は専門家の評価こそ高いものの、一般的な人気は、しかも自称専門家間の評価でも田中の方が圧倒的に高い。はっきり言えば、高度成長に対する貢献度で言えば、高度成長計画そのものを立案した下村治と池田に使われた田中角栄のどちらをあげるべきか、などという議論すら必要かもしれない。
私も個々の事実を取り出して、田中の功績や実力を評価するのは吝かではないが、「では、他と比較して」という冷静さを失えば、かえって彼のすごさがわからなくなるのではと思っているのである。少なくとも、「戦後最大の政治家」でないことは確かであろう。
佐藤栄作、田中角栄、竹下登の三人はそれぞれ自民党最大派閥を支配し、十年間の権力を維持した。では三人の内、握った権力が一番弱かったのは誰か。これは明らかに田中である。佐藤の場合は、政敵が次々と病死するという幸運に恵まれたのが長期政権樹立の最大の理由である。逆に田中の場合は、常に政敵が強かった。三木武夫・福田赳夫は生涯のほとんどにおいて政敵であった。失脚してからの復権に関しても、福田の敵失に助けられている面も大きいのである。田中の権力の絶頂は三木武夫の実質的引退以降である。それでもあの手この手を使いながらも最弱小派閥の河本派(三木派の後身)に抵抗勢力としての存在感を許しているのである。色々とデータを挙げて田中派の権力が弱かった点の立証は可能であるし、田中の主観的な心象風景は愛人にして金庫番が残した『佐藤昭子日記』でわかろう。むしろ田中のすごさは、自民党内反主流派や東大出身官僚(特に最高裁と検察など司法官僚)などをついぞ統制できないにもかかわらず、次々と総理大臣の首を挿げ替えながら延命措置をはかる手腕にあろう。それが哀れを誘うし、国民にとっては大迷惑な話であったが。
では、竹下登はどうか。その「戦後最大の政治家」の派閥を丸ごと乗っ取ったではないか。しかも周到な計画を立てて極めて合理的に。十年間も田中は警戒心を丸出しにしていたのであるが、それをも乗り越えて「憤死」同様の状態に追い込んだのである。田中が佐藤派に対して同じことをしたときは、佐藤は「派閥をやめる」と公言しており、影響力は末期症状であった。田中は権力の絶頂を維持しようとしていた時期である。ついでに言うと、同じ事を竹下に仕掛けた小沢一郎は結局は敗れている。政争術において田中が竹下に優越している点を私は知らない。竹下は運にすら頼っていないのである。
竹下登こそ戦後最大の権力者である。そして現在の日本の国難を導いた大悪人である。その罪、藤原道長や徳川家斉に匹敵しよう。私はこの三人を「恐怖の超権力者」と呼ぶ。
藤原道長・徳川家斉・竹下登の共通点は三つ。一つは、武力を用いずに、無敵の権力を握った点である。道長の場合は、散発的に火付け強盗で鬱憤晴らしをする勢力は存在したが、そこまでである。「天皇家を乗っ取ろう」などと言い出さない限り、彼の権力は無敵であった。徳川家斉は「世の中をよくしよう」などという気がまるでないので、現状打破の際に生じる摩擦が存在しない。天保の改革を用意していた改革派も、家斉の死まで待たねばならなかった。
二つは、この三人、何の政治的功績もないのである。竹下の消費税などはどんなに国民生活に影響があっても、行政事項であって政治ではない。家斉の文化文政の経済文化発展も彼の功績にはできないであろう。何もしていないのであるから。道長に至ってはそれらに匹敵する内容すらないのである。三人とも、権力の保持以外に何もしたいことがない、だから権力は強まる、という、「見た目の繁栄期、実は危機が忍び寄っている時代」に特有の政治家なのである。
佐藤栄作や田中角栄は少なくともやりたいことがあって、その政策の終了や失敗が求心力の低下に繋がった。田中に至っては「裁判で無罪になりたい」と、慢性的に弱点を抱えているのである。ところが竹下はそのやりたいことがないのである。政策がどうなろうと、求心力が低下しようがないのである。
三つめは、安全保障体制が崩壊しているのである。藤原道長の時は「刀伊の入寇」によって大宰府が女真族に荒らされたが、政権は何もしなかった。徳川家斉の時は「フェートン号事件」により長崎が英国軍艦に荒らされたが、やはり何もしなかった。竹下登の時は不審船やらテポドンやら色々な不審物が北からやってきたが、いずれにおいても総理大臣を支配していた闇将軍は何もしなかった。そして三人とも彼らの権力はまるで揺るがなかった。国を思う改革派は沈黙を強いられたのである。
さて、竹下内閣はリクルート事件で世論の猛反発を浴びたが、一年も誰も倒せなかった。政官界のすべてを制圧していたからである。自民党は田中闇将軍時代と違い総主流派体制で、竹下への挑戦者がいない。野党は懐柔されており、共産党まで本気で退陣要求をしていないのである。官界では検察のみマスコミへのリークという手段を通じて抵抗したが、内閣総辞職こそが竹下の反撃開始であった、とは研究の常識であろう。
田中内閣は『文藝春秋』での暴露記事露出後数ヶ月で退陣に追い込まれている。次の三木内閣の手によって逮捕にまで追い詰められているのである。復権までには四年(少なく見て二年)かかった。
竹下退陣後は宇野宗佑・海部俊樹・宮沢喜一が、十ヶ月空いて村山富市・橋本龍太郎・小渕恵三、すべて竹下の意向により総理となった。田中が遂にできなかった「自分の派閥から総理を出す」を二代も行っている。田中の場合、竹下がいつ派閥を簒奪するかという不安があったので、不可能だったのである。田中には竹下がいたが、竹下には裏切れるような政治家はいなかったのである。
この間、金丸信や後藤田正晴が実力者としてもてはやされたが、彼らが竹下に優越した根拠はなんだろう。金丸は大蔵省には何の影響力もなかったし、後藤田は議員に子分すら一人もいなかった。むしろ彼らは竹下権力の両翼では?
そして竹下登が権力を握った一九九〇年代の十年間をすべてのエコノミストは何と呼ぶか。「失われた十年である」。つまり、今の格差社会は竹下登が作ったのである。これ以上の説明が必要であろうか。一つだけ述べよう。それが今回の主題である歴史歪曲である。
我々は竹下登に向けるべき批判を小泉純一郎に向けていないか。
確かに小泉改革には、経済政策に限定しても言いたいことは多い。しかし、経済政策に限定すれば、なおさら小泉改革は竹下の平成不況へのカンフル剤の役割だったのでは?ならばカンフル剤が正しかったか否かではなく、根源まで遡って問題を分析すべきであろう。
ここまで述べてまだ世間では、「角さんは大物、竹下など小物」などと言われかねないが、この砦ではそういう声は無視して次回二回分は予告。(タイトルは変えますが内容はかなり前からできています。)
「竹下登はどのように憲政の常道を歪めたか」
「保守を捨てた自民党が敗北した歴史的必然―竹下登の恐怖支配」
田中で二回やったので、竹下では三回やります。このカルテこそ必要でしょう。日本人が「角さんの時代は良かった」などと間違った幻想を抱いていては処方箋が出てきようがないので。
現在の政局は「竹下登の後の権力を誰が握るか」なのである。今こそ考えるべき政策は「竹下登が残した歪をどう正すか」である。
藤原道長の後には後三条天皇から源頼朝に至る世界史に残る大変革を成し遂げた。この壮大な社会変革は簡単に語りつくせないが、後三条天皇の「粛清なき宮廷改革」や源頼朝の「簒奪なき構造改革」など、世界史にほとんど類をみないのである。
徳川家斉の後には、天保の改革こそ失敗したが、改革の機運は止まらず、遂に幕末維新へと突入した。その後の明治維新の奇跡はご存知の通りである。
では竹下登の後には?
我々、生きている人間がやらねば誰がやる?
そのためにも、(つづく)
< 戦後3弱総理大臣>
第1位:宇野宗佑;ご存知、竹下傀儡政権のハリボテ!結局、愛人問題で短命だったのは笑っちゃう(プーッ!Mなのねと週刊誌で大公開)?
第2位:羽田孜;このひとも、小沢傀儡政権のハリボテ!細川内閣を継いだが、社会党の離脱により政権を失う。その後、総理になった村山さんは「阪神大震災で、あと3時間早く自衛隊を出しておけば、」クビになんなかったのにな!?
第3位:宮沢喜一;「超一流官僚、名総理になれず」、総理大臣になるために小沢さんに頭を下げてはいけません。官僚としては優秀だったのに、けんかにはめっぽう弱い・・・55年体制後の自民最終政権だったため、徳川慶喜とイメージを重ねる人も多い。
倉山さん
藤沢秀行です。シリーズの再開、心待ちにしてました。
なんかどんどん壮大なスケールになってきてますね。
ますます目が離せません。
バブルの時代を思い出しますよね。この時の金利政策と土地税制の失敗が失われた10年の始まりであり問題の根源のではという説は強いですよね。
バブルの崩壊により私たち国民が正気に戻ったという見方も出来る反面、あの繁栄を何故続ける事が出来なかったのだろうと思う時もあります。
日本人は二重権力について比較的寛容というか、普通の事として逆に少し楽しんでいる様な所もありますよね。会社組織でも普通にありますしね。
憲政の常道との関連、まさかここまで来て闇将軍ネタで焼き直しをなさるとは到底思われませんので、何を持ってくるのでしょうね。
まあ、普通に考えれば村山内閣(発足)の話でしょうかね。
・・・あまり書いてご機嫌を損ねられても困りますし私も格好つけて外すのも嫌ですので、この位にして、楽しみに待っております。
それでは、また。
倉山さん
藤沢秀行です。週末ですので例によって文章が乱れていたらご容赦ください。
これほどの内容なのに、案外書き込みが無いですね。やはりこのサイトでは
「国家、軍事、天皇陛下」の3大ネタが強いのですかね。
竹下登という人、人柄については悪口を聞かないですよね。「総理としては0点、総裁としては100点」なんて話もありますよね。
まあ、会社組織でもたまにそういう人いますよね。人柄は素晴らしいが要職にいて欲しくない人・・・。
事なかれ主義は確かに有害だと私も思います。
中曽根内閣時に売上税で失敗した大蔵省の執念、ある意味恐るべきものを感じますよね。彼らは何を欲したのでしょうか?
ただ、竹下登について論じるのであれば、さらにその出発点についての「中曽根裁定」についても言及が必要なのではないでしょうか?
彼が安倍晋太郎を選ぶ選択肢はどうして無かったのでしょうか?
勿論、全てを記載するわけにはいかない(長くなるので)のは承知していますが、「鈴木善幸⇒田中角栄⇒竹下登」の流れは多少不自然さを感じます。
余計な邪魔を言っているかもしれませんが、足元の確認も必要と思います。
竹下登を選んだのは、田中角栄への配慮なのでしょうか?
彼(中曽根康弘)の事は不問に付されてしまうのでしょうか?
ここは回答が欲しい所です。
宜しくお願いします。
藤沢様
本編をご参照を。リクエストにお答えして中曽根裁定を長くしました。サラリと流そうとしたのですが。おかげで竹下が長引きそうです(大泣)。「大どんでん返しのラスボス登場」がさらに遠のく。。。
ちなみにこの時点での中曽根には病に倒れた角栄への配慮など不要です。中曽根裁定とは、中曽根が竹下に対して「どれだけ高く政権を売りつけられるか」というゲームにすぎないのです。あの時点での力関係では、竹下に指名する以外の選択肢などありえないのです。何とか総裁選挙をやらせずに、「指名」という恩を売りつける形をとりたかっただけです。それに踊らされた宮沢喜一とか、途中で本気になって「もしかしたら」と思ってしまった安倍晋太郎が哀れですね。とは言うものの、ハマコーさんなどは「安倍は黙っていたが、竹下に先を譲り、幹事長を選んだ」と述べていますが、力関係を見ればその通りでしょう。選挙になったり竹下以外を指名すれば、中曽根の影響力など皆無ですから。現職総理総裁の権限をフルに使った訳です。
ちなみに、一応は時系列を守っておりまして、
「鈴木→田中→竹下」ではなく「田中(1)→田中(2)→竹下(1)」です。善幸に関しては、いくらでも彼を主役にしたネタは渋滞していますので(笑?or泣?)。
なぜかと言うと、斎藤実と鈴木善幸のように「イイ人総理」くらい国民を不幸にする政治家はいないので。斎藤もとってあるのですが、渋滞してます(泣)。藤沢さんの「人柄」云々は重要な指摘です。この話、実は重要な日本人論ですし。
〉藤沢さん
人柄の竹下と仰りますが「われ万死に値す」という本では、自分の父に強姦された妻に「お前のほうに問題がある」といった上に、「わかっているな」と言い自殺に追い込んだということからすくなからず竹下は善人だとは私は思えません。
>藤沢さん
昭和の政治史(というか政治家史?)についてはあまり詳しくないので、書き込みができるほど飲み込めていないんです(泣)
で、表もあれば裏もあるでしょう? 裏というのは裏社会のことですが。ちょっとややこしすぎて・・・
「昭和の」じゃなくて「戦後の」でした。
倉山さん
お早うございます。藤沢秀行です。
昨夜は勢いに任せて抑えの効いていない文章でした。
お詫び致しますと共に、寛大な対応、感謝申し上げます。
確かに、中曽根康弘一人に原因を求めるのもそれこそ不自然さと無理がありました。解説有難うございました。よく分かりました。
中曽根裁定については、自らの影響力保持のためという事は知識としてはあったのですが、イメージとしては3人の候補者を天秤にかけてその目的を達成するという事だと思っていました。
改めて出来レースだったと言われて見ますと、確かにこの方が正しい気がしてきました。
このシリーズ、予想以上の超大作になりそうですね。私としては極力、書いていないことについて質問したいという思いがありますので、今後もそのつもりではあります。
しかし、それが全体の進行に影響を与える事になってしまうのでは倉山さんを始め皆様にも申し訳ないとも思いますし、私自身本意ではないです。
(単発ものでしたら特に気にはしませんけど)
1回に盛り込める量は自然と限られてくると思いますので、全体の興味をそがない範囲で省略事項を都度明示して頂いても私は構いません。
(他の参加者がどう思うかまでは不明ですが、今後も考えますとそろそろ質問の回答の頂き方も含めて、こういう話を皆様含めてする時期かという思いは最近ありました)
今後とも、宜しくお願い致します。
有難うございました。
新田さん dodoさん
こんにちは。藤沢秀行です。
またこの3人で顔を合わせましたね。今後とも宜しくお願いします。
(※以下、新田さん向けの回答として話をして行きますが、dodoさんにも話しているつもりで書きます。知識に限らず、人間性を磨く意味でも話を頂ければ嬉しく思います)
竹下登の前妻の話、私も知識としてはあります。航空隊員当時、基地を訪ねてきた妻を罵倒し、その事にショックを受け自殺してしまうと聞いています。実の父親との関係については、あくまで噂と聞いていますが、確定した事実なのでしょうか?
(この点は本当に知らないので、反論ではなくお尋ねです。)事柄の性質からすれば本人以外分からない事だと思うのですが、本人の回顧として書かれているのでしょうか?
お尋ねしておいてここからが本題で申し訳ないのですが、話を続けさせて下さい。私(文脈からすれば多分倉山さんも)がここで言いたい「人柄」とは、もう少し幅の広い意味です。最初の時点での説明が不足していたら申し訳ありません。
前妻を痛罵した原因が上記事実であるかは不明ですが、この事により前妻は自殺してしまいます。以後、竹下は人を叱る事が心理的に出来なくなってしまったという話です。
彼の言葉は色々ありますが代表的なものを挙げますと
1)「気配り、目配り、(金配り)」
2)「自分で汗をかきましょう、手柄は人にあげましょう」
3)麻生太郎を評して「あれは竹馬に乗った人間だわな」
4)「当時の早稲田(竹下の出身校)は無試験で入れたんですってねえ」と言った宮沢喜一だけは許せなかったらしい。
バラバラのようですが、やはり共通するものは感じるのですよね。そしてこの事は、会社員である私にとっては、日々の生活で大切な事だったりするのです。
勿論、倉山さんの言われるとおり、政治的業績とは別の話です。ただ、ここで重要なのは本当の意味で敵がいない状態を構築したと言う事だと思います。
個々の行動の動機が純粋か不純かと言う事を越えて、少なくとも自分の周囲の人について納得と信頼を持たせることが出来る力、しいて言えばそれがここで言う意味での「人格」です。
(それは人間ですので、ウラでの計算が無いとは私も言いません)
上記の言動(行動)、実際出来るかと言う点では結構難しいと思います。少なくとも、「誰でも出来る」事では無いのではと思います。
倉山さんがされた話で言えば26日の分がこの話の関連では適してますかね。
これは社交辞令や嫌味でなく、新田さんのほかの文章も拝見して、その純粋で強い正義感が、ある意味うらやましいですね。勉強になりました。
私自身、ひとりよがりになるのを防ぐ意味でも、自分のコメントに反応があると結構嬉しいのですよね。
これからも、宜しくお願いします。
>藤沢さん
こちらこそ、ここでの意見交換は大変勉強になっています。
さて本題です。
竹下さんは確かに「本当の意味で敵がいない状態を構築した」のでしょう。が、その時期の「安全保障体制が崩壊している」という。
これ、本当は「安全保障をやらなかったので(中略)政敵がいなくなった」のではないでしょうかね。
逆に、ということになるのかならないのかわかりませんが、ここ数年間(憲政の常道に反してまで急いで?)安全保障体制を強化しようとしていた首相・閣僚たちは敵だらけでした。
怪しい話でしょう? 竹下さんの「人柄」「人格」というのは一体どういうものだったのでしょうね。
関係ないですけど、私の母親の仕事先で、人あたりがよく面倒見もよく誰からも悪く思われることのなかった経理のおっさんが横領で捕まったという事件が、数年前にありました(笑)
dodoさん
藤沢秀行です。コメント有難うございます。
急所に入ってきた感じがしています。私は適切な専門用語を知らないので、思ったまま記載します。
dodoさんの話、倉山さんの最初の話と合わせてみれば、竹下登の判定は一つ「大悪人」で一致します。私も反論はありません。
(※人によっては矛盾しまくりと思われるかもしれませんが、これが矛盾しない解がこの話の大急所だと思っています)
リーダー論では「よく生きようと思えばその分だけ敵がいるものだ。敵がいる時は後ろを振り返ってみよ。味方も大勢いるものだ」なんて言い方になるのでしょうか。(※佐々淳行「危機管理のノウハウ」より)
組織の内側外側という言い方をすれば、内側の支持を固めても、外側からの危機(環境変化)には対応できないし根本的に別の話だという事だと思います。察しの通り、国家で言えば安全保障です。私が例で挙げた困った上司の場合も同様です。特徴として他部署からの業務内容の変更要求にものすごく抵抗するというのがあります。
一方、内側の人間にとっては人情味のある面倒見の良いリーダーなので、当然支持する事になります。(これを狭義の「人格」とでも呼んでおきます)
この意味において竹下登は人格者だと思います。
さらに困った事には、この手の人格者を攻撃するのは、その事自体が非人間的と言われやすい点です。組織の中で生活するものにとっては、たとえ正しい危機感から出た言葉であっても、その手の批判を行えば、後の処遇と居心地については推して知るべしと言ったところでしょう。
dodoさんが余談として挙げられた話、直接の関係は無くとも参考にはなります。つまり、批判できない以上、その人に対するチェックが不能になってしまうのだと思います。
(※社長がいるではないかと言う人がいたら、私はこう反論します。「それは鳩山総理に言ってください!」と。)
まあ、それはともかく・・・。対処法が難しいのもこの話のもう一つの特徴だと思います。基本的には本人の引退(定年退職または病気)を待つか、そうでなければ引き摺り下ろすしかないのですよね。自発的な自覚と改善が見込め無いのもこのタイプの特徴だと思います。
結論にしたいと思います。
たとえわざとらしい話であっても、そういう政権を打倒するのは最終的には世論の力しかないと思っています。
日本の組織が陥りやすいパターンであり、個々の人間がより広い視点で情報収集をして持ち帰ってくる事の積み重ねが日々の生活では大切だと思っています。
有難うございました。またよろしくお願いします。
dodoさん
藤沢秀行です。追加で考えていた事を書きます。
先程の話は一般論的なところで、竹下政権と安全保障の事についてはきちんと対応していませんでした。倉山さんの本文と合わせて、多分こういう事なのではないかという私の推論を以下、記載します。
(※皆様へ 以下の話は私自身確証はありませんので、反論・補足がありましたら是非ともお願いします)
北朝鮮による拉致事件について、政府初の国会答弁が行われたのは、竹下政権下の昭和63年でした。答弁に立ったのは当時の国家公安委員長の梶山静六です。(この名前も懐かしいですよね)
2年後の平成2年、当時の社会党委員長の田辺誠が金丸信らと共に北朝鮮を訪問しています。この話、当時から「土下座外交」と非難を浴びていましたが、改めて思い直してみますと、ますますキナ臭いですよね。言うまでも無く、拉致事件について糺すべき所でしたが、何の言及もありませんでした。
一方、政局という点で言えば倉山さんが言われるとおりこの時代は分かりにくい所が沢山あります。
1)先の答弁があった昭和63年は消費税論議の真っ只中であった。
2)翌年の参院選で自民党は敗北。過半数割れに追い込まれる。
3)その翌年の衆院選では逆に自民党が勝利。(金丸訪朝はその後)
万事慎重を期す性格の竹下と、その脇を固める金丸とのコンビの手法と言う側面もあると思いますが、倉山さんの話どおり、野党を巻き込んだ国会対策がこの時代のポイントと思われます。(金丸は国会対策の経験が長く、社会党議員との交流も深い。それを党内政治の武器にしていた面もあると聞きます)
最後の結論はどうしても推測の域を出ないのですが、
「国会対策を理由とした訪朝と拉致事件に対する不作為」
があったとしたら、とんでもない話なのではという気がするのです。
dodoさんも同じ事を思っていたかもしれませんが、これをもって回答に変えさせて頂きます。
宜しくお願いします。
うーん、裏の話は余所様のブログに書くようなことでないんですよね。全部ひっくり返してゼロから構築せねばならない面倒くさい話ですし、どこまでいっても推理でしかありませんから。
ともあれ、藤沢さんは「北朝鮮による拉致事件」とおっしゃいましたね。一般にそう言われていますが、その呼び方が既にミスリーディングなのかもしれないと私は思っています。
日本人なんぞ拉致してきたところで、北朝鮮(金さん)にとって何か一つでもいいことがあったのでしょうか。少なくとも、いいことがありそうだという見込みが事前に成り立つ余地があったのでしょうか。
北朝鮮(金さん)が「本当の主犯」によって事件に巻き込まれた可能性さえ、まったくもって否定できない。自分の手の届かないところで起こったことなんだ、みたいなことを金さんが小泉さんに言ったそうですが、これは案外(半分くらいは)本当かもしれませんよ。
しかしこういう見方をするならば、消費税導入を達成したのはなかなかGJ!な竹下登の「政治的」功績ということになってしまうかもしれません。私が思う「本当の主犯」を含む裏の人たちは、間接税が大嫌いなんですよ。
安全保障体制がゆるかったりしたのも消費税反対派を押さえ込む取り引きだった可能性が出てきますね。その場合、拉致問題を国会で出した塚本さんは、空気を読めなかったか、意図して分断工作を仕掛けたのどちらかだ、ということになっちゃいますね(笑)
政治家さんを評価するのは本当に難しいです。見ていてもどかしいと思っても、それを取引材料に使って大きなゲインを得ている場合もありますから。
竹下登のケースがそうなのかどうかは、私にはまったくわかりませんが。
御厨という東大教授がいるが何学部でしょう?
〈正解は!〉工学部です?あんな人が、法学部、(もしくは、経済学部)の教授になれる訳がありません!?
先端研(正式名称:先端学際工学)という、立派な工学部の教授です。
僕が先端研にいたときには野口悠紀雄と立花隆の研究室に挟まれていた。
工学が発展するために、どんな政治、経済が必要か?というための文理融合の学科です。
ちなみに小柴さんがノーベル賞を取れたのはなぜでしょう?2つ理由があります。
1つは、日本人ノーベル賞計画で「1000億円研究開発費を出すからノーベル賞を取ってくれ!」と言われたときに、「1000億円の研究開発費じゃ無理だ!」と誰もが思ったのですが、ただ1人、「50億円あれば、ノーベル賞獲れますよ。」といった人がいた。
その人はその50億円を「ノルウェー王立科学財団」に賄賂として使ったのだ・・・
2つめの理由はカミカンデという、ニュートリノ検出装置に600億円の予算を引っ張ってきたからだ。
ご存知のとおり、日本の予算はスクラップ&ビルドである。
あるプロジェクトが終わると、次のプロジェクトが始められる(逆に言うと、あるプロジェクトが終わらないと新しいプロジェクトは始められまい)。
で、当時、すばる望遠鏡というプロジェクトが終了し、新しいプロジェクトを始めなければ、ならなかったのだ。
小柴先生はこう言った「ニュートリノ検出装置は望遠鏡なんですよ。電波望遠鏡とか光じゃない望遠鏡があるでしょう。それの一種です!」
そして、文部官僚はカミオカンデに予算を付けたのだ!?
カミオカンデを使う論文には必ず小柴さんの名前が入る。ただそれだけである。1流の政治家ではあるかもしれないが、研究者としてはどうかな?!