相変わらず、反米ナショナリズム爆発である。
相変わらず、大蔵省は仕事の邪魔をする悪者である。
相変わらず、主役の風越は国会で暴言は吐くは、何かと総理に直談判に行きたがる。
相変わらず、日本は首相官邸と通産省だけで動いている。
相変わらず、東大法学部卒のキャリア官僚だけが仕事をしている。
変わったところだと、風越が敵対派の部下の片山に「繊維局長は不満か?」と諭す場面。前回の「ノンキャリを家に呼んで一緒に飯を食う」という、南アフリカのアパルトヘイト撤廃にも等しい驚天動地の場面に続き、もはや架空の話として開き直っている。ここまで架空の話を見せ付けられて「これが理想の官僚です」と言われても、誰のことだ?としか言いようがないのだが。
原作の風越(佐橋滋の実像に近いと言われる)は、とんでもない格付け主義者である。「○○局長ごときに」とか「特許庁なんかに」などという台詞が目白押しである。
ついでに、四十年代初頭不況とか証券問題とか繊維問題とかが出てくるが、これこそ政治主導で解決した典型例かと。一般論では福田赳夫や田中角栄の功績とされるが、「田河大蔵大臣」の名前が出てきたくらいで。あんまり人物が多いと複雑になるのを嫌ったのかもしれないが。
さて、TBSのホームページに限らないが、「日本は米国から沖縄を返してもらう為に日米繊維摩擦で譲歩して繊維業界を犠牲にしたとの密約があったのでは。政権交代でその密約の存在が明らかになると期待される。」という愚かしい言説がまかり通っている。
密約の「存在」など事実関係を追えば明らかである。田中角栄通産大臣が繊維業界に「掴み金」と称された補償金をばら撒いて決着させたのはすこし歴史を調べれば誰でもわかる史実があるし。無いと考える方が不自然である。政府が公式見解で否定しているだけで、誰もが密約の存在を前提に行動していたのである。
情報公開で問われるべきは、密約の「内容」しかも「より具体的な」である。これ、言葉尻を捉えている訳ではなく、概念として本当に混乱している人が多いから言うのである。
話は全然変わるが、私が思う、数あるダメ外相(無能官僚でもある)の中でも、史上最大の無能外務大臣として内田康哉を挙げたい。この人物、やたらと人当たりが良かったらしいのだが、そのせいか明治・大正・昭和と三代すべてで外相を務めている唯一の人物である。次から次へと日本の運命をどん底に叩き落すようなことをやるのだが。あまりにもひどいので、私はこういう場合に逆に、彼の功績を探してみたくなるのである。
そこで有名な事典のとある外交史の権威の解説。
「露清密約の存在を察知した」
?????
日露戦争の前、それが開戦原因になるのだが、ロシアは清の領土である満州に居座るのである。それ以前からも着々と橋頭堡を気付いているのである。ロシアが清に恫喝的な密約を押し付けているなど、地図と軍隊の動きを見れば一目瞭然である。問題は、具体的にどこまでの内容を認めているかが最重要機密だということである。密約が文書になっているのなら条約の一字一句をつかんではじめて価値があるのである。それが非公開情報の価値である。なぜ密約の「存在」がわかっただけで功績になるのか。「内容」はロシア革命までわからなかったのでは?
この例など、情報の「存在」と「内容」を混同した好例であろう。ある人が「日本の歴史家ほど信用できない人はいないのに、後世の歴史家などに評価をゆだねられない」とおっしゃっていた。(その人も学者です)
私、散々官僚批判してますけど、学者の方が偉いとは思っていません。自省の日々です。
「日本の完了は優秀である!」という妄想の定説は既に崩れ去った今日。城山三郎の小説も、もはや小説の域を脱しないものとなってしまったのは残念。しかし歴史の勉強のきっかけ位にはなるでしょうか・・・。
最近、大学生の中で「・・・」という本の中で「・・・」という学者が話していたから、それが絶対正しいのだ!なんていう言葉を聴きます。(4年生のレベルです)鵜呑みにすることは学問ではありません。
InformationとIntelligenceという言葉がありますが、日本語に訳すと「情報」です。この言葉の違いを明確に分けると説明が長くなりそうですが、あえて一言で言うと「現象」と「考察」でしょうか・・・。(人によって色々かと思います・・・。)現象は絶対にあった事実であり、考察はその事実を元とした推測です。つまり推測は絶対ではありません。
「官僚たちの夏」を見ている方には是非ともInformationとして捕らえないで頂きたいと思う今日この頃です。
明日から大学の授業開始です。ウィキペディアは出典として認めません!という授業です。InformationとIntelligenceの違いも授業で解説します。
前者は、「生情報・情報資料・情報」
後者は、「情報・知性・知見」
でしょうか。
IT社会でInformationはあふれ出ているが故に、何が正しいのかを判断するIntelligenceはかえって低下しているような危機感があります。
幕末、少ないインフォメーションから真実をあぶりだすためにインテリジェンスが必要でしたが、
現代は、玉石混合、氾濫するインフォメーションから真実をあぶりだすためにインテリジェンスが必要ですね。
インフラあるいはツールとしてのIT(インフォメーション・テクノロジー)の進化に、
それを利用する人間のIT(インテリジェンス・テクノロジー)が追いついていかなければならないのかもしれませんね。
ウィキペディアが国会の質問で使われる時代です。
図書館の動物図鑑で調べた小学生や中学生の夏課題の方がレベルが高いのではないかと思う今日この頃です。
しかし、逆を言うと情報を仕入れる手段が多くなれば多くなるほどインテリジェンスは見つけにくいのかと思います。
インフォメーション・テクノロジー(IT)というときに、情報を集める手段だけを考えてはいけない。
インフォメーションは情報を得ることだけでなく、他動詞として(“I inform him it.” は「私は彼にそれを伝える。」で、”inform to”は「密告する、第3者に密かに情報を伝える」になる。)情報を発信することも含む。
インテリジェンスは入ってきた情報を分析して、行動に移すまでの結論を出す作業である。
外交では、inform toした情報の内容をインターセプトする(スパイ)や、より親交国側にその情報の内容を教えてもらうことが、外交上必須なのだが、どうやらinformとinform toの違いがわからない人が日本人には多いらしい?
「情報の存在に気付く」と「情報の詳細を手に入れる」は全く違う話だ!
とりあえず、今大事なのは「IT」を「情報発信の手段」として使うことだと思う…