誰が憲法の無効を宣言できるのか

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 たった今、非公開紹介制の茶話会から帰宅しました。こういう仕事も請け負っています。お気軽にお問い合わせを。

 あと来週は、月に一度の(笑)、倫理法人会です。早くからお世話になっていますので、お話があればお引き受けさせていただきます。執筆以外の仕事は控えると言いながらも(笑)。何だかんだと頼まれると断れない性格でして。ちなみに、各地の倫理法人会、どこでもすばらしく歓待されて、温かく熱心な聴衆の方が多いので、というのが喜んでうかがわせていただいている理由です。

 

 さて、またしてもdodoさんの鋭い御質問ですので、本編でお答えさせていただきたく思います。「帝国憲法講義」でもあまりにも難しい話なので、はしょった点も多いので。

「天皇は憲法の無効を宣言できるか。その為にカウンタークーデターをできるか。その行為は合憲とすることが可能か」との問いに対して。 

 まず、最近流行の日本国憲法無効論への疑問です。よくあるのが、「議会の決議で無効にすれば良い」という論議です。衆参両院がどうして憲法の無効の宣言をできるのか、その法理が私にはさっぱりわかりません。いわんや他の機関にはなおさらできない訳です。

 清水澄博士、金森徳次郎大臣、菅原裕弁護士の無効論に関しては傾聴に値すべきだと思います。しかし、一部の粗雑な無効論とははっきり言って一緒にされたくないです。

 ちなみに、マニアックな方から、「あなたは改正憲法論ですか、無効論ですか」と聞かれるのですが、「八月革命説には反対です」とだけ答えるようにしています。結論が無効論であれ改正憲法論であれ、誰の説には賛成、誰の説には反対、との立場ですので。憲法学の議論をする時は、全体の理論構成を見て判断しています。ただ「昭和二十年八月十五日に、日本では実は革命が起きていた」などというまったく事実に反する、宮沢俊義東大教授の妄想にはお付き合いする積もりはありません。結論も理論構成も正しいものが出てくるはずが無いので。でも、八月革命説が通説だから恐いのですが。

 閑話休題。

 では誰が憲法の無効の宣言をできるか、というと、「憲法の前にある存在、憲法の上にある存在」である天皇だけができます。しかも、個人としての天皇陛下ではなく、歴史と伝統を体現する存在としての天皇にのみできる訳で、しかも国民の総意に基づく必要があります。この解釈、帝国憲法においてはすべての学者の一致した見解でした。あらゆる論点で主要学者は対立しましたが、この一点においては、穂積・上杉の正統学派、美濃部の立憲学派、佐々木の京都学派、実質的な有権的解釈者であった清水のすべての人が一致しています。
しかし、ここまで言い切られてしまうと、保守を自認する方も違和感をもたれるのでは?少なくとも政治家で「天皇は憲法の上にある!」と言い切れる人はいないでしょう。間違いなく選挙には落ちます。

 ここまで現在の日本国憲法の価値観が定着してしまった以上、陛下に「我が国の歴史と伝統に反する日本国憲法の無効を宣言してください」とお願いするのは国民としては躊躇します。

 そしていよいよ問いに対するお答えですが、無効であると宣言してカウンタークーデターの挙に出ることは可能でしょう。あくまで法理論上は可能だと思います。投げやりな言い方をすれば、「一番最後に出た結論を正当化するのが法律学である」などという言葉もあるくらいですから。
しかし、大化の改新・壬申の乱・承久の変・正中の変から南北朝動乱に至る数え切れない後醍醐天皇の挙兵・幕末動乱、など結局のところ正統性を確保したのは武力による勝利です。負けた場合は「主上御謀反」などと正当性が無い行為として扱われました。将来の仮定としてもかなり危険な議論ですし、法律論にはなじまないような気がします。
今の国民の間にも「それは正しい!是非、陛下の挙兵を!」と望む声は出ないと思います。

 かなり政治論による答えのような気がしますが、法律論だけで答えるのは難しい問いであったとのことでご容赦を。

注・「正当化」は「単に今起きたことを正しいとする行為」で、「正統化」は「正当化された行為を歴史的に正しいとみなす行為」と使い分けているので御注意を。誤植ではありません。

「誰が憲法の無効を宣言できるのか」への0件のフィードバック

  1. 解説ありがとうございました。

    憲法の無効の宣言は、歴史と伝統を体現する存在としての天皇にのみ、しかも国民の総意に基づく必要を満たした上で、可能ではある、ということですか…
    なかなか難しい。世論を考えれば国家が危機的状況になればなるほどチャンスも出てくるのでしょうが、そのチャンスは「主上御謀反」のリスクまでも孕む、無効宣言を望む者さえ本当に望んでいいのかいけないのか悩んでしまうような話なのですね。

    無効宣言を目指すにしても、国民から陛下へお願いしてもいいのかもしれないが、本当は陛下御自ら或いは陛下の臣が国民へ語りかけ説得なさっていくのが筋なのかもしれない、とも思います。
    歴史と伝統を体現する存在としての天皇とは、国をお肇めになり君治の徳をお樹てになった皇祖皇宗と一体化した者としての天皇ということですよね。国家国民が誰かに私物化されている状態を放置してはおかない、そんな天皇だ、ということですよね。
    現行憲法無効宣言やカウンタークーデターは、歴史と伝統を体現する存在としての天皇が起点となって行われるべきものであって、誰かが陛下にお願いしたり陛下を担ぎ上げたりすることによって始まるべきものではないと、私は考えたいのです。
    信じて堪えて待つ以外に方法はないのかもしれません。

    「帝国憲法においてはすべての学者の一致した見解」を、現状から帝国憲法体制へ戻ることについても同じように適用すべきなのかどうかは気になるところです。
    帝国憲法が想定する国民と、今生きている国民は、果たして同じ国民でしょうか。仮に、国民をファシズム政権が教育しまくった後ではどうでしょうか。

    それから、現行憲法無効宣言や挙兵してのカウンタークーデターの手前のことで、今のままでも陛下がその気にさえなれば合憲合法的にできることというのはあるのでしょうか。
    例えば、「これからするのは法的効力のない発言、つまり憲法に規定された天皇ではなく、その辺のおじさんが言っている話だと思って聞いていただきたいのですが、そしてあくまでも一般的な話ですが、議会制民主主義政体への破壊行為は日本国憲法であろうと帝国憲法であろうと許されておりません」とテレビで発言してみるようなことです。

    興味が尽きませんね(笑)

  2. 今の状態ならば「議会制民主主義政体への破壊行為」を「三権分立(権力分立主義)を侵害すること」と言い換えるべきでしょうか。

  3. 現憲法下において、天皇制廃止とする憲法改正が行われるとした場合、その公布は可能なんでしょうか。愚問ですいません。

  4. >仙台竜三様
    天皇制廃止という選択肢が妥当かどうかは別として、理論的には可能だと思います。憲法改正は、現憲法体制下において行われるからです。

    96条2項では、改正条項の公布につき「天皇は、国民の名で(主権者たる国民の意思であることを示す)、この憲法と一体をなすものとして(改正条項が現憲法と同じ基本原理にたち、現憲法と同じ形式的効力を持つことを示す)、直ち(承認から大体30日以内)にこれを公布する」と定めています(括弧内の参考文献『憲法』芦辺・岩波書店刊、『憲法?』野中他・有斐閣刊)。なお、憲法改正条項の公布は国事行為ですから、内閣の助言と承認により天皇が行います(7条1号)。

    とすると、大体の流れはこうなります。
    1.天皇制廃止条項を国会が発議。
    2.天皇制廃止条項を国民が承認。
    3.天皇制廃止条項を内閣の助言と承認により、天皇が国民の名で公布。
    4.天皇制廃止条項が施行。
    5.天皇制廃止。

    ただ、どの憲法解説書を見ても、改正についての言及って殆どないんですよね。あるとしても「改正権の限界」に紙面の殆どを割いています。「この憲法は改正されない(してはならない)。仮に改正されるとしても、その改正の幅は必要最小限でなければならない」という前提で話をする憲法学者の意識をこそ、私は何とかすべきだと思います。

  5. 私も「八月革命説」は、否定します。
    そもそも、8月15日に日本で革命が起き、主権が国民に移動したというのなら昭和20年8月15日から昭和22年5月3日まで日本には憲法がない状態になってしまい、その間存在した帝国憲法は何物だったのか?という疑問が浮かんでなりません。
    ここのあたりをどのように東大学派がどのように説明してくれるのか聞いてみたいです。
    それに現行憲法は、帝国憲法下の議会で成立したものなのではないでしょうか?
    それと国民主権だというのなら天皇という存在は何なのでしょうか?
    現行憲法典においても真実としての主権者は天皇にあると私は考えます。
    私はこれらに矛盾を感じてなりませんでした。

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