キャリア官僚とは何者か

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 キャリア官僚制が如何なるものか、一般にはあまり知られていないように思われる。彼らの仕事の大半であり、かつ最も無駄なのは、国会議員の質問への答弁作成である。与野党伯仲国会などで混乱すると、それまでの仕事が全部吹っ飛んで一からやり直し、などということもしばしばありうる。ついでに言うと、質問そのものを官僚に作らせる、しかも官僚批判の質問を官僚に作らせる、などという笑うに笑えない話もある。

 また、キャリア官僚はすぐに人事異動をしてしまうので、専門的技量など身につかないのである。ではどのような技量が身につくのか。テキパキと持ち込まれた仕事を「捌く」能力である。本当のところ、詳しい中身までわかっていなくても構わないのである。それは政治家の仕事ではないかと思われた方!鋭い!その通りです。

 さて、キャリア官僚とは、選挙で忙しい政治家に代わって、政治家の仕事をする人たちなのである。局長以上になると、他の局や省との折衝が仕事の大半になる。ちなみに、日本でも第二次山縣内閣が明治三十二年(一八九九年)の文官任用令改正で制度的に閉鎖するまで、政治家でも次官や局長になれたのである。その前の大隈内閣での猟官運動があまりにも見苦しい腐敗ぶりだったので、高級官僚になる資格を制限したのである。当時の腐敗した政党政治家よりも、東京帝国大学を出て国家試験に合格した人間の方がまだ信用できるだろう、くらいの消極的な意味しかないのである。ちなみにその試験は東大法学部の授業内容そのものであり、「他の大学の人間が受かる訳がないので二度手間」を理由に試験制度導入に反対した戸水寛人教授(対露即時開戦強硬論を主張した七博士の一人として有名)もいたほどである。

 さて、このように成立して今に至っているキャリア官僚制であるが、これ実はアパルトヘイトなのである。南アフリカという人種差別で有名な白人至上主義国家があった。トイレに始まり、あらゆる施設が白人用と黒人用に分かれていた、もちろん質も段違い、というトンデモない国家が存在していた。今は黒人大統領が実現しており、そういうことはしていないが。

 ところが、我が日本ではこれと同じことが行われているのである。若槻禮次郎という、大蔵事務次官から政界入りし、二度も総理大臣を務めた人がいる。ちなみに、東京帝国大学史上最高点で卒業したとの伝説を持つ。人柄は穏当で、政治家にしては珍しく権力欲がない、さわやかな付き合いやすい人と言われていた。その人の回顧録であるという前提で以下を読んで欲しい。

大蔵省に入って、私は参事官室に勤務した。試補というので、年俸六百円であった。荒井(引用者注・同期の荒井賢太郎)は五百五十円、ちょっと差等があった。ところが(引用者注・明治)二十五年に、海防費献金ということで、ずっと月給一割を差し引かれた。そのうちに行政整理があって、試補には月給が出ないことになった。試補として残るか、属官になって月給をもらうかということで、私たちは属官になって月給五十円、試補とほぼ同額であった。試補は高等官の取り扱いで、食堂なども高等官食堂で、大臣や次官、局長などといっしょに食事をし、待遇はいいが、無給はたまらん。それで判任官の食堂に甘んずることにした。

 細かい解説は省こう。せっかくキャリア官僚(高等官)になれるかと思ったのに、給料の関係上、ノンキャリ(判任官)扱いに一時的でも耐えねばならない。ましてや食堂までいっしょなどと、、、という慨嘆なのである。

 若槻は貧農の出身である。秀才だということで、地主以下村が総出で資金を出して学校に行かせ、東京帝国大学法学部から大蔵省に入った、近代日本の立身出世を体現するような人物である。位人臣を極めたと言えば、ほとんど豊臣秀吉のようなものである。それでこれである。他は推して知るべしであろう。ちなみに同じ大蔵省の後輩でも、池田勇人は京大出身ということで判任官といっしょに食事をしていたので、事実上ノンキャリ扱いだったそうである。次官になれたのは、敗戦という大変事があったからに他ならない。

 このキャリア・ノンキャリの差別、平成十年代の証券疑惑などの伴う官僚叩きの時代にには一時的に取り上げられたことがある。テリー伊藤の暴露本がわかりやすいと思うが、この手のくだらない差別、少なくともその時までは続いていたのは確かである。

 平成二十年代はどうかは知らないが、寡聞にしてそのような良い噂は聞かない。

 色々な人が、採用試験以上に昇進こそがキャリア官僚制の問題、と指摘してくれているがその通りである。採用も大いに問題だが、昇進がもっと問題なのは、歴史的経緯を見れば明らかである。

 重ねて民主党に要望します。キャリア官僚制を廃止できますか?私はそれであなた方の本気度を判断させてもらいます。

 今、東大法学部卒業生の官庁就職率が極端に低下している。今の霞ヶ関に魅力が無いと一番わかっているのは、実は東大法学部生である。これだけ報道に叩かれて、悪事に手を染めなければ出世できない構造があって、三十年くらい我慢したら少しだけ天下国家を動かせるって、これで官僚の魅力を説明できたら立派な詐欺師だろう。

 国家一種試験のみを廃止し(事実上の官吏減俸にもなる)、二種と三種の中から学校歴に関係なく能力に応じて次官・局長に登用する、それを選定するのが大臣・副大臣・政務官というのが真の政治主導ではないのか。

 こういうと風越信吾のような輩が「政治家に官僚の仕事がわかるのか」という、知らない人が聞いたら納得しそうな反論をしそうなので、先に答えておく。

 キャリア官僚だって、ノンキャリの仕事の中身をわかっていないのは、政治家とたいして変わらないでしょうが?一部の例外を除いて。

 キャリア官僚はその仕事の専門家ではなく、選挙で選ばれていない政治家である。この構造を変えなければ日本に未来はない。過去にそのような特権官僚たちが一度国を滅ぼしているではないか。これは敗戦日本の総括でもある。

「キャリア官僚とは何者か」への0件のフィードバック

  1. いつも倉山先生の文を見るたびに考えの幅が少しずつ広がります^^
    今月の帝国憲法講義楽しみにしてますね^0^!!

  2. こんばんわ。

    朝・夕ともに涼しくなってきていますので、風邪をひかぬよう、
    一枚服を持ち歩くことをおすすめします。
    (風邪をひきました)

    官僚云々より、日本の政治家が勉強しないほうがよっぽどタチ悪い
    気がします。
    選挙活動で忙しいとはいえ、国民の代表で政治を執り行うのですから、
    勉強するのは当然です。
    官僚が可愛そうに見えてきました。
    そもそも、何故にそんなに選挙活動が大変なのでしょうね?
    選挙制度から変えるべきですね。
    私は未成年の頃に、選挙に立候補してみようと思ったのですが、金
    がものすごいかかることに気付きました。(年齢にも問題ありましたが)

    官僚制度がアパルトヘイトなのは分かります。
    アレは本当に話を聞いているだけでも、怒りたくなります。
    守秘義務があってここでは言えませんが、いづれ。

    あ、キャリア官僚の人事ですが、確か通常は二年でしたよね?
    役場や市役所、県庁などと同じですね。
    確か、各省庁間での人事異動はなかったと思うのですが・・・

  3. 若槻氏の思考の根底には、学問のススメ的ヒエラルキー意識とでもいうべき心理があるように感じる。

    人の肩書きに貴賎があるという意識とでも表現すればよいだろうか。
    学問をおさめた自分はヒエラルキーの上位にいるのだ!という意識?

    明治になって、貴賎の判断が、家柄から学門へ代わっただけで、
    「役職が上の人間が偉い」みたいな意識の、
    その本質は、変わらないような気がする。

    貴賎という表現が適切かどうかはわからないが、
    おそらく私たちは、他人を見るとき無意識に判断・評価している。

    その基準のひとつに貴賎という基準もあると思う。

    私たちの貴賎の基準は、どこにあるのか?
    家柄か?職業か?実績か?年齢か?性別か?性格か?経済か?・・・

    ひとりひとり違う基準があるだろう。
    自分なりに観察してみることは、意外な自分の存在を発見する新鮮な冒険になりそうだ。

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